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叫びと祈り/梓崎 優

2010年発表 創元推理文庫432-11(東京創元社)
「砂漠を走る船の道」

 ケンプの死を受けて一触即発の状況下で斉木がひねり出した、“事故と自殺のキマイラ”という解決もなかなか面白いと思いますし、ケンプ自身が長の遺体にナイフを突き立てたことが伏線になっている感もあります。が、やはり殺人だと考える方が自然なのは確か。

 焦点となる殺人の動機は、遺体を道標に――完全に“物”として扱う凄まじいもので、インパクトは強烈。しかし、キャラバンにとっての塩の重要性がしっかりと描かれ、また“儂しか知らぬ道がいくつかある”(29頁)という長の台詞や“余分なものは、何ひとつ持っていない”(33頁)といった伏線が配置されるなど、想定しがたい動機を成立させる状況が構築されているのが見事です。

 動機が明らかになれば、“集落への旅路は十度目”にして“まだ、全行程を把握し切れない”(17頁)というバルボエが犯人であることは明らかですし、ケンプの遺体にナイフが残されていたことから“あちこち刃こぼれ”(26頁)したナイフしか持たないカスランには皆殺しは不可能で、妥当な推理でしょう。

*

 ところで、この作品にはラクダのメチャボを人間の子どもと見せかける叙述トリックも仕掛けられていますが、最初の“小柄な姿は、彼がまだ子どもであることを表している”(18頁)というのは(“おとな(の駱駝)ではない”という意味なので)いいとして、“なぜ子どもがキャラバンに参加しているのか。”(18頁)は(“ラクダ”が省略されているとしても)やや微妙ですし、“斉木を興味深そうに見ていた子どもが、メチャボだった。”(20頁)などは(ここで“子ども”と呼ぶ理由がない*1ので)いささか不自然であざとく感じられます。“メチャボにはできねえよ。(中略)ような子どもにはな”(50頁)というカスランの台詞に至っては、“おとなには可能”というニュアンスになってしまっているので、その後のやり取りと整合しません。

 そこまでしてメチャボがラクダであることを隠してあるのは、単純に叙述トリックの暴露によるサプライズを狙ったというよりも、亡くなった長以外に砂漠の道を知る存在であることをぎりぎりまで伏せておくことで、最後にバルボエの犯行の動機を一気に崩壊させる*2ことを意図したものと考えるべきではないでしょうか。

「白い巨人」

 まず“兵士パズル”をめぐる推理合戦では、某海外古典短編*3を思わせるサクラの推理、そして見方によってはバカトリックともいえるヨースケの推理が披露されていますが、それらが否定された後に示される斉木の解答は、“あのパズルは、フェイクなんだな”(90頁)という伏線*4もあるとはいえ、人間消失の謎そのものを土台から突き崩す豪快なもの。またその真相が、現代のアヤコの消失を解明するのに何一つ役立たないのも面白いところです。

 そのアヤコの消失についても、サクラの不穏すぎる推理と真相との二段構えになっているところがよくできています。“保護色”という真相そのものはやや拍子抜けの感もありますが、過去の消失と合わせて一本といったところでしょうか。

 サクラがスペイン人であることを隠す叙述トリックは、真相を示唆する伏線がどうも見当たらないのが少々気にはなるものの、サクラとアヤコの“距離”を(読者が想定していたよりも)一気に広げてみせることで、それをともに乗り越えようとする二人の思いをより強く印象づけることに成功していると思います。

「凍れるルーシー」

 リザヴェータの不朽体という“奇跡”が解かれるべき謎なのかと思いきや、いきなり修道院長殺害が暴露されるのが衝撃的。修道院独特の一日の始まりはやや把握しづらいものの、それでも猫の鳴き声は手がかりとして目につきやすく、平穏に(?)進む物語の陰で事件が起きていたことに気づいてしかるべきだったかもしれませんが……。

