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盲目の理髪師/J.D.カー

The Blind Barber/J.D.Carr

1934年発表 井上一夫訳 創元推理文庫118-28(東京創元社)/(井上一夫訳 創元推理文庫118-05(東京創元社))

 犯人がスタートン卿になりすましていたという真相はさほどのものとはいえませんし、フェル博士が指摘している(新版396頁~397頁/旧版35頁~352頁)ように、“悪党”が著名人の名を騙って乗船していることは推理の前提となっているほどです。そしてフェル博士がリストアップした手がかり、特に“七本の剃刀”や“七通の電報”と具体的に表現された手がかりをもとに、スタートン卿に疑いを向けるのはさして難しくないようにも思われます。

 にもかかわらず真相が容易には見えなくなっている最大の理由は、やはり絶え間ないドタバタ劇が数多くの手がかりをカムフラージュするミスディレクションとして機能している*1ところにあるでしょう。もっとも、際限ないドタバタ劇の毒気に当てられてまともに推理する意欲が失せてしまう、というのもあるかもしれませんが(苦笑)

 また、モーガンをはじめとする主要登場人物たちが、エメラルドの象の盗難事件のせいで全員がスタートン卿に対して後ろめたさを抱えているのも見逃せないところで、それによって心理的にスタートン卿を疑いにくくなるだけでなく、秘書の生存を確認する際にも強い態度に出ることができず相手に押し切られるという致命的なミスにつながっています。このあたり、登場人物たちが本来なすべきことをしない――それによって、容易に判明するはずの真相が隠蔽される――ことに説得力が与えられているわけで、なかなか面白い狙いではないかと思います。

 ここで、仮に“本書が安楽椅子探偵ものでなかったら――”と考えてみると、探偵役もモーガンらとともにドタバタ劇の当事者になってしまう可能性は十分にあります*2が、しかし探偵役たる者、ドタバタに巻き込まれようともスタートン卿の秘書の生存確認をおろそかにしたりはしないのが自然かと思われます。そう考えると本書では、“探偵役が進行中の事件に介入しない(できない)”という特徴を備えた安楽椅子探偵という形式によって、比較的脆弱な真相が支えられているといえるのではないでしょうか。

*1: 事件の顛末がモーガン――ドタバタ劇の当事者の視点で語られているために、なおさら真相が見えにくくなっている部分もあると思います。
*2: どちらかといえばH.Mの方がありそうなのはもちろんですが、『剣の八』にみられるように少なくともこの時期のフェル博士はドタバタと無縁ではありません。

2000.02.05再読了
2009.10.07再読了 (2009.11.07改稿)