そして誰も死ななかった/白井智之
本書では、殺害した被害者が復活する可能性を想定した犯人が、犯行時にザビマスクで顔を隠したことで、被害者にも犯人がわからないまま、フーダニットが成立するという状況がまずよくできています。
- ・[牛汁の解決]
全員が死んだように見える中で、蠟で固められて顔がよく見えない肋だけは身替わりの死体を使うことができた――という、シンプルで穏当な(?)推理によって〈犯人は肋〉とされています。
- ・[肋の解決]
[牛汁の解決]は、蠟の中から肋本人が現れたことですぐに破綻しますが、左腕を骨折した状態で梯子の上まで死体を運ぶのは困難な上に、死体が出血していた(*1)ので事前に準備したものではない、という肋の反論も妥当です。
ここで肋は、“最後の死者が犯人”として殺された順番に着目した推理を披露します。一般的に〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉では、殺された順番が“推理される”ことはまずない(*2)わけですが、本書では、被害者がよみがえる設定はもちろんのこと、これまた〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉ではあまり例を見ない立て続けの犯行ということもあって、殺された順番を推理する余地が生じているのがユニークです。
主な手がかりとされているのはザビ人形で、手にしたはずのザビ人形が届かない位置にある斉加年、さらにザビ人形と死体の状態に齟齬がある饂飩と牛汁については、死後に何者かが手を加えたと考えられるので“最後の死者”ではない、という推理にはなるほどと思わされます。残る二人は、殺害時にはずれた肋のネックレスが沙希の死体の下にあったので、沙希の方が後に死んだというのも納得。ということで〈犯人は沙希〉となります。
細かいことをいえば、ザビ人形の推理については、どこまでが犯人の意図した“初期状態”だったかわからないので、やや危ういところがあるようにも思われます。例えば饂飩の場合、犯人が一旦は浴槽の水に沈めたものの、泥人形が溶けて完全に崩壊するのを避けるために引き上げた、ということはあり得るのでは(実際には沙希がやった(243頁)わけですが)……と考えた(*3)のですが、まさか斉加年のザビ人形が移動されなかった(*4)とは思いもよらず。
最後に残った犯人が、殺人に見せかけて自殺した――という推理の大筋は納得できるものですが、後に牛汁が指摘する問題は別にしても、そもそも、
“あらかじめ自分の舌をちょん切っておいた”
上で“硫酸をかぶったあと、岩にぶつけて瓶を割って、破片をごっくんした”
(いずれも172頁)という、あまりにも凄絶すぎる自殺は、どう考えても常人には無理でしょう。*1:
“親指の爪が真っ二つに割れ、隙間から血が流れていた。床板にも微かに血痕がついている。”
(130頁)。
*2: 思い出せたのは、“内部”で事件が進行する描写がないために〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉という印象が薄い、麻耶雄嵩の短編((以下伏せ字)「春の声」(『貴族探偵』収録)(ここまで))くらいです。
*3: 斉加年が“呑気にザビ人形を溶かしてたら、他の四人の殺害から時間が空き過ぎてしまう。”
(208頁)と否定していますが、そこまで時間がかかるのかどうか、少々微妙に感じられます。
*4: 作中でははっきり説明されていませんが、斉加年が“最後の死者”であり、牛汁が一人で斉加年の死体を発見した際(126頁)には二階へ上がることなく、肋と二人で二階へ上がった際にはすでに“爪先のあたりに腕の千切れたザビ人形が倒れていた。”
(158頁)のですから、犯人である斉加年自身がそのように置いたことになります。
- ・[斉加年の解決]
[肋の解決]に対しては、まず牛汁が沙希の死体の姿勢の問題を指摘します。
“脇腹から流れた血が背中へ真っすぐに流れている”
状態が“上半身を岩にもたれさせ”
(いずれも153頁)た姿勢と矛盾するのは確かで、死後に死体が動かされたことは確実です。続いて斉加年が指摘するのは、“ザビ人形による死体の見立て”を犯人自身が崩すとは考えられない点で、ザビ人形を動かしたのが犯人以外の人物だとすれば斉加年・饂飩・牛汁は“四人目の死者”でもない――その一方で、斉加年・饂飩・沙希が、“四人目以降の死者”であるはずの肋の死体を目撃している(*5)という矛盾が鮮やかです。
斉加年の推理は、死体現象による死体の浮き沈みを利用してザビ人形を移動させたというもので、〈犯人は饂飩〉ということになります……が、後に作中で否定されている理由以上に問題なのが死体現象の時間で、牛汁が饂飩の死体を発見した時点でザビ人形はすでに浴槽の外にあったわけですから、それまでに死体が一度沈んでから浮いたことになりますが、この間はわずか六時間しかない(309頁の「タイムテーブル」を参照)ので、そこまで死体現象が進むのは明らかに不可能です(*6)。
