きみにさよならはあげない





 
「――お前」
 サングラスの奥にある切れ長の目が、一瞬鋭く光ったのをは見逃さない。
「何?」
 わかっていて知らないフリをする。誤魔化せるとは思っていないが、少しの可能性にかけて……念のため。
「いけすかない、どこの馬の骨ともわからないボクに言いたいことは山ほどあるだろうけど、どれが用件なのか見当がつかないよ」
 お前、と呟いたきり無言になった彼を見上げて皮肉げに言えば、無表情のままで口を開いた。
「何者だ?」
「単刀直入に聞くね」
「腹の探り合いは無意味だろう」
「ごもっともで」
 は茶化したように言うが、その瞳は笑っていない。
「ま、そういう質問は近いうちにあるだろうとは思っていたけどね」
 はじめて会ったのは幻光河の北岸だ。あの場にユウナたちが足を踏み入れたとき、はすでにそこにいた。
「人の気配がなかった。だが、おまえはあそこに立っていた」
「そうだったね」
 はいつも飄々としていて、誰にでも対等に接する。明るい表情の裏側は、まだ誰も知らない。
「おまえは、人とは違う」
「ボクが『人ではない』なら、アーロン…あなたは何?」
 アーロンの眉が微かに反応する。
「――俺は死人だ」
 会った瞬間から、アーロンが死んでいる人間であることを知っていた。たぶん、まだ誰も知られていない――彼の秘密だ。
「ふーん、正直に言うね。そう簡単に言われると、面白みがないというか」
 うーん、と首を傾げたあと、は仕方なさそうに両肩をすくめた。アーロンの視線が突き刺さってきたからだ。
「ボクの体はあなたと同じ幻光虫でできている。ボクは――ティーダと同じ、夢のザナルカンドの住人」
「――そうか」
「驚かないんだね」
「そんな気がしていた。それに、今はまだ誰も知らない俺やティーダの体のことも知っているだろうこともな」
 は小さく破顔する。大きく伸びをして、アーロンを見やる。
「おまえはまだ何か隠しているだろう? 残さずしゃべったらどうだ」
「気になる?」
「気にならないと言えば嘘になる」
 あー、もぉ。そうやって言われると、言わなきゃって気になるんですよね。
 はそう呟き、諦めたように溜息をついた。
「宿へ戻りませんか? お酒でも飲みながら、話しますよ」
 話すにはつらいこともあるから。
 は胸中で小さく小さくつぶやいた。






「まず、気づいているとは思うけど、ボクは女。気づいているのはあなたぐらいかな?」
 辛目の酒をちびちびと舐めながらの問いに、アーロンは「だろうな」と低く同意する。
「夢のザナルカンドの住人と言ったが、それも違うな?」
「そこまでわかってて聞くんですね? 意地悪すぎ」
「全部言うと言ったのだろう?」
 そんなこと一言も言ってませんけどね。
 そう不貞腐れたよう呟き二口三口と飲むのを見ながら、アーロンも手酌で飲み始める。
「祈り子の夢という点では同じ。ボクは――」
 は言葉をとめ、酒をまた一口含んだ。喉に流れているのをゆっくりと確かめて、胃が熱くなるのを感じる。落ち着かせるように息を吐き出し、アーロンを見ることができずにグラスへと視線を落とす。アーロンは俯くの手元を見やり、そのグラスの中身が揺れているのに気づく。

