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砂漠の薔薇/飛鳥部勝則

2000年発表 光文社文庫 あ37-1(光文社)

 まず、作中で挙げられた〈第一の解決〉から〈第八の解決〉までを一覧にしてみると、ほとんどの〈解決〉(もしくはその否定)に“死体の首がないこと”が関わっているのが目を引きます。

 犯人解決の根拠否定される根拠
第一の解決小野麻代死体発見と同時期に失踪した
第二の解決竹中真利子死体が“顔のない死体”だった小野麻代が生きていた
第三の解決小野麻代〈第一の解決〉と同じ首を切断して持ち去る理由がない
第四の解決岡辰子憎しみのあまり首を切断した(推測)首を持ち去る理由がない
第五の解決州ノ木正吾女の子の首が欲しかった(推測)自身が殺された/アリバイがある
第六の解決明石尚子絵を描くために女の子の首が欲しかった(推測)アリバイがある/トリックは実行不能
第七の解決槍経介首を持ち去るところを目撃された
第八の解決奥本美奈犯人しか知り得ない事実を口にした

 〈第一の解決〉~〈第三の解決〉はいずれも“顔のない死体”トリック絡み。〈第一の解決〉から〈第二の解決〉への“反転”はご承知のように“顔のない死体”トリックの典型で、小野麻代の生存が確認されたことによる〈第三の解決〉――正確にいえば〈第一の解決〉への回帰――も含めて面白味はありませんが、手順としては不可欠でしょう。

 そして“顔のない死体”トリックが否定されたところで、いよいよ“首切りの理由”がクローズアップされていくのが見どころ。〈第四の解決〉にはいささか無理があるように思われますが、少なくとも岡辰子に首を持ち去る理由がないのは納得できるところで、首なし死体だということをうまく“再利用”してダミーの解決をひねり出してあるというべきかもしれません。そして〈第五の解決〉と〈第六の解決〉は、いずれも“首そのものが必要だった”というストレートな首切りの理由を、エキセントリックな芸術家の人物像によって“ありそうな”ものにしてあるのが作者らしいところです。

 〈第五の解決〉が否定されるところまではいいとして、槍経介による〈第六の解決〉で披露される氷のギロチンを使ったアリバイトリックは、いくら何でも実現可能性に乏しい――作中でも指摘されている(341頁)ように、氷の刃が溶けて鋭さを失ってしまうのは明らか*1――もので、さすがに苦笑せざるを得ません。というわけで、トリックが明かされた瞬間にそれがダミーの解決だということは見え見えなのですが、アトリエのトイレが汲み取り式だという事実(30頁参照)が伏線となっていたのに驚きとともにまた苦笑。

 続く明石尚子による〈第七の解決〉は、それまで伏せられていた目撃の事実に基づくもので、フーダニットとしては難があるといわざるを得ませんが、そこで槍経介の口から明かされる真相はなかなか強烈です。

 瞬間、彼はノコギリを手にしていた。突然、それが右手に出現したのだ。やっぱり夢は夢にすぎない。自分に都合よくできているし、何をやっても犯罪にはならない。とりあえず、少女の首を切り落としてみた。生首のできあがりだ。しかし、これをどうしようというのか? どんなトリックに用いる? 思いつかぬまま、彼は首を持ち去った。
  「異界C もう一人の私」(230頁)

 「殺したいから殺した」での奥本美奈との会話から、「異界B 異次元」「異界C もう一人の私」が槍経介の視点で記述されている*2ことはわかりますが、いわゆる“信頼できない語り手”であることを前面に出しつつ首切りの場面を大胆に紛れ込ませた仕掛け――“逆夢オチ”とでもいうべきでしょうか――には、思わず唖然。この後の箇所で妻の享子が指摘する記憶の欠落が、真相を示唆する伏線になっているともいえますが、当の槍経介がすべて“夢”だと思い込んだまま*3の、実に淡々とした現実感の希薄な“犯行”は、やはり強力なミスディレクションとなっています。

 さらに、第三者からみればおよそ合理的とはいえないものの、推理小説を書こうとして苦悩していた槍経介ならではの“首切りの理由”が秀逸。

 しかし、もったいない――と彼は思う。
 これでは普通の殺人ではないか。美和は殺しただけで、何もせずに出ていった。犯人ならトリックを弄するべきだろう。そうしなければ推理小説にならない。頭に『生首』という文字が浮かぶ。指が切られているのなら、首が切られていてもいい。彼には、それが整合性のある考えに思えた。
  「異界C もう一人の私」(230頁)

 上に引用した竹中真利子の首切りの時点では具体的なトリックを思いつかないままの“見切り発車”であり、州ノ木正吾の首切りの際には“もう一人の私”が書いた『聖なるアントニウスの誘惑』をベースにしたトリックが使われた(ように演出する)という違いはありますが、いずれにしても“現実”と“虚構”の境界線が曖昧になった槍経介による推理小説の具現化――いわば推理小説の“見立て”となっているのが面白いところで、“小説を書き上げてから伏線を付け加え、補強するのは自然な行為ではないでしょうか”(347頁)という槍経介の言葉もまた何ともいえません。

 また、首切りに関しては“視点人物=犯人”のみならず“探偵=犯人”でもあるわけですが、明石尚子が“自分の推理を語りたいがために、ただそれだけのために”(348頁)と指摘しているように、“探偵が犯人になった”のでも“犯人が探偵になった”のでもなく、推理小説らしい解決を行うための犯行、すなわち“探偵になるために犯人になった”という構図がユニークだと思います。

 そして最後に残る〈第八の解決〉は、“絵の中の生首に索溝……首を絞められた跡が残っているから”(344頁)という発言が目立つこともあって最終的には意外性を失っている感もありますが、思いのほか数多く配置されていた伏線に脱帽。とりわけ、“解決篇”でも引用されている「殺したいから殺した」冒頭の一段落(185頁~186頁)が圧巻で、州ノ木正吾殺しをストレートに記述してあるにもかかわらず、それが軽い口調で“普通の高校生”(185頁)の日常(?)描写に埋め込まれることにより、真相が見えにくくなっているのが見事です。

 殺人と首切りとをそれぞれ別の人物に担当させ、殺人犯である視点人物自身にも驚きをもたらすことで、事件発覚時の心理描写を自然なものに見せかけるというのは、“視点人物=犯人”ものでしばしば用いられる手法ではありますが、本書では殺人と首切りの両方について、つまり二重の“視点人物=犯人”という真相が用意されている、何ともぬけぬけとした仕掛けにニヤリとさせられます。

*1: 刃先が下に向けられる――水滴がそこにたまりやすい――ので、なおさらです。
*2: ついでにいえば、「異界A 地下室」が州ノ木正吾の視点で描かれているのは間違いないでしょう。
*3: ちなみに、この「異界C もう一人の私」で名前の出る美和と由香、すなわち州ノ木正吾の姪である“団城美和”“その妹の由香”(いずれも183頁)は、『冬のスフィンクス』に登場しています。

2010.12.28読了