 祈りの間から修道院長が出ていないことから、リザヴェータの“不在”という意外な真実が浮かび上がり、斉木らが目にした“リザヴェータ”の正体が修道女スコーニャだったこと――“黒いヴェールをかぶった人間がひとり、目を閉じて横たわっていた。”(156頁)という地の文の記述が事実そのままだったことが明らかにされるのが見事。そして、リザヴェータの“奇跡”の身代わりとして“生ける聖人”をあてた――その遺体が腐らないことを期待して――という斉木の推理は、いわゆる“異形の論理”として納得のいくものです。

 しかしそこにとどまらないのがこの作品のものすごいところで、リザヴェータの不朽体が“存在しなかった”という“奇跡”の合理的な解決をあざ笑うかのような、さらなる“奇跡”――リザヴェータの復活という凄まじく恐ろしい結末*5が用意されているのが圧巻です。

「叫び」

 死を目前に控えた人物を殺害する、一見すると無意味な殺人の動機についてはいくつかの例があります*6が、作中でアシュリー医師が持ち出した“病による苦痛を取り除く”という動機はかなりわかりやすいものです。一方、斉木がアシュリーを犯人と想定した医師ならではの動機――“歩く不発弾を解体”するための殺人は、なかなかものすごいと思います。が、どちらも返り血を防ぐ手段があるとはいえ、自ら感染する危険を冒してそこまでするとは考えにくいのも確か。

 しかして、犯人はすでに返り血を浴びながらも赤の彩色で見えなかった――感染を恐れない人物、すなわちすでに感染していたアリミリが犯人だったという真相は、壮絶極まりないと同時に、“被害者のみならず犯人も死を目前にしていた”究極の状況が、動機をこれ以上ないほど不可解なものにしています。

 そして、斉木がついに推理で到達することができず、ただ悟ることになった“最後の一人になるため”という動機は、シンプルでわかりやすいがゆえに、それを支える基盤=文化が斉木(ひいては読者)のそれと隔絶していることを、強く際立たせることになっているように思います。

「祈り」

 これまでの四篇すべてに斉木が登場していることもあって、“僕”=斉木という真相にも驚きはあまりないのではないでしょうか。この叙述トリックの使い方は「砂漠を走る船の道」に通じるところがあるというか、これまた叙述トリックで隠された事実そのもので読者を驚かすのではなく、むしろ作者としても見抜かれるのは承知の上で、そこから派生する新たな謎――斉木が“なぜそうなったのか”という謎を読者に暗示することに重きが置かれているように思われます。

 その解答は――斉木の身に何が起こったのか知っていることもあって――森野によって示されますが、これまでの作品にもそこに至る過程が伏線として示されているのが巧妙。すなわち、「砂漠を走る船の道」「白い巨人」で謎解き役をつとめた斉木が、「凍れるルーシー」では完全に謎を解くには至らず、さらに「叫び」ではまったく誤った推理にとどまり、“理解できない何者かなど存在しないはずだ”(258頁)という信条を打ち砕かれることになっているわけで、“理解”を推理の裏付けとしている節のある斉木の役どころの変化に、斉木の信念を揺るがす“澱”の蓄積が表れているといえるでしょう。

 それでも、“ゴア・ドア”が象徴する祈りに改めて光が当てられ、「白い巨人」でのサクラとアヤコの再会が救いとして示されることで、再生への希望が生まれ始めているラストが、強く印象に残ります。

* * *

*1: フェアな記述につとめるならば、“斉木を興味深そうに見ていたが、メチャボだった。”とすべきところでしょうか。
*2: 「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 叫びと祈り / 梓崎 優」で、“旅の途中で亡くなった長しか知らなかったというあるものの謎解きがなされた瞬間、異形の論理に支えられていた動機の實相が見事に無化されてしまう”とされているのは、この点を指しているように思われます。
*3: (作家名)クレイトン・ロースン(ここまで)(作品名)「天外消失」(ここまで)
*4: 解明の手がかりではなく、真相を納得させるための前フリとしての。
*5: この後、事態にどのように収拾がつけられたのか気になるところですが……。
*6: エアミステリ研究会による同人誌『非実在探偵小説研究会~Airmys~陸號』に収録された光田寿「メキシコ翡翠の謎」では、“殺人状況が必要無い場での殺人分類”が行われています。

2013.12.12読了