作者紹介
ご存じの方にはいうまでもありませんが、ジョン・ディクスン・カーは1930年代から1970年代まで活躍したミステリ作家です(1977年没)。アメリカ生まれですがイギリスに長く在住し、大半の作品ではイギリスが舞台となっています。本名のジョン・ディクスン・カー名義、及び筆名のカーター・ディクスン名義(最初はカー・ディクスン名義だったが、後にカーター・ディクスンに統一された)で、多数の作品を残しています。
江戸川乱歩のエッセイ「カー問答」(短編集『黒い塔の恐怖』に収録)では、カーの作品の特徴として、不可能犯罪、怪奇趣味、ユーモアの三つが挙げられています。しかし、不可能犯罪はともかくとして、怪奇趣味とユーモア(どちらかといえば「ドタバタ喜劇趣味」といった方が正しいと思いますが)の二つについては、作品により、また時代により、かなり扱われ方にばらつきがあります。
それよりも、カーの最大の特徴は、その見事なストーリーテリングにあるといえるでしょう。提示される謎、手がかりの見せ方、そして真相の隠し方、いずれも一級だと思いますし、怪奇趣味やドタバタ喜劇趣味、さらにはよく描かれるロマンスなども、読者の興味を引くと同時に、真相を隠すためのミスディレクションとして、あるいは手がかりとうまく結びつけて使用されていることが多いと思います。
時には、あれこれと盛り込みすぎて過剰に感じられることもありますが、基本的には巧妙な作品が多いと思います。
作品紹介
ジョン・ディクスン・カー名義
本名のジョン・ディクスン・カー名義では、50作近い長編が発表されていますが、これらの長編は大きく四つに分類することができます。
- カー最初のシリーズ探偵が、パリ警視庁予審判事のアンリ・バンコランです。『夜歩く』から『蝋人形館の殺人』までの四作では、アメリカ人の青年ジェフ・マールが事件の記録者として登場します。続く『毒のたわむれ』では同じくジェフが記録者となっていますがバンコランは登場せず、探偵役はパット・ロシターです。そして、だいぶ間をおいて発表された『四つの凶器』では、バンコランはすでにパリ警視庁を引退したという設定になっており、ジェフは登場しません。
バンコランは作中で“メフィストフェレスのような風貌”とされている容貌そのままに(?)、ダンディで冷静な、そして犯罪者に対しては厳しい姿勢で臨む探偵です。しかし誰に対しても冷酷なわけではなく、友人のジェフに対してはいろいろと気配りを見せたりもしています。
特に初期の作品は猟奇色が強く、またバンコランの独特な雰囲気から、好き嫌いが分かれるかもしれません。
個人的ベストは、『夜歩く』、『絞首台の謎』。
- 『魔女の隠れ家』で初登場したギデオン・フェル博士は、23作の長編に登場しており、カー名義の作品における代表的な探偵としてよく知られています。初期の作品(『剣の八』など)では自分からおふざけをすることもありますが、基本的には天然ボケで、ユーモラスな言動でなごませてくれます。頭の回転に口(他人に説明する能力)が追いつかないこともしばしばあり、周囲から見れば突拍子もない(ように見える)発言が、実は事件の重要なヒントだった、ということがよくあります。個人的な意見ですが、野球でいえばジャイアンツの元監督である長嶋茂雄氏にたとえることができるかもしれません。
個人的ベストは、『三つの棺』、『緑のカプセルの謎』、『連続殺人事件』、『囁く影』。
- カーは後期になると歴史を描くことに興味を持ち、カー名義では13作の歴史ミステリを残していますが、それらはいくつかのタイプに分類することができます。『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』は唯一、歴史上の謎を推理するミステリです。また、『深夜の密使』は比較的ミステリ色が薄く、冒険活劇がメインといってもいいでしょう。その他は大なり小なりミステリの雰囲気を漂わせています。
『火よ燃えろ!』、『ハイチムニー荘の醜聞』、『引き潮の魔女』はロンドン警視庁設立当初の時代を扱った三部作として、また『ヴードゥーの悪魔』、『亡霊たちの真昼』、『死の館の謎』はアメリカ、カーの故郷でもあるニューオーリンズを舞台とした三部作として知られています。
また、『ビロードの悪魔』及び『火よ燃えろ!』は、ディクスン名義の『恐怖は同じ』と並んで、過去へのタイムスリップというSF的な概念を採り入れたユニークな作品となっています。
個人的ベストは、『ビロードの悪魔』、『火よ燃えろ!』。
- カー名義の非シリーズ長編は四作です。完全に単発の作品として『火刑法廷』、『皇帝のかぎ煙草入れ』、『九つの答』があり、さらにフェル博士ものの『疑惑の影』に登場した弁護士パトリック・バトラーを主人公とする『バトラー弁護に立つ』があります。
個人的ベストは、『火刑法廷』、『皇帝のかぎ煙草入れ』。
カーター・ディクスン名義
カーは、筆名のカーター・ディクスン名義でも25作の長編を発表しています(ちなみに、ディクスン名義での最初の作品『弓弦城殺人事件』は、カー・ディクスン名義で発表されましたが、現在では筆名はカーター・ディクスンに統一されています)。
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カー名義のフェル博士と並んで代表的な探偵としてよく知られているのが、ヘンリ・メリヴェール卿(H.M)です。実際にはいい人なのですが、本人は照れがあるようで、表面的には意地悪い性格を装っていて、事件の真相を見破っても簡単に説明したりはしません。奇矯な言動の裏には冷静な計算があり、しょっちゅうぼやいているあたりも含めて、野球でいえばスワローズなどで監督をつとめた野村克也氏に通じる部分があるように思います。しかしながら、一旦頭に血がのぼると見境がなくなってしまい、とんでもない悪戯をしでかしたり、大変な騒ぎを起こしたりもします。こう書くとかなり無茶苦茶な人物のようですが、自分なりの信念に基づいて行動しているようです。
個人的ベストは、『ユダの窓』、『貴婦人として死す』、『青銅ランプの呪』、『プレーグ・コートの殺人』。
- ディクスン名義第一作の『弓弦城殺人事件』ではジョン・ゴーントが、また『第三の銃弾』ではマーキス大佐が探偵役をつとめています。他に、ジョン・ロードとの合作長編である『エレヴェーター殺人事件』、ディクスン名義唯一の歴史ミステリである『恐怖は同じ』があります。
短編集
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日本で発行されているカーの短編集としては、東京創元社発行のカー短編全集1〜6(『不可能犯罪捜査課』〜『ヴァンパイアの塔』)、そして日本独自に編集された『グラン・ギニョール』、ラジオドラマ集の『幻を追う男』があります。
またその他に、アドリアン・コナン・ドイルとの合作によるホームズものの贋作『シャーロック・ホームズの功績』、そしてリレー小説『殺意の海辺』があります。
個人的ベストは、『妖魔の森の家』。
なお、作品の感想などを書くにあたって、ダグラス・G・グリーンの評伝『ジョン・ディクスン・カー 〈奇蹟を解く男〉』(国書刊行会)、及び二階堂黎人の随筆「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」(講談社ノベルス『名探偵の肖像』に収録)を参考にさせていただきました。