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ぼくのミステリな日常/若竹七海

1991年発表 (東京創元社)

 まずは個別の作品から(一部の作品のみ)。

「桜嫌い」
 靴の中に入り込んでいた桜の花びらから吉本氏の嘘を見抜く推理は見事です。また、吉本氏が桜嫌いだという事実によって他の可能性が否定されているところもよくできています。

「あっという間に」
 注文したメニューが暗号になっていることは予想できると思いますが、おなじみの「かわいいこっくさん」という真相は非常に秀逸です。体の各部分を使うブロックサインという対象の特殊性がうまく生かされているところや、“田鶏”(カエル)という手がかりの微妙な目立ち具合も見逃せません。そして、実はかなりあからさまなヒントとなっていた題名もお見事です。

「箱の虫」
 怪談「箱の虫」との類似点が、ミスディレクションとしてうまく機能していると思います。本来は独立したものだったいくつかの出来事が、怪談の状況と似ているために勝手に組み合わさってしまい、真相を見抜きにくくなっているのです。
 そして、巧妙にばらまかれた、夏見の思考をたどる手がかりも印象的です。

「ラビット・ダンス・イン・オータム」
 サイトー氏の出したヒントには、やや釈然としないものがあります。作中では、サイトー氏が“東京”と言いかけて“関東”と言い直したことを手がかりに、名前が変更されたばかりの関東通産局の統計だと推理されています。しかし、仮に名前が東京通産局のままだったとすれば、サイトー氏は“東京の五番目の県”というわけのわからないヒントを出すつもりだったのでしょうか。かといって、“東京通産局”というところまで明らかにしてしまえば、難易度はかなり下がってしまいます。結局、サイトー氏が“東京”という言葉を口にすることが不自然に感じられてしまいます。
 しかし、円山氏の話として書かれた部分の“サイトーさん”という表記(ただし、推理部分の“斎藤さん”という表記は少々あざといようにも思えますが)など、そこから先の間接的なヒントはよくできていると思います。特に、最後に説明される“月”の理由は鮮やかです。

「写し絵の景色」
 この作品にはかなり無理があると思います。芋版では十数枚しか刷ることができないため、今回に限ってエディションを15枚に変更したというのであれば、その旨あらかじめ画商に連絡されていなければ不自然でしょう(50枚受け取りにきたつもりがいきなり15枚ということになれば、画商も大変困るのでは?)。しかも、ナンバリングは“1/15”から“15/15”という風に、総数がわかるように書かれるはずですから、盗難騒ぎは起こり得ないのです。
 芋版を取り替えて合計50枚刷るつもりだったということも考えられるかもしれませんが、それならば50枚全部が完成してから受け取りにくるよう画商に連絡するのが自然ですし、別の芋版を使えば作品にも微妙な違いが出てくるのですから、版の違いがわかるようなナンバリングの表記がされるのではないでしょうか。

「バレンタイン・バレンタイン」
 中心となるチョコレートの謎は面白いものではあるのですが、仕方ないとはいえ、手がかりが少ないために推理のかなりの部分が想像をもとに作り上げられているところが弱点といえるかもしれません。
 その弱点を補うかのようにもう一つのトリックが仕掛けられていますが、こちらはかなり巧妙です。三人で会話しているという事実が途中まで丁寧に隠されているだけでなく、会話の終盤(“義理チョコじゃなかった”のあたり)になって三人目の存在が暗示されているところが秀逸です。ただ、“美奈子”と“美奈ちゃん”ではなく、名字で識別するのが自然ではないか、とは思いますが。

「吉凶春神籤」
 “毛利さん”が印刷工場に関わっていることが明らかになった時点で、中心となるおみくじの謎は解けてしまうのではないでしょうか。そうなると、封筒の走り書きの謎がまだ残っているとはいえ、かなり物足りないものに感じられてしまいます。

 「ちょっと長めの編集後記」に書かれた七海の推理のきっかけとなった干支という手がかりは、丹念に配置されているものの、あまりにも目立たなさすぎるように思います。ただ、一人の人間が月一ペースで謎に遭遇するのは不自然だともいえるので(冒頭の先輩からの手紙の中で、“自分で体験した、もしくは人から聞いた話”と書かれています)、逆にそれが複数年にわたって起きた出来事だということ、ひいては時系列に沿っていないということを示す伏線になっているといえるのかもしれません。

 また、七海による説明の中にはありませんが、「消滅する希望」「吉祥果夢」の2篇が明らかに異色であることも、推理の手がかりとなっているのではないでしょうか。この2篇はどちらも、怪談めいた幻想譚である上に、“ぼく”が謎を解いていない(「吉祥果夢」に至っては、謎らしい謎が登場しない)という特徴があります。2篇だけ毛色の変わった話が入っているのはなぜなのか、というところから作者(辺里)の意図を深読みしていくのは十分あり得ることだと思います。

 その七海の推理をひっくり返すポイントとなっている、“ナーガ”及び“普賢菩薩”の使い方も鮮やかです。

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 そして、「配達された最後の手紙」では辺里の真意が明らかにされています。七海が推理したような殺人の(間接的な)告白ではなく、告発だったという再逆転は非常によくできています。しかも、結果的に七海が「ちょっと長めの編集後記」において、辺里の計画をアシストした形になっているところが、何ともいえない読後感を加えています。辺里の名前を明かしたことももちろんですが、七海自身が滝沢の死を殺人だと推理したことも重要です。この推理の存在によって、滝沢の死が不自然だという印象が一層強調されているのですから。

2003.03.07再読了

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