【内 容】
写真 1 あん馬一級の練習(平成13年3月20日)
平成12年1月31日月曜日、私は福島市の国体記念体育館で、学校体育講演会を聞いてきました。主催が学校体育研究連合会。後援は県教委と福島市教委です。講師は上越教育大学教授の太田昌秀先生でした。
その時の要項からまず講師の先生のプロフィールを紹介してみましょう。
■昭和11年東京都生まれ
■昭和33年東京教育大学体育学部卒業
■世界体操選手権大会では
1974年ワルナ大会、体操競技審判員
1978年シュトラスブール大会、体操競技ヘッドコーチ
1979年フォートワース大会、体操競技団長
■オリンピック大会では
1976年モントリオール大会、体操競技審判員
1980年モスクワ大会、体操競技監督
■その他では
INF国際なわとび競技連盟会長
日本スポーツフォロギー学会会長
■著書多数
■講演のおおよその内容
体育は出来るか出来ないかがすぐ分かってしまう。出来ないと馬鹿にされる。
スポーツは文化、非日常的なもの。捨てられないもの。
人はみんな動きたい。上手だとほめられる。下手だとやりたがらない。
逆上がりは難しい。昔ドイツで百いくつもあった鉄棒の種目の中からようやく公認されてきた種目である。
出来る子はアブノーマルである。焼き物や油絵は百枚描けばパス出来るように体育の上手下手も運動量の多少の違いだけ。
遊びを組織してスポーツへ。今の時代遊びが本当に少ない。
私が大学で教えていること。吹き矢、竹のホラ貝、呼吸の問題。皿回し。空中あん馬。ストリートホッケー。
「心が動いてからだが動く。」
「バケツあん馬」で逆上がりが初めて出来た大学生。身体不自由児の空中ブランコ。話をしない子や不登校の子の心をほぐしてやる。
平成12年2月
■バケツあん馬の開始と足首の痛み
「バケツあん馬」で逆上がりが生まれて初めて出来た大学生の話を聞いて感動した私は2月頃早速「バケツあん馬」を始めてみた。
直径31センチ、深さ33cmのあまり大きくないバケツを用意する。4ページ図2の1。体育館の登り綱の先にロープでくくりつける。バケツの上の方は図2の1のHのように枠に穴を開け、底の方には図2AのAのようなヒートンをつけ、そこにロープを通した。
最初はやり方がよく分からなくて、くくりつけたところを中心にしてうつぶせで周りを回るだけのやり方だった。つまり腕立て伏せで一回転するというやり方である。仰向けでもやってみたがこれは長く続かなかった。
もっとくわしいことが知りたくて2月初め、この講演会を準備された松川小学校長(現渡利小学校長)の玉手先生から資料を送っていただく。しかし学年末、学年始めに入り、しばらくバケツあん馬はお休みとなる。
写 真 2
「バケツを用いたあん馬級別表」より
◆1.円馬上で(写真2で、手をついているものが円馬)
●30級:ゆかの上で右方へ1回、左方へ1回まわる。●29級:下向き移動、右および左へ5回まわる。●28級:下向きから、上向きに入れる。●27級:上向きから、下向きにぬく。●26級:両足入れ、ぬき。●25級:両足旋回 3回。●24級:両足旋回、5回。●23級:両足旋回、10回。●22級:両足旋回、手の位置を固定して 10回。●21級:両足旋回、入れながら少しずつ前移動(手の平分)半周。●20級:両足旋回入れながら少しづつ前移動(手の平分)1周。●19級:両足旋回、入れながら少しづつ前移動(1/2転向)。●18級:両足旋回、ぬきながらうしろ移動(1/2転向)。●17級:上向き転向 3回。●16級:上向き転向 5回。●15級:下向き転向、3回。●14級:下向き転向、5回。●13級:上向き1/2転向から円馬上縦向き旋回3回。●12級:下向き1/2転向から円馬上縦向き旋回 3回。●11級:シュピンデル3回(ツイスト3回)
【言葉の解説】下向き:おへそが下向きにある時。上向き:おへそが上向きにあるとき。入れる:下向きから上向きになること。ぬく:上向きから下向きになること。
◆2.あん馬の把手上で(写真1、8,11)
●10級:両足旋回 10回。●9級:両足ぬきから下向き支持で、順手前移動しながら1/2転向し、下向きの体勢で、両手で把手を握り、もとの体勢にもどる。●8級:両足ぬきから下向き支持で、逆手うしろ移動しながら1/2転向し、下向きの体勢で、両手で把手を握り、もとの体勢にもどる。●7級:上向き転向 3回。●6級:上向き転向 5回。●5級:下向き転向 3回。●4級:下向き転向 5回。●3級:上向き1/2転向から一把手上縦向き旋回 3回。●2級:下向き1/2転向から一把手上縦向き旋回 3回。●1級:シュピンデル3回(ツイスト3回)

◆講演会で聞いたバケツあん馬のやり方を自分の勝手な思いこみでやっていた。
5,6月
■腕立て伏せで回る
5月24日(水)の南達(安達郡の南の意味、本宮町、大玉村、白沢村)陸上の後頃からまた始める。児童の体力づくりの方法としてもどうだろうかと考えたわけである。
前のバケツをそのまま使ってやる。前のうつ伏せ、つまり腕立て伏せの状態でバケツを中心に回転、時計回り、時計と逆回り(このやり方はあとで間違っていたことに気付く)。同じように仰向けでもやるが、これはなかなか続かない。あるいは腕で支えて両脚の左右振りなどをやってみる。
7 月
