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死者はよみがえる/J.D.カー

To Wake the Dead/J.D.Carr

1937年発表 橋本福夫訳 創元推理文庫118-08(東京創元社)/(延原 謙訳『死人を起す』ハヤカワ・ミステリ127(早川書房)

 カーの本書での狙いは犯人の意外性で、そのために様々な工夫が凝らされています。例えば、動機の隠蔽、扼殺という犯行に対する左手の麻痺*1という障害、ホテルの現場に外部からの侵入が不可能だった(ように見える)状況などがありますが、その最たるものはやはり、犯人が留置場という“密室”に囚われていたという事実でしょう。

 その“密室”から、犯人が秘密の抜け穴を使って脱出していたというぬけぬけとした真相には、さすがに唖然とせざるを得ない部分があります。一応の伏線は張ってある*2としても、限りなく反則に近いトリックという印象を与えるのは確かですし、他ならぬ“密室の巨匠”としてはなおさらかもしれません。しかしながら、本書で犯人が脱出を果たした留置場が、通常の意味での密室――誰も犯行現場に入ることができない不可能状況としての密室――ではなく、あくまでも犯人が犯行現場に存在し得ない状況、いわば空間的なアリバイであることに留意すべきではないでしょうか。

 一般に、アリバイトリックが取り沙汰されるのは容疑者が絞り込まれてからの話ですから、アリバイによって犯人の意外性を演出しようとする場合には、“意外な犯人”が提示されるまで犯人のアリバイが確固として揺るがない――アリバイトリックの存在が露ほども疑われない――のが理想といえます。一方で、“意外な犯人”が明かされた後に複雑なアリバイトリックの解明を行うのは、“意外な犯人”によるカタルシスを損なってしまうおそれがあります*3

 つまり本書の場合、あくまでも犯人の意外性を最重視する限りにおいては、留置場からの脱出という“アリバイ”トリックに凝ったものを用意するのは逆効果であり、一瞬にして理解が可能な――だらだらした解明が不要な――秘密の抜け穴はむしろ妥当なトリックとさえいえるのかもしれません。

 それよりも気になるのは、内部の人間の犯行としか思われなかったロイヤル・スカーレット・ホテルでの事件が、外部犯でしかあり得ないという逆説的な結論に落ち着く部分です。これが、ベローズによる犯行という途方もない真相をしっかりと支えているのは見事だと思いますが、犯人が明かされた後に説明される*4ために(上述の意味で)やや冗長に感じられるのは否めませんし、反転の鮮やかさが今ひとつ伝わりにくくなっているのももったいないところです。

 何より、ホテル外部から現場への侵入経路を解明するための手がかりがホテルの平面図(創元推理文庫59頁/ハヤカワ・ミステリ41頁)によって暗示されるにとどまり、作中で直接言及されることなく表向きには検討も一切なされていないのが、解決のアンフェア感を強めています。例えばクライマックスでフェル博士を主人公に同行させるなどして、“外部犯でしかあり得ない”ことまで説明した直後に真犯人を明かすようにすれば、サプライズを損ねることなくアンフェア感を多少なりとも減じることができたのではないかと思うのですが……。

*1: このミスディレクションは横溝正史の某作品(以下伏せ字)『獄門島』(ここまで)を思い起こさせますが、“本書『死人を起す』は横溝正史氏がカーの最高傑作と称揚している作品”(ハヤカワ・ミステリ裏表紙の紹介文より)という評価を踏まえると、オマージュの意図があったのかもしれません。
*2: “あのあたりの近代的な家の半数はその男が自分の手で建てたものなのです。(中略)隠しドアや秘密通路をつけるのが大好きでした”(創元推理文庫43頁)“あの地方の近代的家屋の半数は彼の建てたものです。(中略)そして隠しドアや秘密の廊下を造るのが好きだつた。”(ハヤカワ・ミステリ30頁~31頁)
*3: 本書と同じように、アリバイトリックに基づく“意外な犯人”が設定されている山田正紀の(以下伏せ字)『おとり捜査官2 視覚』(ここまで)で、せっかくの秀逸なアリバイトリックが至極あっさりとした説明で済まされているのも、このあたりの事情によるものだと考えられます。
*4: フェル博士が犯人を特定するに至った過程の一環であるため、説明がこの位置になるのも理解できるところではありますが。

1999.10.29読了
2009.06.16再読了 (2009.08.05改稿)