*5: 殺された被害者の証言まで手がかりとして使えるのは、やはりこの作品ならではといえるでしょう。
*6: 医師である斉加年がこの不可能なトリックを持ち出しているのは、真犯人であることを暗示する伏線といえるかもしれません。
- ・[饂飩の解決]
[斉加年の解決]に対する饂飩の反論は、一貫して死体がうつ伏せだったために、ザビ人形のトリックが不可能だったというもの。口の中に残ったピアスの留め具という手がかりが効果的ですし、斉加年の説明したトリックを(1)ザビ人形を体に乗せておく、(2)死ぬまで水を飲まない、の二つのポイントに分解し、両立が困難である(*7)ことをわかりやすく示してあるところもよくできています。
五人のうち四人がよみがえったことで、残った沙希が“最後の死者”=犯人となりそうなところ、殺された順番に関する推理を完全に無効化してしまう、“犯人がすでに死んでいた”という仮定がやはり面白いと思います(*8)。そして、ホテルの自動ドアを作動させた斉加年(75頁)、骨折で痛みを覚えた肋(83頁~84頁)、耳が切れて出血した饂飩(82頁)、指を切って瘡蓋ができた沙希(86頁)がそれぞれ除外され、〈犯人は牛汁〉ということになります。
ただしこの推理、“犯人が牛汁とスニーカーを履き替えた”ことを出発点としていたはずが、〈犯人は牛汁〉という結論になってしまうと、前提が怪しくなってくるのは否めません。一応、牛汁が自分でスニーカーを履き直した可能性にも言及されています(230頁)が、その場合でも靴紐の結び目の違いには説明がつかないでしょう。
*7: とはいえ、[肋の解決]での沙希の自殺トリックに比べれば、まだしも可能性があるかも――と思えてしまうのがアレですが(苦笑)。
*8: 設定からすると、もっと早く持ち出されてもおかしくなかったようにも思われますが。
- ・[沙希の解決]
[饂飩の解決]に対して、駐車場で襲われて出血してから現在まで、牛汁には死んでいる暇がなかった――という、他の三人が知り得なかった“枠外”の手がかり(*9)で牛汁の容疑が否定されるのが、やや反則気味(苦笑)。
そして事件については、牛汁の腕時計の亀裂と血痕を手がかりにした細かい推理から始まり、気づかない間に“丸一日過ぎていた”――クルーザー内の一酸化炭素中毒で“全員が死んでいた”という、あまりにも大胆すぎる“真相”の連打に驚かされますが、それにとどまらず、天城館での“連続殺人”を〈犯人は不在〉と結論づけてしまう豪腕には、さすがに唖然とさせられるよりほかありません。
何といっても、牛汁は鯨に打ち込んだ釘、肋は鯨から発生したメタンガスの爆発、斉加年は鯨が河口をせき止めたことによる鉄砲水の衝撃、饂飩は同じく鉄砲水の直撃、そして沙希は鯨の胃酸と、“鯨づくし”のバカトリックのインパクトが強烈。事態を丸く収めるための“ダミーの解決”(*10)とはいえ、いくら何でも無茶苦茶にすぎるのではないかと思いますが(苦笑)、例えば肋がライターの火をつけようとして“襲われた”場面など、ある程度までつじつまが合う(*11)ようによく考えられています。また、“ザビマスク”をひび割れた鏡の反射(*12)で説明してあるのもうまいところです。
*9: 確かに
“朝一の送迎が午前十一時前に始まって、終わるのが深夜十二時過ぎ。”
(62頁)と書かれているのですが、まさかこんなところの記述が手がかりになるとは……。
*10: 少なくとも、牛汁が死体を発見した状況の描写と矛盾する――ザビ人形を置いて回ったことになっている牛汁が、死体に驚くのはおかしい――ので、読者には“ダミーの解決”であることが明らかでしょう。
*11: 後に作中で指摘される点以外では、例えば、饂飩の死体が全裸になっていた(と思われる)のは鉄砲水のせいにできないので、少なくとも饂飩本人は気づきそうです。また、肋をアトリエに呼び出した手紙について、“出したのが誰かは詮索しないでおくよ”
(258頁)とされたまま終わっているのは気になりますが……。
*12: 牛汁がラブホテルで晴夏を殺しかけた場面に、“枠に残った牙みたいな鏡に、晴夏の目玉がいくつも並んで見えた。”
(45頁)とヒントが用意されているところが見逃せません。
- ・[沙希と牛汁の解決]
[沙希の解決]で一旦は落ち着いたものの、少なくとも“全員が死んでいた”という“真相”が脆弱なのは致し方ない(*13)――というのはもちろん、“死んでいた”かどうかは[饂飩の解決]ですでに検討されているからで、肋の場合にはさらに出血の手がかりで自ら[牛汁の解決]を否定したわけですから、“真相”に疑問を抱くのは自然です。体温に関する指摘には微妙なところがあります(*14)が、携帯電話の日付は決定的です。