■一輪車 バック乗りの距離が伸びる
■快食・快眠
■でも右足首が痛み出す
2日(日)それから今度は資料を読んでみて、新しい種目としてうつ伏せから仰向け、仰向けからうつ伏せの変換を試みる。しかし私の勝手な思いこみで、場所を変えずに同じ所でこれをやってしまった。出来ないことはなかったのでこれで良いと思い、1日(土)の授業参観で6年生が体育の種目の一つとしてやりたいと言われた時もこのように説明してしまったがこれは誤りであった。
しかしそれでも、この運動のためか一輪車のバック乗りがすごく進むようになった。倒れそうになってもバランスを取ろうとすると、それが出来たりしてバケツ鞍馬の効果を知る。またこの運動の後非常に快い疲れを感じた。家に帰るとそのまま畳の上でぐっすり眠ったり、朝目を覚ますと子供の頃の遠足の次の日の朝のような心地よい疲労感があったりした。また歌を歌うと高い音が気持ちよくカーンという感じで出せた。「手のひらを太陽に」の「まっかに流れる」の所など。
10日(月)朝の会に人体模型と小さなおもちゃのバケツを持って行って、バケツあん馬について話をする。一輪車のバックが進むようになったことも話をした。この前の週には、私の考案した道具を持って行って、ピアノを弾くための指を鍛える方法についても話をした。
図 2

◆講演会と玉手先生から頂いた資料をよく読んでみて間違いに気付いた。
7月17日(月)頃、夏休みに入る前、講演会でもらったバケツ鞍馬の説明書や、玉手先生から送っていただいた資料をもう一度よく見たらやり方が違うことに気付いた。マットについた両腕を中心にバケツに入れた自分の脚を回転させて、「仰向け」と「うつ伏せ」を繰り返すのだった。少し練習したら出来るようになったが、マットに着いた片腕を上げ、下半身を大きく回転させるのは非常に豪快な感じで快感がある。(5ページ写真3の@〜C)
しかしバケツは斜めにつられた状態になっているので、バケツの底が足首から先の方を強く押さえつける。そしてその中で足が回転するので足首が捻れ、痛むようになってきた。痛むところは右足内側のくるぶしの下。そしてその下の足の裏である。私は扁平足なので痛めたのかもしれないし、そのためになかなか直らないのだと思う。9月29日現在、まだ痛みは続いている。(平成13年1月2日現在、まだ痛んでいる。そして3月16日現在、まだ少し痛むが普通に歩けるようになったし一輪車にも乗れるようになった。筋力が付いてきたのか、足の裏もみ機で足をマッサージしているせいかもしれない。)
8 月
■足首の痛みが消えない。
■顔の色が良い
■右脇腹から太ももにかけての激痛
■回転二重バケツの考案
1日(火)これとは別に7月31日、うっかり斜めに吊ってしまったバケツから足が滑り落ちて左足を床に強く打ち付け、人差し指が(足の指もそう呼んでいいのか分からないが)紫色になった。はれて痛い。明日から三日間、校長経験四年目の人のための研修会が飯坂のあづま荘である。まあ明日はなんとかなるだろう、と思って次の日を迎えたが、腫れは引くどころか昨日より痛んでいて行くのも心配になってきた。県北事務所に問い合わせると、病院で診てもらってから来るようにとの指示を受け、町内のB整形外科に行った。幸い骨は大丈夫だったが湿布をしびっこを引きながら遅れて出かけた。ついたのは午前の講話が終わる少し前だった。どうしたの?と聞かれると説明が大変だった。これも痛みが取れるまで結構かかった。
そんな理由からバケツを改善する事にした。まず4ページ図2の2のようにバケツを大きくした。直径41cm、深さ50cm。しかし1の小さなバケツのような底でないので、ヒートンのねじの先がバケツの内部に出てしまう。それが足にあたって痛いので@のように木をつける。しかし今度はその木に足のつま先が引っかかりやはり具合が悪い。そこで同じバケツを買って図2の2のように二重にする。しかしそれでも足首の痛みは消えないので今度は中のバケツを回転出来るようにしようと考えた。
図2の2のバケツはBのようにまわりが凸凹になっているので、違うもの、しかも間に戸車をつけたいのでより小さいものを探す。その結果樹脂製の植木鉢にした。それが図2の3の中のものであり、7ページ写真4のAの左側のものである。外側のバケツには車が回るようにするために、長方形の穴を開け小さな戸車を木ねじでつけた。それが図2の3およびBのBCである。だからBのように外側には今も木ねじが顔を出している。これに引っかかると大変なので気を使いながらやった。ボールキャスターを1個を中央に付けた(図2のCおよび、写真4のC)。それから鉢の底は図2の3のように凸凹でやはり足が引っかかるので、底に板を丸く切って木ねじで止めた。
16日(水) このような改善により回転が大変に良くなった。時計回りも逆回りも10回は出来るようになった。それが下の写真3であり、学校のビデオカメラで撮影しプリントアウトしたものである。すると今度は登り綱につないだ部分が捻れてしまい、足首に負担がかかる事が分かった。そこでここには図2の3のFGのように自由に回転できる金具をつけた。
これでバケツはほぼ文句のないものになった。(とこの時は思ったのだが‥‥)
14日(月)家内と家に帰ってきていた娘から、顔の色が良くなったと言われる。肌の色も良くなった言われる。嬉しい。
