Mist Island





 
 潜水して航海する時間が多くなっていた。
 海軍基地の海域を通るらしく、船員たちも、少し緊張しているようだ。

 ローから呼ばれて、作業の手を止めて振り返る。
「後で話がある。手が空いたら部屋に来い」
「わかりました」
 この先にある小島まであと一日。その先の航路についての確認と注意だろうと、は作業を再開しながら思う。
 次に寄る島には降りることはない。それは前もって言われていた。
 ローに考えがあるのだろう。
 ――まぁ、考えても仕方ない。なるようになるさ。
 今まででは思うことがなかった考えに、は小さく笑った。










 仕事が終わり、言われた通りに、は船長室兼自室へと足を運ぶ。
「船長、です」
「来たか、入れ」
 ローが先にいるとき、は船長室という認識にしている。それについてローから指摘を受けたことはない。
「あと数時間もすれば島に着く。前にも言ったとおり、おまえは外に出るな。買い出しはペンギンとシャチが行く」
「了解です。……その島の先、ですよね? 言ってた場所は」
「あぁ、小さいが海軍の基地が近くにある。潜水するが、なにが起こるかわからねぇ。しばらくは気を抜くな」
「わかりました」
 ローがそこまで言うのだ、きっと良くないことが起こるのかもしれない。それでも、には対処できないし、一番対処可能であるローに任せるしかない。はただ、彼の言うことをきくのみだ。
「あと、船内では邪魔だろうが、できるだけ閃雷を持っておけ。次の島に着くまでは、他の船員にも同じ指示を出してある」
 警戒の仕方が尋常ではない、とはローの言葉に了承の返事をしつつ思う。これではまるで、海軍と鉢合わせするのを想定しているようだ、と。










「おれはこういう巡り合わせが多いんだよねぇ……」
 かけていたサングラスを持ち上げ、視線の先にある船を見やる。
「ちょっとばかり、目ぇ閉じてもらうか」
 鞄の中に入っているものを渡すだけだしねぇ。
 視線の先にあるのは、海軍の船。
 隣に止めていた自転車のサドルに腰かけると、彼はペダルを踏んだ。










「あー……、悪ぃな、少し『そいつ』を借りる」
 間延びした口調で言って、彼は自転車を甲板に置いて『そいつ』と指した男を見る。
「オレは『そいつ』なんて名前じゃねぇし、てめぇに指図される謂れもねぇな」
「スモーカーさん!」
「お嬢ちゃん、そうカッカしなさんな。おれは海軍じゃないし、もう上司でもないしねぇ」
「オレに何をやらせたい? ……いや、違うな……やらせたくないんだな?」
 たったこれだけのやり取りでココまで考えが行き着くことに、彼は胸中で感嘆する。
「すこーしだけ、この船を止めてくれりゃあ、それでいい。そうだな……30分もあれば済む」
 鋭い視線が、スモーカーから送られる。視線が一瞬絡まるが、すぐに諦めたようなため息がスモーカーから漏れた。
「わかった。30分だけだ。……アンタが何をしようとしているのか興味ねぇが、聞かせろ」
「スモーカーさん! もう少し言い方があるんじゃないですか?」
「たしぎ、こいつは海軍じゃねぇし、オレの上司でもねぇ」
「でも! 青雉さんは――」
「お嬢ちゃん、無理を言っているのはおれだ。これはおれの都合で、おれだけの都合を、わざわざ海軍が聞いてくれているんだ。たとえ、元海軍将校であっても、今はただの一般人だ」
「アンタが一般人なわけねぇだろが」
 葉巻を銜えた唇の隙間から煙を燻らせ、スモーカーは鼻を鳴らす。
「預かりものを渡すだけだ」
 青雉は長い指を海の下へ向ける。
「海の中といえば、ハートの海賊団か」
「最近話題の新船員がいるだろう?」
か」
「おれはアイツの父親と面識があってねぇ……、まぁ、ニコ・ロビンと同じようなものさ」
 遠くを見るように海の下へ視線を向けている青雉。それを見やってから、スモーカーは船の停止を命じた。
「断片でしかないが、聞いたことがある。――ログポースの道筋になく、霧の中にある島。そこに行こうと海軍が何度か試したが、全ての船がたどり着くことができなかったらしいと」
「その話ならわたしも聞いたことがあります」
 ここまでの話は、海軍内でも知っている人間がいるだろう。だが、その内情まで知るものは少ない。
「その島にはかならず生まれる人間がいる。その島へ必ず帰れるように、あの霧の中を迷わず航海できる能力を持った人間が」
 それが、だ。
 能力がどういったものなのか青雉は知っていたが、スモーカーたちに聞かせるつもりはない。
 ――おまえは、おまえの意思で『グランドライン』へ出てきたのか。それとも、言葉巧みに乗せられたのか。
「次の島で補給をするはずだ」
 青雉はスモーカーにそう短く言って、甲板に置いていた自転車に乗った。

 ――。おまえは何のために、海に出た?










