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毒のたわむれ/J.D.カー

Poison in Jest/J.D.Carr

1932年発表 村崎敏郎訳 ハヤカワ・ミステリ357(早川書房)

 事件の真相が明かされてみると、自分が狙われたように見せかけてあらかじめ疑いをよそへ向ける、“バールストン先攻法”的な使い古された手法ではありますが、犯人が自ら毒を飲んで寝込むことでほとんど物語から“退場”した結果、容疑者の一人として読者が意識しづらくなっているのが巧妙。事前に仕掛けておくこともでき、“表”に出ることなく犯行が可能な凶器(毒薬)であることも、その点で効果的だと思います。

 また、ヒョスチンと砒素だけでなくモルヒネまで登場させてあるのは、クエイル夫人の時にだけ砒素が使われたのが浮き上がってみえなようにするためだと考えられますが、それが同時にクエイル判事の隠された脆さを補強しているところもよくできていますし、さらに判事をおびえさせていたカリグラ像の手首の幻を生み出し、(さほど効果的ではないにせよ)事態を複雑にするミスディレクションとして使われているのが周到です*1

 一方で、『緑のカプセルの謎』での“毒殺講義”*2の原型のような、毒殺者は“いつも同じ毒薬を使う”(247頁)という“毒殺事件の原則”*3をもとにした解決はなかなか鮮やか。その“原則”がはっきり示されるのは犯人が明らかになった後、「エピローグ」でのことですが、「プロローグ」ですでに“あれだけ種類の違つた毒薬の問題”(11頁)に言及されていますし、あえて即効性のヒョスチンが使われなかったことに気づけば、犯人の見当をつけることも可能ではないかと思われます。

 もう一つ面白いのが犯行の動機についての仕掛けで、毒殺されたツイルズが金銭が望みだつたのか、それとも退敗がひどくなつたのか?”(125頁)と書き残し、さらに探偵役のロシターが動機は金だつた”(244頁)と強調することで、一文なしの判事ではなく金を持っているツイルズこそが真の標的であり、金のない判事が毒を飲んだのは自作自演である、と強力にミスリードされることになります*4

 作中ではロシターがそれを否定してはいるのですが、暴露が派手に行われているために判事が金を持っていないことが強く印象づけられ、“金目当てで判事の命が狙われた”という真相を想定しがたくなっているのが秀逸。“たぶん母以外は、誰だつて知つてることですのに”(123頁)というさりげない伏線もよくできています。肝心の判事が命を取り留めたことや、帰ってきたトムにクラリサ殺しを目撃されたことも含めて、事件全体に満ちた痛烈な皮肉が印象的です。

 最後の笑い声の謎解きを通じて浮かび上がる、ツイルズの絶望と諦念もまた印象的。強く心に残る見事な幕切れといっていいのではないでしょうか。

*1: もっとも、このあたりが事件とは直接の関係がまったくなかったというのは少々肩透かしではありますが、これは仕方ないところかもしれません。
*2: 同書「18 毒殺者とは――」を参照。
*3: これも『緑のカプセルの謎』に出てきたように記憶していたのですが、前述の“毒殺講義”の中には見当たりませんでした。あるいは別の箇所だったか……。
*4: ツイルズがこれを書いたのは判事(と夫人)が毒を飲まされた後であり、さらにクラリサに“もし誰かをねらつてるとすれば、それはこのおれだぜ……”(120頁)と告げていることも、このミスリードを補強するものになっています。

1999.10.26読了
2012.03.31再読了 (2012.04.22改稿)