17日(木)手のマットに着く位置を順々に移動させていく練習に入った。時計回りは調子良いが、逆回りはどうもうまくいかない。
時計回り、右腕を上げて足を後ろに回そうとした時、右の脇の下から右太ももにかけての長い筋に痛みが走った。危険を感じすぐにやめる。
この日はとても疲れた。家に帰ってもすぐごろ寝をし、夜は何もする気が起きずごろごろしていた。次の日目を覚ました時もすごい疲れを感じた。しかし気持ちよかった。
写真 3 (8月16日撮影)

18日(金)前述のようにバケツを二重にし中のバケツを回転できるようにしたが、右の足首の痛みは消えなかった。歩くのもつらくなってきたし、8月31日から9月2日までの5年生の宿泊学習の引率を考えると、直しておいた方がよいと思ったので、鍼灸院に行って治療を受けてきた。
19日(土)午後1時、義父死亡。本宮の公民館で地区PTAの研究集会に参加している時妻から電話が来た。
4時頃会津に妻と出発。都合で夜私だけ自宅に戻る。戻ってくしゃみをすると右脇腹の筋に激痛が走る。以後このためにも右足の動きが困難となり車に乗る時も脇腹が痛むようになった。用便の時も痛みが走り非常に困難となる。当然くしゃみをしても痛む。
21日(月)会津で義父の葬儀。
24日(木)右足首がまだ痛むので鍼灸院に行く。右脇腹の痛みは弱まったが一応話をして治療を受ける。この運動は少しきつすぎるのではないかと言われる。
確かにそうかもしれない。コーチもいない。準備運動もしない。準備運動などどうやって良いかも分からない。しかしこれをやってから肌はきれいになったといわれるは、一輪車のバックも上手になりそうだし、声のためにも良いし、よく眠れるし、食欲も出てきたし、で全く良い運動に巡りあったと思っているので大変に残念である。この夏休みはバケツの改良から始まりこれに命を懸けたと言っても良いほどだったのに、結末がこれでは本当に泣けてくる。5年生の宿泊学習にもついて行かなければならないのに本当に心配である。
25日(金)2学期始業式。式では歩くのも立っているのもつらかった。3時半頃学校を出て5時少し前に本宮のA整形外科に行く。「バケツあん馬」の説明は難しいと思ったので写真を持っていって説明する。レントゲンを撮るが異常なし。湿布薬を貼られ包帯を巻かれて終わり。
28日(月)このバケツ鞍馬のことをホームページに載せようと思ってバケツの説明のためのスケッチをする。それが4ページ図2であるが、それにかこつけて先生たちには内緒で2回転ほどバケツあん馬をしてみた。あん馬が原因で歩くのも困難になったし、私は校長として気恥ずかしく、先生方には遠慮があった。だから内緒にしたわけである。しかしあん馬はちゃんと出来た。これをやる時は足首が痛いということはない。特になんでもなかった。久しぶりにやって快い疲れを感じた。やはりこれは良い。止めるわけには行かない。
8月31日(木)から9月2日(土)まで五年生の宿泊学習でいわき海浜自然の家へ。本館とロッジへの往復が大変なので車と自転車を利用し何とか切り抜けた。湿布薬も持っていき毎日取り替えていた。しかし「アクアマリンふくしま」では、珍しくて歩き回ってしまいとても痛んだ。歩くのがつらかった。
◆バケツの中で足首が捻れるのだ。リング式にしてみよう。
9 月
■接骨院へ
■司馬遼太郎「世に棲む日日」を読む
■左腕、そして指先にかけて強いしびれ「むち打ち症のようなものです。」
■首にも包帯
4日(月)宿泊学習の振替で早く帰る。今度はD接骨院に行く。やはり写真を持って行って説明をする。
電気をかけられマッサージされ固定した方がよいといわれて、あて紙や綿を広げたやつなどぎりぎり巻かれる。しかしお医者さんは私より十歳ぐらい年上だろう、優しい笑顔の人間的な先生で、私の足をいとおしむようにマッサージしてくれ、バケツあん馬についても関心を持ってくれてとても気持ちよくなる。しかしその後も7ページ写真4のEのようにリング方式のものを作り包帯を巻いて続けている。見つかったら先生にしかられそうだ。
5日(火)合唱県大会の準備。玉井小の服部君(私の後輩。玉井小校長)も学校で足を痛めたのだそうで二人でびっこをひいている。なんか笑えてくる。
それから日曜日を除き私は毎日学校の勤務時間が終わるとまっすぐ接骨院に通った。和田の父兄や児童にも会う。待っている時や電気をかけてもらっている時は司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読んでいる。しかし良い先生なので心も安らぐ。私はそのために通っているようでもある。
9日(土) 一方、ホームセンターに板を買いに行き次の日曜日から、写真4の@〜Eのような新しい方式、リングタイプのの器具を作り始める。リングにすれば足首が圧迫されずに痛みはなくなるだろうと考えたわけである。リングの大きさなどは8ページ図3に示した。バケツあん馬を止める気など更々ない。
11日(月)朝の会。前に工夫したバケツ(図2の3)を見せ手足を痛めている話をする。接骨院で和田の人にあったことも言う。この中にも一人いますとも言う。一人私の学校の児童が来ていたのだ。「今朝、昇降口でお金をなくして泣いている人を見ましたが、先生も泣きたいぐらいです。でもあきらめず別な方法を考えようと思っています。」などと話をする。