「じゃ、行ってくる」
「オレらが出て行ったら、ちゃんとキャプテンの言う通り部屋に戻ってろよ?」
 ペンギンとシャチが、足らない食糧や日用品を補給すべく島へおりた。船長であるローは、を伴って甲板で見送った。
「戻るぞ。ベポはこのまま甲板で見張りを頼む」
「アイアイ~!」
 ローに促され、は艦内に戻る。その後ろ姿を確認して、ローは背後を振り返る。
 ――嫌な空だ。
 このグランドラインで急な天候変化は当たり前だが、それとも違う。
 冷たい風に湿気った空気。空は快晴。
「キャプテン?」
 なかなか入ってこないローにが呼びかけたが、彼は空を見上げて何かを考えこんでいる。
「………まさか」
 の口から、漏れた声。
「そんな、ことが………」
?」
 見下ろすローの訝しげな視線を見上げて、はローの腕を引っ張って艦内へ入る。
「どうした?」
 船長室に入ると鍵をかけ、ローを椅子に座らせた。
「オレの能力は覚えてますよね? この能力は、あの島で生活するには不可欠だった。キャプテンなら知ってるハズです。……霧の島(ミストアイランド)のこと」
「――霧に包まれた島で、どんな船も近づけないという話だったな。島の姿を見た者がほとんどいないと聞いた」
「それがオレの故郷です。オレのような能力がある島民が、どうしても島で手に入らないものを買い出しに出るんです。そして、それに気づいた海軍や海賊が後ろから同じ道を辿って島に来ようとしても、辿り着かない。……あの島を覆う霧に、幻覚作用があるんです。それを無効化する方法がひとつだけあります」
 はそこまで一気に喋ると、息を詰めた。彼女にしては珍しく、言うことを躊躇う空気。
「言いたくないなら言わなくていい。言いたくないのなら、言うべき時期じゃないんだろ」
「あの事件のとき、女、子供が助かったのには理由があるんです」
 ぐ、との手が握られる。爪が食い込むほど力のこめられた拳が、ローの手ではずされる。
「幻覚作用を無効化するのは……オレのような能力のある人間の『体液を体に取り込む』ことなんです」
「それは少量か?」
 ローは問う、いつも通りの表情で。
「はい。……だから、オレは『ONLY ALIVE』なんです」
 ローはの過去を思い出す。

【オレが生まれた島に海賊が来た。小さな小さな島だ。……女、子供は捕まって、男は殺された】


「この能力が生まれやすい性別はあるのか?」
「男の方が多いですよ。けど、それはあの島にいるから知っていることで、他の連中は知らない。女や子供の力は、大人の男にはかなわない。――奴らは扱いやすい人間だけを残した。女は慰み者にすればいい、子供は奴隷として扱うか、売ればいい。能力がないとわかれば、どんな方法でも簡単に捨てられる」
 そう吐き捨てるように言ったを、椅子から腰をあげて抱き寄せる。酒場にいた時のような、感情のない灰色の瞳に色を与えるために。
「この島の空気が、あの島の空気に似ているんだ」
 彼女はそう言いつつ、ローの服を握って震える。
 こんなに怯える姿ははじめてだ。
 ローは抱きしめる力を強めながら背を撫で、旋毛に唇を落とす。
「何があってもお前を手放したりしねぇ」
 こくり、と小さく頷くを視界に入れて、やはり強がっていても女なのだと思う。
 これほど素直に縋り付くほど、彼女の中では恐れるものなのだろう。

