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帽子収集狂事件/J.D.カー

The Mad Hatter Mystery/J.D.Carr

1933年発表 田中西二郎訳 創元推理文庫118-04(東京創元社)/(森 英俊訳 集英社文庫 特10-17(集英社))

 カーにしては珍しく“アリバイもの”となっている本書ですが、毎回フーダニットにこだわっているカーだけに、一般的な“アリバイ崩し”ではなく*1誰にも犯行が不可能だった”という状況が設定されているのが興味深いところです。それは一つには、犯人自身が意図して弄したトリックではなく結果的に成立したトリックであるためですが、さらにいえば犯人のアリバイというよりも“被害者(死体)の側のアリバイ”になっているためでしょう。

 トリックの原理は、有栖川有栖『マジックミラー』の“アリバイ講義”でいうところの“犯行現場に錯誤がある場合”*2に該当するもので、死体の移動に基づいた古典的なものといえます。が、被害者の“脱出”と死体の“侵入”という“現場”(ロンドン塔)からの出入りが問題となるあたりは“密室の巨匠”カーらしいものに思えますし、密室における“秘密の抜け道”のような形で*3死体の移動が完全に盲点となっているのが面白いところです。

*

 本書には、“ポオの未発表原稿盗難事件”・“帽子収集狂事件”・“ロンドン塔の殺人事件”という三つの事件が盛り込まれていますが、事件そのものは一見するとバラバラな印象を与えはするものの、三つの事件いずれにも関係するフィリップ・ドリスコルが“接点”となることはほぼ明らかであり、そのために事件全体の構図はある程度予想できてしまいます。

 例えば、“帽子収集狂”が特ダネを狙ったドリスコルによる自作自演であることや、殺人の動機がポオの原稿に絡んでいること――つまりはドリスコルが(経緯はどうあれ)原稿盗難事件に関わっていたこと――などは、ドリスコルを“接点”とした事件のつながりを考えてみた場合、十分に想定できる範囲内といえるでしょう。さらに勘のいい読者であれば、原稿が“帽子収集狂”に盗まれた帽子の中に隠されていたことまで推測できてもおかしくはないと思います。

 このように、早い段階で事件の構図――ドリスコルの側に関して――が見えてしまうのはもったいないところですが、それでも不条理なユーモアを感じさせる状況はよく考えられていると思います。些細な(?)悪戯にすぎない“帽子収集狂”が原因でドリスコルが殺される羽目になることからして不条理ですが、帽子のサイズを調整しようとした執事のマークスの行為が(被害者も加害者もあずかり知らぬところで)“盗難事件”に発展してしまうという経緯も何ともいえません。さらに、作中でも言及されている“ドリスコルがウィリアム卿の機嫌を損ねることをするはずがない”という事実が、“盗難事件”に関するミスディレクションという本来の効果に加えて、(真相が発覚した後には)ドリスコルがはまり込んだ窮地の深刻さを強調しているところが非常に面白く感じられます。

 そして、殺人の犯人であるダルライの側は、被害者であるドリスコルの側に輪をかけて不条理な状況に陥っています。原稿を探している最中に突然帰宅したドリスコルをはずみで殺害し、車で死体を運んで処分しようとすればいきなりメースン将軍が乗り込んできてロンドン塔に戻らざるを得なくなり、仕方なく車を止めた場所で死体を投げ落としてみれば不可能犯罪が成立してしまう――という具合に、坂道を転げ落ちるように深みにはまっていく間の悪さと、それでも結果的には何とか紙一重で難を逃れる妙な幸運とが相まって、最後のダルライの告白は不条理なおかしさに満ちた印象深いものになっています。

 恩人であるレスター・ビットンの自殺を受けて自白に至るという展開にも説得力が感じられますし、不条理な状況に翻弄され続けた特異な犯人像「未解決」という結末を心情的に受け入れやすくしているところも見逃せません。

*1: いわゆる“アリバイ崩し”――特定の容疑者が主張するアリバイが成立しないことを明らかにしていく作品は、基本的にフーダニットとは相容れません。
*2: 有栖川有栖『マジックミラー』「第7章 アリバイ講義」より。講談社文庫新装版では336頁~337頁で言及されています。
*3: 創元推理文庫版の見取り図(8頁)には“城外への脇門”と記されていますが、集英社文庫版の見取り図(9頁)では通路らしき線が示されているだけで文章は省略されており、少々わかりにくくなっている感があります。

1999.10.02再読了
2008.10.17再読了 (2008.12.02改稿)