月曜日の夜は外側のリング、合板を4枚あわせた板のまわりを切り落とし丸い形にする(写真4のB)。これは外側のリングである。一ヶ所だけ残してここにつるための穴を開けた。吊ってある写真は写真4のD〜E。しかし中のリングの回りをもっとよくするために、後で写真4のBのように吊る穴を別なところに変えた。
この日は寝るのも遅くなり火曜日は頭痛がした。
そしてその日の夜から、肩から左上腕にかけて今まで味わったことのないようないやな痛みが走るようになった。リングを作る時右足を普通に使うと痛いので、ひざから曲げて台の上に置き、左の手で板を強く押さえてのこぎりを使った。何とか足の痛みから逃げ出したくて、必死になってやった。それが悪かったのだと思う。後で接骨院のお医者さんに聞くとこれは筋肉の痛みではなく神経の痛みなのだそうだ。むち打ち症のようなものだといわれた。
12日(水)翌日、12日は血圧が高い感じ。体調が良くない。先生方の声も気になり校長室を何度も離れる。2時に年休を取って帰る。しかしこの日は彫刻刀をY先生から借り、家で外側のリングに溝を掘りボールキャスターをつける。写真4のC
13日(木)写真4の@Aのように植木鉢の上端を切り金属片4枚で止める。@の写真はその後作り直したもので八カ所で止めてある。その上にガムテープを貼った。(さらに11月には金属片を16ヶ所に増やし強度を高めた。13ページ写真7のA)
左肩左腕の痛みは依然として続いている。接骨院で電気をかけてもらっている時や家で寝る時に上腕が痛くてたまらない。しかしお医者さんにしかられそうで黙って我慢している。
写真 4


図 3 リングの設計

14日(木)校長会の帰り二本松のホームセンターで薄い発泡スチロールのシートを買って緩衝材としてガムテープでリングの内側に貼り付ける。7ページ写真4のD〜E。
15日(金)敬老の日。午前接骨院。昼ごはんを食べて1時半頃学校へ。新しいあん馬の実験をする。バケツでなくリングにすると段々とリングが太ももの方へ移動してくることが分かる。移動しないように足をリングに縛ってみたが片方の足を片方の足がまたぐので、緩衝スポンジが切れてしまった。校長室に戻ってキャスター板に取り付けてやることを思いつく。やはりずれるが直しながら出来ることも分かる。やはり収穫があった。いろいろやってみることだ。活路が出来てくる。気持ちも晴れ元気が出てくる。五時半頃学校を出る。オリンピックの開会式をテレビで少し見る。
17日(日)オリンピックの野球がアメリカにサヨナラ負けしたのを見届け、2時半頃学校に行きキャスター板につけた方法で体育館で実験してみる。しかしキャスター板は丸くスムーズには動いてくれず、うまくいかないことが分かる。やはり上からつったバケツの動きが最高であることが分かる。しかしこの方法だと私の足が参ってしまう。そこでリングを登り綱につけてやる方法に戻る。リングが太ももの方に寄ってきたら両足でリングを外側に動かすようにしてみたが、これだとうまくいきそうだ。この方法でやることにする。9ページ写真5がそれである。
写真 5

19日(火)昼休み音楽室で歌を歌う。「トゥモロウ」と「TSUNAMI」。高い音になると首から左腕そして指先にかけて強い痛みが走った。これはもう駄目だと思った。歌も歌えないようでは私は終わりだ。年休を取って早く帰り接骨院で肩の痛みを白状し治療を受ける。しかし「日曜大工」としか言わなかった。リングを作り鞍馬を今も時々やっています、なんて言えなかった。この日は夜PTAの役員会もあったので早く帰ったのだが、首にも包帯を巻かれ時間が遅くもなり、ショックも大きかったので役員会は欠席した。
23日(土)秋分の日、10時半頃学校に行く。中のリングのまわりをもっとよくするために、4つの滑り車の一つがリングの真下に来るように穴を開け直し、登りヅナから下げる位置を写真4のDからBのように変えた。
そして「リングあん馬」をやる。少しスムーズになった。時計回りはうまくいったが、逆回りにすると左手が痛くてほとんど出来ない。足のずれの修正も逆回りはうまくできない。でもこれも腕が痛むせいだ。早く腕が治ってくれると良い。11時35分学校を出て接骨院へ。
1時半頃家に戻る。昨日の飲み会のせいもあろうがご飯も食べず4時半頃まで寝てしまった。リングあん馬のせいだ。本当によい運動だと思うのだ。
29日(金)現在、まだ右足首が痛い。接骨院通いもずっと続いており「世に棲む日日」もだいぶ読み進んだ。吉田松陰や高杉晋作の生き方に励まされている。歩ったり長く立っていると痛くなってくる。左腕は首の痛みから来ているというので、首にも包帯を巻いている。これも19日から治療を受けているが、まだ完治していない。いつかみんな直って「リングあん馬」を楽しみ、一輪車に乗り、歌を歌っていきたい。
10 月
■リング吊りのねじれを解消
■接骨院はお休み
■歯痛の始まり
■吾峰会の研究物に応募
2日(月)夜、息子とテレビのチャンネル争いが発端で口げんかとなる。息子も将来の方向が定まらずいらいらしている。