 ――ぷるぷるぷる……

 部屋にある電電虫が鳴って、を抱いたままそれをとるとベポの声。
「キャプテン、来て!」
 その声に焦った色が出ている。
「ここでいろ、絶対に部屋から出るな」
 そう言いおいて、ローは部屋から出て行く。
 すぐに甲板へ出た彼は、ベポの視線の先を見やって、チッと舌打ちをする。
 ――厄介なのが来やがった。
「おいおい、そんな嫌な顔しなさんな。俺は元海軍で、今はただの一般人だ」
「元海軍で今は一般人の青雉が海賊に何の用だ」
 警戒を解かず、眉間に皺を刻んだまま問いかける。
に渡すものがある。まぁ、本人に手渡すのが一番いいが、嫌なら渡してくれりゃあいい」
「まずは『渡すもの』を見せろ」
 ローの言葉に、桟橋の上に立つ青雉・クザンは、背中に背負った小さなバッグから小さな袋を取り出した。そのまま中身を手のうえに出してみせる。
「エターナルポースか」
 罠ということも考えられると警戒はいまだ継続中のまま、背後にいるベポにを連れてくるように言う。
 わかった、と小さく返答して艦内へ入るベポ。
「行先はどこだ」
が見ればわかる」
 飄々とした態度でローを見る青雉に、攻撃の気配はない。
「連れてきたよ」
 ベポの後ろからやってきたが「あれが原因かも」とローへと声をかける。
「――おまえが、か。あのままあの酒場に居たなら、見過ごすこともできたものを。……海軍はおまえを追うぞ」
 その言葉に、青雉はの居場所を随分前から知っていたのだろう。
「追われる覚悟で海に出た」
 は言って、ローの隣に立つ。右手を閃雷の柄に触れながら、青雉の手にあるもの息をのむ。
「キャプテン、あれ……」
「どうした?」
「さっき言ってた霧の島(ミストアイランド)のエターナルポースだ。まさかあったなんて……」
 その呟きを耳にした青雉が、視線をエターナルポースからへと向ける。
「やはり、血が引き寄せるか」
 青雉は手の中にあるエターナルポースをへと投げた。それを慌てて受け止めた彼女は、手の中にあるそれに視線を落とす。
「キャプテン、これとオレが引き寄せられて、だからこんな天気なんだと思う」
「みたいだな。――何故これをに渡そうと思った?」
 ローの問いかけに、青雉は口を開く。
の両親から託されたものだ。……海軍を辞めた今、ようやくそれを渡すことが出来る」
 ――おれは、それをずっと隠し持っていたのさ。海軍が喉から手が出るほど欲しがっていたそれを。
 そう言って、青雉は肩の力を抜いて空をあおぐ。
「昔、二人には命を救ってもらったことがある。その見返りに、それを預かった。もし2人が居なくなったり、島に予期せぬことが起こった場合、これをに渡してほしいと。――霧の島は元々2つあって、行き来するのにこのエターナルポースが必要だったらしい。だが、島の1つが無くなり、助かった住民の過半数が他の島に移り住んだ」
「じゃあ、このエターナルポースの先は……」
「もう1つの霧の島(ミストアイランド)だ。信じる、信じないはお前の自由だ。行くも行かないも、また同じ。おれは渡してくれと頼まれただけだ」
 そんな話をしていると、青雉の後ろから買い出しから帰ってきたシャチとペンギンが駆け寄ってくるのが見えた。
「これもいっしょに持っていけ」
 カバンの中から取り出した布袋を、青雉は船の甲板に投げ入れる。
「おれはこれに入れていた。海軍やほかの海賊からそれを守れるはずだ。――おまえとそれを引き寄せ繋ぐ力を遮断するように出来ている」
 青雉は自分の背後からくるシャチとペンギンにちらりと背後を見やって、リュックを肩に担いだ。
「あぁ、もう一つ。今から10分後にスモーカーが近くを通る。なんせ、おれがここに来るために、30分ほど足を止めてもらったからねえ」
 ローとと対面しているのが青雉と気づいて、買い出しから帰ってきた2人は戦々恐々とした顔をしたが、走っている足を止めることなく甲板へ飛び乗った。それを視界の端に捉えたローは、2人とベポに出航準備を最速でするよう言い放つ。
「お膳立てはここまでだ」
 言って、青雉はかけていたサングラスを取る。隠れていた目が、を射抜く。

 ――おまえは、それをどうする?

 そんな問いかけが、強い視線に乗せられていると感じて、彼女は緊張に固まっていた表情を緩和させ、そのあと、にやりと口元を歪めた。
「オレは自分で選んでここにいる。海軍がキャプテンのことをどう言おうが、この船長(ひと)が行きたいところへ行かせるためにいる。――船長の敵として立ち塞がるなら、蹴散らす。それだけだ」
 そう言い切れる何かか、トラファルガー・ローにはあるのだろう。
「キャプテン、いつでも出航できます!」
「わかった。……、行くぞ」
「わかりました」
 はローと共に、青雉へと背を向ける。

 ――敵だった人間に背中を向けるとは思わなかったねぇ……。

 潜水していく黄色い船を見下ろしながら、青雉クザンは胸中で呟く。

 ――臆病だった愛娘はの意図に反して随分と男前に育ってるが、あの瞳は……本当ににそっくりだったぞ。



 いずれはたどり着く故郷に、絶望を見るか、希望を見るか、それはわからないが。


「ようやく、俺も一息つけるねぇ…」

 ――何年もかかって、悪かったな。

 気配を感じることのなくなった黄色い船の行先を、元海軍は少しだけ案じながら、遠くに見える海軍の船をみやった。












故郷のことが少し出てきましたが、戻るのはまだまだ先になりそうです。穏やかな日常を取り戻して生活する状況が想像できないですね……。
2019.10.20