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金蠅/E.クリスピン

The Case of the Gilded Fly/E.Crispin

1944年発表 加納秀夫訳 ハヤカワ・ミステリ386(早川書房)

 まず、事件の不可能状況がいささか微妙。死体発見直後の、“ここ三十分は、あの人(注:イズー)以外、この部屋に出入りした人間がいない”(83頁)というウィリアムズの証言により、いわゆる“視線の密室”が形成されていますが、後の尋問の際に証言している*1ように、実際には建物の中の様子までは“監視”できていなかったわけで、“密室”というにはかなり緩い状況です。しかし、あくまでも“密室もの”の体裁をとったまま進んでいくのが、本書のポイントではないかと思われます。

 巻頭の見取図には現場付近の様子がしっかり描いてあり、それをよく見てみれば、すでに建物の中にいた人物ならば現場に出入りできることは明らかなのですが、作中ではそのあたりが明言されることはなく、むしろ意図的に隠されている節があります*2。特に事件発生直後のディスカッションでは、ロバート・ウォーナーが階下に降りてきたことには言及されている(97頁)ものの、そこからいきなりアリバイによってウォーナー犯人説は否定され(98頁)、現場への出入りには触れられないまま終わっています。

 トリック自体、密室トリックとしては少々ちぐはぐなトリック――犯人が“密室”に入ることなく殺害したにもかかわらず、事件発覚前に“密室”に入らなければならない――になっているところをみても、本書の本質は“密室もの”ではなく、ただ一人現場への出入りが可能だったウォーナーのアリバイを崩す“アリバイもの”ととらえるのが妥当でしょう。しかしながら、“アリバイもの”であることが前面に出されると犯人が見え見えになってしまう*3のは免れないわけで、それを防ぐために本書は注意深く“密室もの”に偽装してある*4、と考えることができるのではないでしょうか。

 さて、犯人が仕掛けたアリバイトリックは、かなりの綱渡りになっているのが難ではありますが、なかなか面白いと思います。肝になるのは、アリバイトリックでは定番の“犯行時刻の錯誤”(犯行時刻を実際より遅く見せかける)ですが、犯行推定時刻より前の実際の殺害手段が“視線の密室”と組み合わされることで、犯行推定時刻以前に(一見すると)犯行不可能な時間帯が生じる結果、犯行時刻を前に動かすことなど思いもよらない状況になっているのが、アリバイトリックとしては巧妙なところです。

 “視線の密室”を回避するその殺害手段自体も、発射された銃弾が一部屋を通過するというユニークなトリックで、向かいの部屋も含めて窓が開けられていたという偶然に頼ったもの*5ではありますが、よくできていると思います。また、ウィリアムズの“手前がきた時には窓はしまつていたんですから、窓の外から撃たれることもないですからな”(83頁)という証言も効果的です。

 一方、空砲を使った犯行時刻の偽装の後、現場からの脱出は相当な危険を伴うものですが、フェンが語っている(217頁)ように居間で隠れてウィリアムズをやりすごすことも不可能ではないでしょうし、自殺に見せかけるためには凶器の拳銃を現場に置いておく必要があるのですから、一か八か(?)やってみる価値はあるのではないでしょうか。結局、自殺に見せかけることには失敗したわけですが、それでも何とかアリバイが成立しているのが面白いところです。

 なお、“犯人は西の中庭を通つて来た”(189頁)というウォーナーの失言が、解決の手がかりになっているのには納得できますが、犯人の立場からすれば、実際に銃弾を発射した西の中庭には絶対に注意を向けたくないはずで、失言にもほどがあるとも思います。

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 最終章で明らかにされる金蠅の指輪の意味が、シェイクスピア由来だというのは作者らしい、そしてもちろん劇作家のウォーナーらしいところですが、イズーにふさわしいとはいえ、“姦通の象徴”といわれても面白味に欠けるというか何というか。作中でフェンが推測している、“イズーの生活目的にたいして皮肉な敬意をしめしながら、同時に『因果応報』の理を暗示しているのだろう”(232頁)というウォーナーの意図も、今ひとつピンとこないところがあります。

 しかしここで、ウォーナーがイズーを殺害した動機が、痴情のもつれとは関係ない(ある意味では)意外な動機だったことを考えれば、金蠅の指輪は動機をごまかすためのミスディレクションだった、とした方がよかったのではないでしょうか。いずれにしても、最後の最後まで引っ張るような謎とはいえないように思われるのですが……。

* * *

*1: ウィリアムズは、“ウォーナー氏が手洗所へおりてくる足音か、その姿”(109頁)、さらには“手洗所の戸を閉める音”(110頁)にも、気づかなかったと証言しています。
*2: 訳文の古さによって状況がわかりづらくなっている部分もあるように思われますが、決してそのせいだけではなく、(詳細はいわば“見取図に丸投げ”する形で)文章としてはあえて説明不足気味にしてある印象です。
*3: これは本書に限った話ではなく、“アリバイもの”では特定の容疑者のアリバイが問題とされるのが普通です。
*4: 加えて、拳銃を持ち出したジーン・ホワイトレッグをはじめとして、容疑者を増やすような工夫もなされています。
*5: ウォーナーの当初の計画がどうだったのか、少々気になるところではありますが。

2014.02.13読了

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