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曲った蝶番/J.D.カー

The Crooked Hinge/J.D.Carr

1938年発表 中村能三訳 創元推理文庫118-07(東京創元社)

 物語の発端となっている二人の“ジョン卿”による真贋争いには、思いの外早い段階で決着がつきますが、それによって偽物の方が殺害されるという事件の(動機の)不可解さがクローズアップされているのがうまいところです。もっとも、当初の計画通りであればすんなり“偽物の自殺”で片がついたはず*1で、犯人が作者にとって都合がよすぎるミスを犯しているという印象は拭えないのですが……。

 偽物の“ジョン卿”を殺害する動機は不明ながら、容疑者がかなり限られているために、当てずっぽうで犯人を予測することはさほど難しくないように思われます。が、各人の証言に今ひとつはっきりしない部分があるとはいえ、それなりに強固な不可能状況が成立しており、とりわけノールズによる“誰かがジョン卿に近づけば、てまえの目につかないはずはございません。”(119頁)という証言を重視する限りはハウダニットとしてかなり難解だといえます。

 その不可能状況に対するフェル博士の“解決”――まったく予想外の凶器を用いた殺害トリックには、さすがに唖然とせざるを得ません。確かに屋根裏部屋の場面では、“大きな鈎が四つ、花束のようにはめこんである、重そうな小さな鉛の玉”(202頁)と一応言及されてはいるのですが、現場付近から発見されたナイフという凶器がすでに示されているだけに、このトリックを“見抜く”ことができる読者は皆無に近いでしょう。

 もちろん、ノールズの口を割らせる――事件が起きた時に“パトリック・ゴア”が図書室の窓のそばにいたという嘘の証言(126頁~127頁)を覆さないことにはどうしようもありません――というフェル博士の真の狙いを念頭に置いてみれば、“テニスのボールでも見えないことがございまして”(125頁)というノールズ自身の証言をうまく逆手に取っているようにも思えますし、ダミーのトリックに明らかなツッコミどころがある*2のも、それが真相ではないことを示唆しているともいえるのではないでしょうか*3

 しかして、「第IV部」の犯人の告白の中で明らかにされる真相は……これまた仰天の真相*4としかいいようのないもので、例えばウェルキン弁護士の証言に絡んだ“下のほうの窓ガラスからのぞくためには、この人間はうずくまるか、横になるかしなければなりませんね?”“とてもすばやく動いていたのです――飛ぶように。”(いずれも167頁)というやり取り、あるいは“スカートのなか、人形の膝のすぐそばに目があって”(271頁)というベティの証言などがあるとはいえ、とても伏線が足りているとはいえないように思うのですが、それも含めて何ともカーらしいバカトリック(というのは語弊があるかもしれませんが)というべきでしょう。

 それでも、トリックを成立させている足の切断が、事件のきっかけとなったタイタニック号の沈没事故に起因するという因縁めいたストーリーは巧妙ですし、殺人事件のみならず“アーリマン”への変装や自動人形との絡みで繰り返し再利用されているところも見事です。何より、偽物の“ジョン・ファーンリ卿”の曲った蝶番の記憶(225頁/245頁)が“パトリック・ゴア”の手紙の中の“船が傾くにつれて、くだけ、ばらばらになる蝶番”(323頁)と結びつくところが非常に印象的です。

 本書の幕切れは、まんまと逃げおおせた犯人の告白という、カー作品としては例を見ないものになっていますが、“パトリック・ゴア”の淡々とした語り口で綴られていく“真実の物語”の味わいを考えれば、このような形の結末にも納得です。

 一つ残念なのが、“被害者に近づいた者は誰もいない”という不可能状況が主にノールズの証言によって支えられている点で、前述のように“パトリック・ゴア”をかばうためにその所在に関して偽証をしていたことを考えれば、不可能状況についてのみその証言を信頼すべき理由はない――仮に“パトリック・ゴア”が偽物の“ジョン卿”を殺害するところを目撃したとしても、それを正直に証言するはずがない――といえます。つまり、(あくまでも結果的として、ではありますが)目撃者が実質的に共犯者であったわけですから、トリックや不可能状況の存在意義が失われてしまっているように感じられてなりません。

*1: 検死審問では、偽物の“ジョン卿”自身が真相を知りたがっていたというマデラインの証言が飛び出していますが、もっと自殺らしい状況であればその扱いも違ってくるのではないかと思います。
*2: “浅い傷が三つでありまして(中略)そのうちの二つは交差しています。”(217頁)という被害者の傷の状態からみて、凶器は被害者の喉に刺さった後で(単純に引っ張られるのではなく)二度にわたって(逆向きに)ひねりが加えられる必要がある――釣糸による操作ではまず不可能――ので、この鉛の玉は凶器ではあり得ないことになります。
*3: これは贔屓目にすぎるかもしれませんが。
*4: しかもそれが、“ぼくには足がないのです。”(320頁)と実にさらりと明かされているところが何ともいえません。

1999.11.03読了
2009.02.09再読了 (2009.03.09改稿)