かくして〈犯人は斉加年〉であることが確定したところで、牛汁は斉加年の血痕が偽装だったと指摘していますが、
“問題は(中略)天城館の中では、液体は床に対して斜めに落ちたように見えるはずなんだ”
(284頁)というのは、言わんとするところはわからなくもない(*15)ものの、それが描かれた“斉加年の顔から真っすぐ落ちたところに血痕が見えた。”
(159頁)という記述では、むしろ“(重力に従って)真下に落ちた”ように読めてしまうのが大きな難点です。それはさておき、読者からすると、それまでの解決で一人だけ犯人とされていないので、斉加年が真犯人であることはメタ的に見当がつきますし、一人だけ“殺される”間際に“ザビマスクの犯人”を見ていない(184頁~185頁)ことからも、それは十分に予想できるでしょう。一方で、斉加年は“最後の死者”のようには思えないわけですから、少なくとも一部の被害者については“殺害時には死んでいた”という鉄壁のアリバイがあることになります。つまり本書の眼目は、“どうやって斉加年が犯人たり得たのか”というハウダニットにある、といえるのではないでしょうか。
ということでまず驚かされるのは、牛汁が頭に釘を打ち込まれた状態で生きていたという無茶な真相ですが、不可能とはいいきれないように思いますし、牛汁の腕時計が正しくは(*16)五時半に止まったという手がかりからすると納得せざるを得ないところでしょうか。また、死後十二時間でよみがえると思われていたところが、実際には六時間で復活するという点にも驚愕です(*17)。さらに、牛汁の“死体”を饂飩の死体に見せかけるトリックもうまいところですし、スニーカーだけがクローズアップされた陰から、ルームウェアなどすべて脱がされたという真相が飛び出してくるのも愉快です。
そして、犯人自身が死んだ後に発動する自動殺人トリックにも驚かされました。牛汁と肋の復活をトリガーとしているところがよくできていますが、そこから先の具体的な仕掛けそのものよりも、“時間稼ぎ”が主目的である襲撃と殺害の分割が、そのまま自動殺人トリックを隠蔽する強力なミスディレクションになっている――犯人が直接被害者を襲撃していることで、被害者も読者も自動殺人トリックを疑いにくくなっている(*18)――のが非常に秀逸です。
斉加年の動機は、被害者が復活することを想定していた時点で、復活するかどうか――晴夏と関係を持ったかどうかを確認するためであることはほぼ明らかです(*19)が、被害者たちに恨みがあるわけではないので一気に殺害したことが、フーダニットを成立させるのに一役買っているのが見逃せないところです。そしてその動機を考えると、『そして誰も死ななかった』という題名で明示されている“結果”が何ともいえないところですし、にもかかわらず、最後に首がなくなっても条島を目指す斉加年の姿は、あまりにも強烈な印象を残します。
*13: とはいえ、“死んでいた”ことにしなければ沙希の舌が切られていたことに説明がつきませんし、牛汁の責任で“全員が死んでいた”ことにしなければザビ人形を置いて回る人物がいなくなるので、やむを得ないところではあります。
*14: 肋は“もしぼくが死んでいたら、体温がないことに気づかないはずはない”
(274頁)としていますが、二人とも死んでいる場合には温度差があまりないはずなので、どうなのか疑問です。実際には、牛汁が肋の死体に触れた際に“肌は陶器のように冷たかった。”
(137頁)とされているものの、寄生虫が“擬心臓”
で“体液を循環させてる”
(いずれも191頁)とすれば、体温がある方が自然ではないか、とも思えるのですが……。
*15: 正確にいえば、続けて沙希が持ち出すtan5°の計算で、ようやく趣旨がわかりました。ちなみに、五度というのはさすがに傾きすぎで、床の傾斜(高低差)でも“五メートル”
で“四十三・七五センチのずれ”
(いずれも284頁)となるわけですから、生活自体が困難――というか、危険なので解体を命じられてもおかしくはなさそうです。
*16: 時刻を誤認させる、腕時計の上下を逆にした“トリック”が効果的です。
*17: これは、特殊設定が十分に説明されていなかったという意味ではアンフェアといえなくもないのですが、腕時計の手がかりで時刻が示されているので、まあセーフでしょうか、。
*18: 犯人が被害者の復活を想定していた以上、復活後に焦点となるはずの“殺された順番”にトリックを仕掛けるところまで、予想することも不可能ではなかったのですが……。
*19: “復活するかどうか”だけでいえば似たような前例がある、ということもありますし。