緑のカプセルの謎/J.D.カー
The Problem of the Green Capsule/J.D.Carr
やはり何といっても、マーカスが実験に仕掛けた周到な罠が目を引きます。
一、テーブルの上に箱があったか? あったとすれば、どんな箱か? その形状を述べよ。
二、余はテーブルから、なにとなにをとり上げたか? 品名とともに、とり上げた順序も明らかにせよ。
三、その時刻は?
四、フランス窓より侵入せる人物の身長は?
五、その人物の衣装を問う。
六、その人物は、右手になにを持っていたか? その品物を説明すべし。
七、その人物の行動を述べよ。彼もまた、テーブルの上のものをとり去ったか?
八、彼が余にのませたものはなにか? 嚥下するに、どのくらいの時間を要したか?
九、彼が室内にいた時間は何分か?
十、彼もしくはかれらは、なにを語ったか? その内容は?
(98頁~99頁)
用意された質問は以上の通りですが、“毒入りチョコレート事件”に直接関連する最初の質問からして意地の悪いもので、マージョリイとハーディングの答は(イングラム教授の言葉通り)“どちらも正しい”
とともに“どちらもまちがい”
(119頁)となっています。色が違う箱を用いた実験でさえマージョリイは真相を見抜けなかった(*1)わけで、奇術的な小道具を使ったトリックとはいえ、“毒入りチョコレート事件”の巧妙さがうかがえます。
二番目の質問に関するマーカスの演技もよく考えられていて、最初に鉛筆を取り上げて書くふりをすることで、次に取り上げたものも筆記用具だと誤認させられることになってしまうのですが、実際に取り上げたものが時計の長針だというのがまたすごいところです。というのは、続く三番目の質問で時計に注意を向けつつ、そこに仕掛けられたトリックの手がかりを堂々と示しているわけで、実に大胆な罠だといえるでしょう。
そして、一見すると単純な四番目の質問の裏に仕掛けられた悪魔のような罠が見事。エメットが手伝うことを事前に聞かされていたことでマージョリイが六フィートと答えたのに対し、イングラム教授は正確に五フィート九インチと答えているのですが、“答え合わせ”となるべきフィルムには身長六フィートの人物(エメット)が映っているという、何とも強烈なトリックには圧倒されます。
フィルムに仕掛けられたトリックを暴露する、最後の質問に関する(偽の)答が、よりによってマザーグースの“フェル博士の歌”だというのが何ともいえませんが、エリオットとのロマンスを通じて明らかにされてきたマージョリイの読唇術がここで生かされているのがうまいところです。
これだけの実験を準備しながら、その最中にマーカス自身が毒殺されてしまうというのが皮肉ですが、“毒入りチョコレート事件”のトリックを見抜きながら、毒殺犯であるハーディングに協力を求めてしまったというのがきわめつけの皮肉です。ハーディングとしては渡りに船ですし、毒殺としてはかなり異例の衆人環視下の犯行は“毒殺講義”でも言及される自己顕示欲を満たすのに十分だといえるでしょう。
実験(のリハーサル)を撮影したフィルムを残しておいたのがハーディングにとっては致命的でしたが、マージョリイの読唇術さえなければ言い逃れも可能だったかもしれません(*2)。いずれにしても、あえてフィルムを残しておいたところには、やはりハーディングの自己顕示欲がうかがえます。
一つ不満が残るのが、エリオットとマージョリイのロマンスの扱いで、物語を引っ張るのに貢献している部分はあるものの、それが強調されることによってマージョリイの婚約者という立場のハーディングが“浮き上がって”しまうきらいがあります。要するに、ハーディングは物語の中心となるロマンスの障害であるわけで、そのような意味でハーディングに読者の疑惑が向きやすくなっているように思います。
おそらくそれを回避するために、物語終盤にハーディングに対する発砲事件が盛り込まれているのですが、アイヨシさん(「三軒茶屋」→残念ながらリンク切れです)もご指摘のように(*3)とってつけたようなものになっているのがいただけないところです。
*2: マージョリイが読唇術を身に着けていることを知っていれば、さすがにハーディングもフィルムを処分したと思われます。また、実験に協力したとはいえ、マーカスが用意した質問の内容までは知らされていなかったと考えるべきではないでしょうか。
*3:
“作品中で拳銃の発砲事件がありますが、あの事件が解決編でも上手く消化されていないと言いますか、あれはなくても良かった、いや、ない方が良かったと思うのです。あれがなくても解決編は見事ですし、はっきり言って必要ないと思います。”(
2016.11.19再読了
2008.06.08再読了 (2008.06.28改稿)