大きな声を上げたためかその後目がちかちかして頭痛が始まり気分が悪くなる。確か血圧が上がったのだ。そのため次の日は学校に行っても大変調子が悪かった。学習発表会の予行がありその反省会があったが、最初立って話をした時はめまいがして倒れるかと思ったほどだった。運動が全く出来ず毎日の接骨院通い。そして口げんかなど、悪い条件がそろってしまった。
4日(水)幼稚園の県北ブロックの研究集会があって白沢の幼稚園の先生たちと一緒に、村のバスで川俣町に行く予定であった。集合場所の役場の駐車場までは行ってみたが、頭痛がして体調が悪く、糠沢の鈴木校長先生に断って家に戻った。午前はいっぱい眠った。午後になってから気分も落ちついたのでリングあん馬の改良に入った。
改良しようと思っていたことは、登り綱に付けたロープが捻れないように、4ページ図2の3のFGのような金具を付けてはみたが、実際はスムーズには回転せず捻れていることが分かったからである。これではやはり足に負担がかかるだろうと思ったのだ。そのためにどうするか、家にあるボールベアリングを間に付けるか、鉄工所に設計図を書いていって作ってもらうか、私の回転丸椅子を利用するかなどといろいろ考えてみた。
写真 6

その結果、最後は上の写真6のようなものになった。自転車の前輪の車軸を利用した。自転車の部品はいろいろな物に応用できることはこのホームページの随想「一輪車と私」に書いておいた。登り綱に付ける上部にはスポークを付ける穴を利用して針金を付け、下部は木にドリルで穴を開けねじで取り付け、そこにリングを下げるロープつけることにした。
4日(水)これを4日の午後に考え上部の針金だけを付けた。次の日5日、木曜日、学校で下の木の部分にドリルで穴を開けロープを取り付けた。出来たものはすぐに実験したい。その日学習発表会の練習が終わるのを待ってやってみたが、大変スムーズに回転した。次の日は学習発表会の前の日だったが、会場の準備が終わるのを待ち、自分の歌の練習をやった後、少しやってみた。やはり具合はよい。
8日(日)この日は午前中が幼稚園の運動会、終わってからまた学校でやってみた。かなりやったがあまり足や腕にダメージはなかった。これでうまくいってくれるといい。
この日から右足には土踏まずの所に新聞紙を小さく切って巻き、ガムテープで足に固定して歩いている。平たい足の裏に異物を巻き付けているのでそのところは痛いが、これを付けたら前から続いている痛みは感じなっくなった。これを併用して接骨院で治療を受けるのがいいのではないのだろうか。扁平足なので足がくにゃくにゃしてしまうのだと思う。
しかし右足首、左腕のしびれは消えなかった。9月初めからほぼ毎日通っていたのにだ。少々私も元気を失った。勤務時間が終わるとすぐ学校を出てくる日が続いていたので、学校の勤務もおろそかになっているようでたまらなかった。そのため10月の中頃から接骨院に行かないようになった。
16日(月)それに変わって、今度は歯医者通いが始まった。妻の買ってきたいつもの歯間ブラシと違う大きなものを使ったら、左上親知らず歯の奥が激しく痛むようになってしまった。それで16日(月)から始まり、以後いろいろなところの歯が痛み始め全て終わったのは12月20日だった。まさに「弱り目にたたり目」であった。
24日(火)は「村教育関係者懇談会」の打ち合わせが夜公民館である。
そういう中で10月は吾峯会の研究物募集に応募しようと、研究のまとめに月末まで必死に取り組んだ。31日、附属小にそれを持っていった。しかし入選は出来なかった。
11 月
■バンドソーの購入
■外リングのスリム化と、ドアの把手を利用したポメルあん馬の製作
ポメル:pommel(馬の鞍:英語),pommel horse(あん馬)
■腰痛も再発、そして頭痛
足の痛みがなか足の痛みがなかなか消えないのであん馬の練習はかなり控えるようにした。しかし止める気は毛頭なかった。私は外リングの軽量化と次の、少し本当のあん馬に近づき、ポメルをつかんでやるポメルあん馬(13ページ写真8)に進む準備を進めた。
まず木製の外リングのまわりをきれいな円に切り落とし、軽量化を図り見た目にも美しくしたくなった。そのためにどうしても電動のこぎり(バンドソー、左の写真)が必要になりホームセンターYに10月の末、注文した。約2万円。
4日(土)ポメルあん馬(13ページ写真7のBC)の準備のためドアの把手をホームセンターWに注文。ドアの把手をポメルに利用するなどグッドアイディアではないか。(とこの時は思ったのだが。)
5日(日)注文したバンドソーを学校に持っていってまわりを丸く切り落とす。とにかく外リングの板の厚さは6pなので刃がこぼれてしまい途中で切れなくなり15センチぐらい切り残してしまった。
14日(火)注文したドアの把手が来る。これも約2万円。
16日(木)県小教研主題設定協議会。県ハイテクプラザの帰り、ホームセンターYで把手を取り付けるためのボルトとナットと板を買う。
◆19級まで進むと説明文や図では分からなくなってきた。手のつかむ位置がはっきりしている把手あん馬の方がわかりやすいだろう。
11月17日(金)図4の@(単位cm)の大きさでポメルを製作し、初めて把手あん馬をやってみるが、板が小さすぎて不安定。大きくする必要がある。
図 4

18日(土)学校は収穫祭。午後ホームセンターYに大きな板とバンドソーの替え刃を買いに行く。
