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  4. テニスコートの殺人

テニスコートの殺人/J.D.カー

The Problem of the Wire Cage/J.D.Carr

1939年発表 三角和代訳 創元推理文庫118-37(東京創元社)/(厚木 淳訳『テニスコートの謎』 創元推理文庫118-19(東京創元社))

 実際には“足跡のない殺人”でありながら、表面的には“足跡のある殺人”の様相を呈しているのが本書の面白いところではあるのですが、そのためにプロットがかなり苦しいことになっているのもまた事実。

 フェル博士は、早い段階から想像力を駆使して“足跡のない殺人”であることを“見抜いて”いますが、これは作中の登場人物でありながら作者/読者の視点に立っているかのような“離れ業”*1。普通に考えれば“足跡の主が犯人”ということにならざるを得ないわけで、最終的には“足跡のない殺人”であったことをハドリー首席警視らに納得させる必要が出てくるのですが、ブレンダが現場に足跡を残してしまっている以上、それは非常に困難です――本来であれば。

 本書では、いきなりブレンダに容疑が向いてしまわないよう、フランクに恨みを抱くマッジ・スタージェスの恋人アーサー・チャンドラーを、いわばおあつらえ向きの“スケープゴート”として登場させてあり、その容疑を(一見)濃厚なものにするために、犯行時刻前後に現場付近にいたことにしてあるわけですが、それをうまく利用して、チャンドラーによる現場の写真という客観的な証拠を用意してあるのが実に巧妙です。

 チャンドラーの目論見を考えれば、“最後の決め手”も含めて証拠を感嘆には表に出さないことも納得できますし、一方では、ブレンダを容疑から逃れさせるためにバスケットの中から重い陶器の皿を持ち去る*2など、配慮も十分(?)。今回再読してみて、このチャンドラーの扱いのうまさが印象に残りました。

 もっとも、犯人にとってはチャンドラーの存在が致命的なものになるわけで、第二の殺人に至ってしまうのもやむを得ないかもしれません。が、その犯行はあまりにも発作的ですし、一見不可能犯罪にみえるトリックも――厚木淳氏は旧訳版の「訳者あとがき」で持ち上げています*3が――行き当たりばったりにすぎるように思えます。

 一方、第一の殺人のトリックは、金網で囲まれたテニスコートならではの“小道具”――金網を支える支柱――を利用したもので、片腕が使えない状態での絞殺を実現する手段として、なかなかよくできていると思います。犯人自身には“足跡のない殺人”を演出する意図はなく、結果的に不可能犯罪になってしまったというのは(個人的には少々残念ですが)何とも皮肉ですし、“だが、待てなかったんだな。頭にきてやってしまった。”(328頁)というあたりが、犯人の歪んだ心理の印象を強めている感があります。

 トリックの実行に被害者の協力が必要だというのは弱点ではありますが、それだけならさほどの瑕疵とはいえないようにも思われます。最大の問題はやはりテニスロボットの開発*4というあまりに無茶な口実で、当時の技術水準を考えればどこからどうみても説得力の欠片もなく、いくらフランクがニックを信頼していたとしても、やすやすと受け入れるのは信じ難いものがあります。フランク(だけでなく関係者全員)がそういう方面に疎かったといえばそれまでですが……。

 ほぼ一貫して“意外な犯人”にこだわってきた感のあるカーですが、その中で本書は最も犯人がわかりやすい作品の一つといえるかもしれません。“足跡のない殺人”に加えて、骨折して片腕が使えない状態での絞殺というもう一つの不可能状況もネックとなっていますが、人物造形からすると犯人らしい人物ではありますし、動機の一つであるブレンダへの年甲斐もない下心も、事件前のハドリーとのやり取りの中での様子(43頁)が後に改めて指摘される箇所(121頁)や、キティの“あなたがどんな目でブレンダを見ているか知っているんですよ、ニック。”(181頁)という台詞などで匂わされています。さらに、マッジに送った小切手(51頁)不渡りになっている(297頁)ことで、金銭的な動機も示唆されています。

 そのあたりのこともあってか、犯人をより強固に隠蔽すべく、“雨が弱まったのは六時五十分で、七時にはやんだ。ヤング博士は這うように起きあがると、窓を開け、新鮮で生き返るような空気を取り入れた。七時半になる頃には、ぐっすりと眠っていた。”(55頁)と、犯行時刻前後の一部大胆に省略された描写によるあざといトリックが仕掛けられているのが、何ともカーらしいというか(苦笑)

 ところで、最後の“後日談”の中でヒューの父が発したダジャレは、旧訳版の“禍を転じて――(中略)風呂(福)となす”(342頁)から、新訳版では“終わりよければ――(中略)――すべてよくしつ”(335頁~336頁)に変更されています。その少し前の“終わりよければすべてよし”(334頁)に重ねてあるところも含めて、個人的には新訳版に軍配を上げたいところです。

*1: フェル博士自身は、“どうしてって、頭を使うにはもってこいの問題だからに決まっとるだろう!”(287頁)と説明していますが。
*2: 作中でヒューは“やはり真犯人がつくづく運に恵まれていると思えてならない。”(218頁)と述懐していますが、ヒューとブレンダも“守護天使”たるチャンドラーに助けられていたわけで、お互い様といったところでしょうか。
*3: 第二の殺人について、“劇場に出入りした第三者はなく、関係者には相互に共同のアリバイがあるという、これまた<奇蹟的>殺人。”(『テニスコートの謎』345頁)とされています。
*4: これもまた、テニスコートならではといえるのは確かですが……。

2010.02.03『テニスコートの謎』再読了 (2010.03.14改稿)
2014.08.16『テニスコートの殺人』読了 (2014.08.17一部改稿)