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ガラスの麒麟/加納朋子

1997年発表 (講談社)

 ネタバレなしの感想にも書いたように、「ガラスの麒麟」では安藤麻衣子殺害事件は解決されず、「三月の兎」から「暗闇の鴉」までのエピソードを挟んで、「お終いのネメゲトサウルス」でようやく決着を迎えています。

 安藤麻衣子の死が直接の引き金になっている「鏡の国のペンギン」と、安藤麻衣子の人物像に光が当てられている「暗闇の鴉」。これらに比べて、「三月の兎」「ダックスフントの憂鬱」では、安藤麻衣子(の死)との関連は薄いように思えます。しかし、(ネタバレなしの感想には書きませんでしたが)〈被害者〉安藤麻衣子だけでなく、〈犯人〉、そして〈探偵〉神野菜生子もまた、間違いなく本書の主役なのです。結局のところ、発端である「ガラスの麒麟」と結末である「お終いのネメゲトサウルス」に挟まれたエピソードは、〈被害者〉・〈犯人〉・〈探偵〉の関係に厚みを持たせるためのものといえるのではないでしょうか。

 「お終いのネメゲトサウルス」では、野間直子が描いた似顔絵を目にした時点で神野菜生子が〈犯人〉を知った可能性が示唆されています。しかし、「三月の兎」から「暗闇の鴉」までの“回り道”を経由することによって初めて、〈被害者〉・〈犯人〉・〈探偵〉の複雑な関係が織りなす事件の全体像が浮かび上がってくるようになっているのです。

「ガラスの麒麟」
 神野菜生子が真相を見抜くまでに提示された情報を並べてみます。

1) 2月21日の夜、少女が通り魔に遭遇していること(この場面では“明日は二月二十二日”と書かれています)
2) 安藤麻衣子が殺された日から野間直子が学校を休んでいること
3) 安藤麻衣子が殺されたのが、2月の最終日から7日前であること(葬儀の場面では“事件が起きてから、もう六日経つ。二月は残すところ、あと一日だけだ。”と書かれています)
4) 野間直子が犯人と犯行の様子を知っていること

 このうち、神野菜生子が知り得たのは2)〜4)だけで、これ(実質的には2)と4)のみ)を手がかりに、“安藤麻衣子が殺された前日(2月21日)に野間直子が通り魔に遭遇した”という結論を導き出すのは、やや無理があるように思います。あくまでも可能性の一つにすぎないでしょう。
 一方、読者にとっては、1)で挙げたように2月21日に少女と通り魔が出会っているのは確かなのですから、神野菜生子が示した結論が補強されることになります。つまり、読者のみが知り得た情報によって推理の妥当性が保証されているのです。
 しかし、それでいて読者に真相を見抜かれることのないよう、日付のトリックが仕掛けられているところが見逃せません。閏年の出来事であることを伏せたまま3)の情報を提示することで、1)の場面に登場する少女が安藤麻衣子だと誤認させるというそのトリックは、ややアンフェア気味ではあるものの、なかなか巧妙だと思います。

「三月の兎」
 謎解きは非常にシンプルで、やや物足りなく感じられます。伏線はしっかりしていると思うのですが……。
 結末は印象的ですが、ややできすぎの感もあります。

「ダックスフントの憂鬱」
 なぜばかりが切り裂かれているのか、という疑問に対する解答は非常に鮮やかです。

「鏡の国のペンギン」
 成尾さやかが実際に後をつけられている場面を冒頭に置くことで、神野菜生子の推理が当たっていることを読者に対して保証するという、「ガラスの麒麟」とまったく同じ手法が使われています。が、落書きの主が誰かの視線を感じているという推理はやや乱暴ですし、発見者である成尾さやかが落書きの主だという結論に至っては、まったく合理的な根拠がありません。このあたり、ミステリとしてはかなりお粗末といわざるを得ないでしょう。
 “見えない人”のトリックにはなかなかの説得力があると思うのですが、最後に示されるプリクラの真相につながる伏線がないのも残念なところです。

「暗闇の鴉」
 謎解きそのものは「三月の兎」と同じパターンですが、重要なのはむしろ、二つの手紙による安藤麻衣子のイメージの反転、そして白→黒→白という窪田由利枝のイメージの反転でしょう。

「お終いのネメゲトサウルス」
 ようやく安藤麻衣子殺害事件が解決していますが、単なる通り魔の犯行ではなく、〈探偵〉である神野菜生子自身の事件であったという結末が秀逸です。〈犯人〉から“好きな人”へ、そして〈探偵〉から“魔女”へという反転も鮮やか。
 それにしても、〈犯人〉に名前すら与えられていないのが、何となく意味深に感じられます。

2003.08.08再読了

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