19日(日)喪中のお知らせの印刷。これと同時進行で把手を60p×90pの大きな板に付け替える。それが上の図4のA。13ページ写真7のBC。
20日(月)業間の時間に大きな板に付け直した把手でやってみる。2年生が授業をしていて2年生にもやらせた。ポメルあん馬はまだつかむ力が弱いせいかうまくいかない。やったあとは気持ちもいいが頭痛もするのが気になる。
23日(木)勤労感謝の日。バンドソーの刃の取り替えをあぐらをかいてやったせいか腰痛を起こす。あちこち痛いところばかりで心もいらいらの状態にある。この後外リングの切り残しを切り落とす。少し曲がって凸凹になってしまう。
25日(土)腰痛のため妻の車でA整形に行く。
27日(月)腕のしびれも右足首の痛みも取れないので久しぶりにD接骨院に行く。この週からまた通ってみようと思ったが、あて紙や包帯や着替えの準備がうまくいかなくて、結局通院はこの日だけになってしまった。
12 月
■やらないと体調が悪くなる かまわずあん馬をやろう
■つま先を伸ばしてやろう 足首の痛みが取れるかもしれない
■体育館が寒い
■左腕のしびれが消える
■デジタルビデオカメラを買う
4日(月)頭痛がするので血圧が心配となりC内科医院に行く。血圧は140〜91と言われ安心する。
8日(金)午後4時、久しぶりに「手あん馬」と「ポメルあん馬」をやる。最近運動不足になって体調が良くない。もうかまわずあん馬をやろうと心に決めた。そして多少高いが鍼灸院に行って治療を受けそして続けようと方針を決めた。
13日(水)鍼灸院に行く。4000円。高い。左腕のしびれはまだ続いていたのだ。
16日(土)左上の親知らず歯を抜かれる。午後あん馬をする。
20日(水)鍼灸院へ。
22日(金)終業式。あん馬をやるが腕が疲れている。
24日(日)ポメルあん馬。時計回りで左手の握力不足と左体側の筋力が不足しているせいかうまくいかない。
中リングの左右の取り付け部がずれやすく回転が良くないので、一つの取り付け金具に使う木ねじを2本から4本にする。これは夜家でやったが左手小指が疲れていて仕事がつらい。この日の疲れはひどかった。翌朝は起きるのがつらかったし、腰も少し痛かった。
25日(月)外リングにヤスリをかけペイントを塗る。グレーに(写真7の@A)。午前は東和町役場に行き旗まつりの旗をもらってくる。午後学校に行き学校の後ろのSさんの家から竹をもらってくる。しかしそのあと、和田神社もあり、岩角山もある和田の人達に対し失礼だと思いとりやめた。
26日(火)外リングと中リングを組み立て体育館でやる。疲れのためかあまりうまくいかない。雪。寒くて道路凍結。スリップする。18時から鍼灸院へ。
28日(木)午前中あん馬。ビデオに撮ってみる。体育館は寒く疲れもあり余りうまくやれない。
29日(金)午前あん馬。ビデオ撮影。3時鍼灸院へ。左手のしびれはほぼなくなった。夜ビデオからプリントしてみるがやはり縞模様が入る。どうしてもデジタルのビデオカメラが欲しい。
30日(土)ビデオカメラのレンタル店にあたってみるがデジタルはないとのこと。午前学校に行ってあん馬。足首の痛みが出ないようつま先をピント伸ばしてやるように努力する。
31日(日)デジタルが欲しくて大型古道具店に行ってみる。あったが結構高く古くてやはり買う気になれない。その足で大型電気店Dに行ってみる。いいのがあって欲しくなる。午後、妻がいわきから魚を買って帰ってくる。デジタルカメラの話をし了解を得て大型電気店Dに買いに行く。夜実験をしてみるがやはりプリントアウトしても縞模様は入らなかった。
写真 7

平成13年1月
■太田先生に手紙を出し返事が来る。ビデオも送ってもらう。
1日(月)元旦、21世紀が始まる。12時頃学校へ。まず木幡の旗まつりの旗を付ける竹の枝の残りを切り落とし二階に上げる。長くて重くて大変。
そのあとあん馬、新しいテジタルカメラで撮影。夜プリントアウトしてみる。ばっちり。それが13ページ写真8、および上の写真7のBCである。つま先は伸ばしてやっているつもりだがまだしっかりたっている。
写真 8(平成13年1月1日撮影)

ポメルを使う10級以上になると、玉手先生に送ってもらった「バケツあん馬ハンドブック」の説明だけではどうしてもやり方が分からなくて、練習が出来なくなってきた。そこで大学の住所を調べ思い切って太田先生に手紙を出してみた。
千 葉 栄 様
拝 啓
本年は大雪に見舞われ、毎日雪との戦いです。先日はお手紙拝見いたしました。先生の情熱と執念に心打たれました。
このあん馬は昔1977年、ソフィアで開催されましたユニバーシアード大会に遠征した時に、ブルガリアのナショナルコーチから頂いたものが始まりでした。初めは円盤状の回転可能なものでしたが(写真9 送っていただいたビデオテープからプリントアウト)、その後日本ではバケツを利用するようになりました。私が日本体操協会で競技委員長を行っていた頃に全国のジュニア育成のためのバケツを用いた円馬のトレーニングを普及いたしました。
その後一般の人達にも可能であることに気がつき大学生女子の初心者に遊ばせてきました。