 彼女は手を震わせていた。アーロンは静かに椅子から腰をあげると彼女の横へ立った。そのまま指を伸ばして胸の中に抱き込んだ。驚いて顔をあげようとしたが、彼はそれを阻んでしまう。
「ボクはユウナレスカの願いを具現化したもの」
「ユウナレスカ、か」
「そう…」
 ユウナレスカは、1000年前に夫ゼイオンを祈り子として、史上初めての究極召喚を発動した。シンを倒した初めての召喚士として有名だ。だが、アーロンは知っている。それがまやかしであることを。――10年前、召喚士ブラスカのガードになりザナルカンド遺跡へ行った際、ユウナレスカから話を聞き……究極召喚でシンは滅びるが、ガードの誰かを犠牲にし、祈り子にしなければならないことを知った。あの時の後悔は、未だ癒されてはいない。ブラスカがジェクトを祈り子とし、そして、ブラスカは命を落とし、ジェクトはシンとなった。真実に耐えきれなかったアーロンは、単身ユウナレスカに向かい――命を落とした。
「ユウナレスカは自分の夫であるゼイオンを犠牲にするしかなかった。その時の後悔が、ボクを具現化させたんだ」
 父であるエボンを止めるには、ザナルカンド遺跡にいる自分――ユウナレスカの授ける究極召喚の裏側にあるものに気づかなければならない。エボンの教えを信じる召喚士やガードでは、その裏側にまで目を届かせることはできない。
 ユウナレスカもまた、終わらせたいと思っているのだ――この『死の螺旋』を。
「あなたがユウナレスカの元に単身で乗り込んできたとき、ボクはユウナレスカの『中』にいた」
 ボクがあなたを殺したのも同じこと――。
 はアーロンの腕の力が強くなったことに気付いてそこから逃れようとした。だがそれは叶わず、より一層強い力で抱きしめられる。
「あなたは死人になってティーダのいるザナルカンドに行った。思いの強さはユウナレスカの中にいたボクにも届いたから――少し力を貸した。あなたがザナルカンドへ行く手伝いを、ほんの少しだけ」
「――そうか、だから鼓動がなかったのか。それで全部、納得がいった。……俺はティーダの元へと降り立った。ザナルカンドのどこに降りるかはわからない。たとえシンがジェクトであっても、それは変わらないだろう。おまえが力を貸してくれたからだな?」
 コクン、とは腕の中で頷く。
 アーロンに何度か手首を掴まれたことがあった。ほとんどは危険がせまっているときだったが、その時に彼は気づいたのだろう。自分と同じ生きている人間ではないと。
 この腕の中は死人なのに体温があって、そして優しく包み込んでくれる。彼になら殺されていもいいとずっと思っていた。彼にはその権利があるから。
 は腕の中から逃れようと、もう一度抗った。酒が入っているためコントロールがきかないのか、いつもよりずいぶん弱い力で、アーロンは難なく受け止める。
、おとなしくしろ」
 結局そのままの状態で、は諦めるしかなかった。
「今度こそ終わらせることができると思った。ブラスカの娘のユウナ、シンとなったジェクトの息子ティーダ、そして――真実を知っているあなたがガードとして加わった。アルベド族のリュック、黒魔道士であるルールー、生きていくことを挫けずに進んできたワッカ、誇りを貫くことのできるロンゾ族のキマリ……すべてが、最終章への道を進んでいる。役者は揃った」
 はまるで自分に言い聞かせるように言い、優しく包み込んでくれるその腕の中で微かな笑みを刻んだ。
 腕の中の彼女の雰囲気が柔らかくなったことに、アーロンも気づいていた。言葉をぽつりぽつりとこぼし過去を振り返りながら、彼女は自分が生きてきた過程を客観的にながめているようだった。
……ユウナレスカが消えたら、おまえはどうなる?」
「ユウナレスカが消えるときか、エボン=ジュが消えるときかはわからないけれど――異界へ行くことになるよ」
 この偽りの命が尽きるとき、ボクはボクでいられるかすらわからないけれど。
 アーロンにこの言葉を告げるつもりはなかった。殺されてもいいなんて、上から見下ろすようなことを思ったけれど、本当は違う。――他の誰かに殺されるくらいなら、あなたが最期の矢を放ってほしいと思っている。あなたにはその権利があるなんて、偽善にもほどがある。ボクはあなたに殺されたい。
 彼が、好きなのだ。強い思いを抱いてしまうほど、はアーロンに恋をしている。それを告げるつもりも悟らせるつもりもないが。
「一つだけ、約束をしろ」
「約束?」
「あぁ。一人で異界へ行こうとするな」
「異界へ行くのに一人にならずにどうやって行くんだよ…」
「俺を連れていけ」
 連れていけってね、あなたも異界へ行くんでしょう?
 呆れたように呟けば、アーロンは少しだけ抱き込む力を緩めて、の顎を持ち上げた。視線を絡ませればは視線を外す。それを許さず、アーロンは強引な手段で彼女の視線を自分へと縫い付ける。
 何が起こったのか、わからなかった。驚きに見開くその眼前には、赤。サングラスの奥の瞳がどんな色をしているかはわからなかったが、驚き見開くを見て満足そうなことだけはわかった。
 それは、一瞬だった。けれど、には長く感じた。
「なに、を…」
「おまえは、俺がおまえを殺すのが当たり前だと思っているだろう? ユウナレスカの中にいた自分が殺したと、そう思っているはずだ。確かにあの時の苦渋は忘れることなどできない。だがな、おまえは俺を勘違いしている」
 アーロンはの顎を上向かせて自分へと視線を縫い付けて、その驚きに大きく開いた瞳に自分が映っていることに満足そうだ。触れ合うほどに近くに寄せたの唇が震えていることに気づき、彼はふっと小さく笑って緩く唇を合わせた。
 少しの間だったが、それでもの心を揺さぶるには十分だった。
「どう…して…?」
「言わなければ理解ができないか?」
「だって…私が殺したんだよ? あなたを、あなたの大切だった彼らを」
「殺したのはユウナレスカだ、おまえではない。それに、嫌でも会うことになる。――異界でな」
 確かに最後に異界へ行く。そこへ行けば確かに会えるが……。
「おまえにはその言葉づかいの方があっている」
「え? あ…」
 意図して使っていた『ボク』という言葉。自分を女としてではなく男として見えるように。それは、アーロンに恋をしている自分を知っていたから。この思いを告げることを自分の中でよしとしなかったから。自分の戒め、だったのだ。
「異界へ行けば俺もおまえも自由だ」
「そうだね」
「おまえはきっと『』として逝けるはずだ」
 はぎゅっ、と目を閉じ、両手でアーロンの服を握った。この人は、が危惧していることをこともなげに言いあてた。
「目を開けろ、
 思わず閉じた瞳を開ければ、彼は10年前よりずっと渋さを増したその顔を近づけ、頬へと唇を寄せる。かすめ取るような口づけを頬と唇へとしてから、彼女の視線と自分のそれを絡めた。
「俺を、連れていくな?」
 それは質問だったが、最終確認のようなものだった。
「私で、いいの?」
「おまえでなければ意味がない」
「本当に?」
「ここまで言って、何を信じられないというんだ? おまえは」
「だって……」
 は目もとを赤くして俯く。今までにないその行動にアーロンは目もとを和ませる。
「これから先ずっと、おまえの傍で在り続ける。手放す気などない」
 言い切るアーロンの腕の中で、はそっと目を閉じ――そして、小さく頷いた。





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