ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. ジョン・ディクスン・カー > 
  3. アンリ・バンコラン > 
  4. 四つの凶器

四つの凶器/J.D.カー

The Four False Weapons/J.D.Carr

1937年発表 和爾桃子訳 創元推理文庫118-47(東京創元社)/(村崎敏郎訳『四つの兇器』ハヤカワ・ミステリ445(早川書房))

 現場に残されていた“四つの凶器”――ピストル・短剣・カミソリ・睡眠薬――は、いずれも“真の凶器”ではなかったわけですが、単なるダミー(レッドへリング)に終わっていないところがよくできていると思います。

・ピストル
 ローズの死体の状況から、明らかにピストルが使われたはずはなく、その意味で今ひとつ面白味に欠けるのは否めません。が、ローズと対決するためにマグダが持ってきた(そして慌てて置き忘れていった)というのは理解できるところですし、それを利用してラルフに罪をかぶせようというトラー夫人の思惑も面白いと思います。

・短剣
 マグダに対抗してローズ自身が取り出した短剣は、その後に面白い形で使われています。ローズの死体に“二の腕の大動脈が一刀のもとにすっぱり断ち切られている”(42頁)というほどの短剣によると思しき傷が残されているにもかかわらず、“四つの偽の凶器”という原題から“真の凶器”ではないことが示唆されているわけで、逆説的に不可解な謎になっているのです。
 しかもその傷は、マグダの仕業かと思いきや、ブライスが意識を失ったマグダに罪をかぶせようとしたもので、事件の様相を複雑なものとするのに大いに貢献しています。

・カミソリ
 “四つの凶器”の中で唯一、犯人であるブライスが持ち込んだものですが、それでいてまったく使われることがなかったというのが何とも皮肉です。しかし、オルタンスが目撃したカミソリを研ぐ姿が、事件に不気味な印象を与えているところは見逃せません。

・睡眠薬(抱水クロラール)
 シャンパンの瓶に仕込むという形で実際に使われ、“四つの凶器”の中では殺害に対する貢献(?)が最も高いのですが、犯人自身はあくまでもローズを眠らせるだけのつもりで、抱水クロラールとしての致死量を与える意図はなく、その意味でもやはり“凶器”ではないというべきでしょう。
 そして、ローズが好んで必ず飲むという理由で、(ワインではなく)シャンパンに仕込まなければならなかった――炭酸によるを偽装しなければならなかったことで*1、犯人自身も予期しなかった化学反応により、凶器ではないものから凶器が生じたという真相が非常に秀逸です。
 その、抱水クロラールと重曹(重炭酸ナトリウム/炭酸水素ナトリウム)からクロロフォルムができる化学反応は、(多分)以下の通り。

CCl3CH(OH)2NaHCO3 → CHCl3HCOONa + CO2 + H2O

 このような化学反応はあまり知られていないとは思いますが、鑑識課のマビュッス博士が錠剤の成分を特定する場面(117頁)で類似の反応――抱水クロラールとアルカリ(アンモニア)からクロロフォルムが生成される*2――が描かれており、一応の伏線は示されているといえるのではないでしょうか。
*

 ブライスの計画は、マグダをラルフから奪い取るために、ラルフをスキャンダルに巻き込むというものでしたが、ローズを別荘に呼び寄せるところまではうまくいったものの、予期せぬ化学反応によるローズの死*3や、肝心のマグダが折あしく現場を訪れてしまうなど、ひたすら誤算続きとなっています。

 それでもブライスは、“茶のレインコートの男”をでっち上げ、(後に自分で容疑を晴らしてやるために)マグダに罪をかぶせようとするなど臨機応変に対応しているのですが、すべてを押しつけるはずだったラルフのアリバイが簡単に成立してしまったのが取り返しのつかないところ。もっとも、それによって事件の不条理さが増しているのが面白くはあるのですが。

 そして致命的なのが、自身のアリバイを確保するための“カモ”となるはずだったド・ロートレックが、カードの勝負の最中に抜け出して宝石泥棒を行っていたこと*4で、これが不条理な事件に止めを刺しています。最後のド・ロートレックとカーティスのカード勝負の結果も含めて、運命の悪戯によるドラマが印象に残る作品といえるでしょう。

*1: バンコランが指摘している(244頁)ように、ボトルを加熱したのが余計ではありますが。
*2: CCl3CH(OH)2X+OH- → CHCl3HCOOX + H2O (ただしX+は1価の陽イオン → アンモニアの場合はNH4+
*3: もっとも、意図しない殺人であったがゆえに、動機が見当たらないブライスに容疑が向かなかったという僥倖もあります。
*4: ブライスとド・ロートレックによる二重のアリバイ工作――そしてその破綻、という構図も面白いところです。

2008.02.15『四つの兇器』再読了 (2008.02.23改稿)
2020.01.16『四つの凶器』読了 (2022.02.06一部改稿)