この円馬で遊んでいるうちに、腕の支持力はもちろんのこと、体全体が引き締まり、いろいろなスポーツ運動の基礎的体力、感覚、バランス、体の締めの感覚が身に付きます。大変面白いと同時に、いろいろなスポーツに役立ちます。子どもたちには一輪車と同様、最も大切な教材になるでしょう。
バケツを用いた円馬の練習の方法はビデオで見ていただければおわかりと思います。
バケツに入れる両足は必ず滑る靴下と長いジャージのズボンをはいて下さい。バケツの中で滑り足先は容易に回ります。
私のゼミの大学4年生がバケツあん馬から逆上がりへの学習転移をテーマとして卒業論文を書いております。その資料を用いたビデオをダビングいたしました。参考までにお送りいたします。
寒さ厳しき折柄、ご自愛下さい。 敬具 太田 昌秀



3日(土)太田先生へのお礼状を出す。
午後少し高く作り直す。やりやすくなり逆手でも出来るようになる。
18日(日)ハガキに従いポメルを作る。13日に実験したポメルをそのまま使ったので、ハガキよりは長い。ハガキの大きさだとドアの把手ポメルよりもさらに短いことになり、私にはこの長さでは出来ないと思う。私の未熟さだけではないような気がする。ただポメルの間隔はハガキの通りである。(写真10の@)
■太田先生から送っていただいたビデオから、自分なりの記号を考えて図示することにより、やっと演技の仕方が具体的に分かり、練習がスムーズに進むようになった。逆回りにも挑戦。しかしまた左腕が痛み出す。
2月25日(日)9級から1級まで一応やってみる。左の手を軸にする3/4回転がつらい。墜落して肘を打つ。板にスポンジでもはろうか。
28日(水)ポメル板にスポンジを置いて翌日実施。スポンジは26日(月)にホームセンターYに買いに行く。厚さ1.5mm。19ページの写真10のC。
3 月
2日(金)久しぶりに一輪車、竹馬をやる。一輪車は国旗掲揚塔からスタートし体育館のわきを通り校門の少し先の低鉄棒のところでUターンして10メートルほど戻った。和田小に来ても最長の記録だ。でも久しぶりだったのですごく疲れた。
8日(木)一輪車バックを久しぶりにやる。まだ校庭は柔らかく思うようには出来ない。
12日(月)給食再開!
15日(木)今日も校庭は柔らかく思うようには進まないが、コントーロールする力は確かに付いたことが自覚できた。
16日(金)高校入試の2日目。試験の終わった卒業生女子4人が体育館に遊びに来た。このうちの何人かは卒業式の日にも来た。「あん馬をやらせてくれ」と言うのでやらせてみたら「結構おもしろい!」と喜んでいた。
20日(火)春分の日。午後から学校に行き、あん馬一級の演技と、一輪車の前進、後退をビデオに収める。それが写真11、12。髪が乱れている。これをもってこの「now」も終わりにしたい。(けれども、まだまだ、まだまだ先があった。)
写真 11 あん馬1級、シュピンデルの練習(3月20日撮影)


写真 12 一輪車前進・後退(3月20日撮影)

26日(月)この頃から9〜1級の逆回転も練習に取り入れるようにした。ハンドブックは全て時計回りで書かれているので体のバランスを取るためである。17ページの図6を参考にして9〜1級を逆回りの図に書き直し、これを見ながらやっている。
29日(木)9,8級の逆回転の練習。
31日(土)29日の練習がきつかったのか、左の肩胛骨から左腕にかけて痛む。左親指のあたりにはしびれがある。鍼灸院に行って治療を受けてくる。「かなりきつい運動のようですね。」と言われた。
4 月
1日(日)左腕の痛みを初めて感じたのは昨年の9月11日のことだった。あの時は右足の痛みから不自然な姿勢で大工仕事をやったためだと思っていたが、また同じ痛みが出てきたということは、この運動をするには私の左腕があまりにも弱すぎるということなのかもしれない。私は右利きであるが、若い時から左腕が平均以下、異常に弱いと思ってきた。またそれがこのあん馬でも出てきたのだろう。しかし「続けていれば何とかなる」、そう思っている。やめようとは少しも思っていない。
16日(月)朝の会でリングあん馬を実演して見せた。10級と1級をやる。10級はうまくいったが1級は失敗する。
4月に入ってからも週に一度鍼灸院に行って治療を受けたがほとんど改善が見られなかった。先週の初め、10日頃から左腕の痛みがひどくなり、前日の日曜日、朝の会のために練習した時も痛みに耐えられずうまくいかなかった。肘の関節がグニャッという感じもした。子どもたちには体育担当の先生がやっていいといったらやってみなさいと話した。
朝の会が終わってから体育専門のT先生にあん馬を伝授する。
21日(土)この週は左腕の痛みも最高潮。特に上腕は時々強い痛みが襲う。そして腕全体のしびれ、けいれん。人差し指はしびれっぱなしである。
10時、校長会。20日にも鍼灸院に行ったのだが全く良くならない。自宅にもどり痛みがひどいのでA整形病院に行く。しかし往診中とのこと。しょうがなくてその足でB整形外科に行く。首のレントゲン写真を撮られ、軽い頸椎椎間板ヘルニアとの診断を受ける。「治るまではかなりかかりますよ」と言われた。
この後ほぼ毎日通院。毎日通って腕を暖められ首を牽引してもらい注射を打ってもらう。飲み薬も飲んでいる。しかしほとんど改善が見られない。
「出来たら首にカラーを付けた方がいいですよ」といわれB整形から買って付けることにする。むち打ち症の時などに首につけるものだ。写真13。
ところでこのB整形外科への通院で一つの大きな楽しみがある。それは手塚治虫の長編漫画「ブッダ」を読めることである。手塚治虫の漫画は「鉄腕アトム」をはじめ私の精神形成に大きな影響を与えてくれたものの一つである。今この苦しみの中でブッダが私を支えている。その内私も悟りを開くかもしれない。そういえば最近頭が一層光ってきている。
25日(水)児童会。首にカラーを付けることになったことを宣言し子どもたちの前で付けて見せる。写真13の@
昼の放送の校長先生の時間もギターが弾けないので、何回かビートルズの鑑賞にした。
写真 13 ↓ 失意に沈む千葉栄氏

5 月
10日(木)昼の放送。「校長先生の時間」だが左腕が痛くてギターが弾けない。鑑賞にする。
12日(土)4年生7名の希望で1時半より凧教室を開く。夕方、風が出て高く上がった。
24日(木)B整形のすすめで郡山の南東北病院に診察を受けに行く。頸椎の6,7番目に異常があるようだとの診断をうける。MRI検査を奨められる。
25日(金)南達小中学校長会、歓送迎会。帰り阿武隈川の堤防のところでよろめき左腕の肘を打ち紫色になる。弱り目にたたり目。
6 月
3日(日)カラーを付けて凧作り。写真13のA
5日(火)南東北病院に行ってMRI検査を受ける。すごく待たされた。10時20分からということだったが検査が始まったのは12時近く。MRI検査というのは身体には何の悪影響はないという事だが、音がうるさいのだそうで耳栓をされた。ゴトンガタンガタンなんて変な音がする。そしてその検査を元に診断を聞いたのは1時を過ぎていた。
診断は前回の通り。少し椎間板がはみ出ているとのこと。あと一ヶ月半ぐらいの治療が必要と言われた。
翌日、B整形の先生にこの報告をする。そして「やはり頸椎をやられたのはこの運動(あん馬)が悪かったのでしょうか。」と聞いてみたら「いやそれも原因の一つでしょうがおそらく数パーセントでしょう。とにかく首の動きというのは一日何万回もするわけです。そして何年も生活していれば誰でも悪くなりますよ。」という事だった。私は「それならばこのカラーをしっかりやってあん馬をやれば、痛くならないのではないだろうか。」という考えが浮かんできた。
7日(木)「校長先生の時間」。ようやくギターが弾けるようになる。「島歌」の弾き語りをする。
16日(土)大分痛みが取れてきた。湿布薬もほとんど不要になってきた。
6月17日(日)トトロの絵を描くために学校に行く。そして腕の痛みも軽くなってきたのであん馬に再挑戦。カラーを首にしっかりと巻いてマットだけを敷きポメルを使わないでやる。逆回転は痛みを感じずうまくいく。時計回りはやはり左肘に力が入らずクニャッとする感じ。怖くてやめた。しかし新しい痛みは出なかった。
20日(水)マットを敷かず時計回りに思い切って挑戦。すると右上腕の後ろの筋が引きつるように痛んだ。驚いてすぐやめた。しかしこの時も痛みがぶり返すと言うことはなかった。
24日(日)今日も午後からトトロの絵を描きに学校行く。行く途中蒲を3株だけ卒業生Yさんの家の休耕田からもらっていく。電話でお願いしていた。
そして今日もあん馬をやった。しっかりカラーをまいてやる。時計回りも逆回りもできた。痛みは特に感じなかった。ポメルでもやったが出来た。さてそしてこれから私はどうなるのだろうか。
26日(火)〜27日6年生修学旅行引率。
28日(木)「校長先生の時間」。子どもたちの希望もあり、今売れているケミストリーの「Point of No Return」の弾き語りをする。
29日(金)南達陸上反省会。ガーデンKで飲み会。
30日(土)朝5時半幼稚園奉仕作業、いささか疲れて一度家に帰り朝2時間休んで学校へ。
■セッチャンの死
7 月
1日(日)PTA授業参観。球技大会ドッジボール参加。これが悪かったのだろう。左腕の痛みが再発。
2日(月)振替休業日、学校で所長訪問の資料作成。パソコンの新しいプリンターを買う。
5日(木)〜7日(土)東北校長会秋田市出張。非日常的な無理な行動が悪かったのだろう。ますます左腕の痛みが強くなる。
8日(日)午前中、学校。明日の所長訪問のための経営の概要など作成。左腕が痛む。幸い今日の当番医はB整形、ブロック注射をしてもらう。
9日(月)事務所長訪問
10日(火)この日も痛む。B整形でまたブロック注射。
痛みがなかなか取れない。前の痛みよりも強く別なところの痛みも出てきたようだ。首の牽引の時も痛くて一週間ほど休んで貰った。「湿布薬が今日も欲しい」「やれない」で看護婦さんともめ事も。
今度もやはり病院備え付けの手塚治虫「ブラック・ジャック」を読む。手塚治は絵ばかりでなくストーリー作家としても一流であったとあらためて思っている。
12日(木)「校長先生の時間」。またギターが弾けなくなり「日本昔話 かみそり狐」にする。
その後多少痛くても首の牽引を我慢してやって貰う。それが良かったのかいくらか改善の兆候。
15日(日)パソコンが一杯になってきたのでの「圧縮」を試みる。始めたのは夜の11時前で終わったのは、なんと翌朝の6時過ぎだった。徹夜をしてしまった。
24日(火)夏休みに入る。器官別検診で郡山の寿泉堂クリニックに行くが、左腕が痛くて運転が辛かった。
