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赤い鎧戸のかげで/C.ディクスン

Behind the Crimson Blind/C.Dickson

1952年発表 恩地三保子訳 ハヤカワ文庫HM6-7(早川書房)

 まず、〈アイアン・チェスト〉が“鉄の箱”を持ち歩くというアイデアがどこから生まれたのかはわかりません*1が、目撃者の目をそこに引きつけることで人相をごまかす(奇術さながらの)ミスディレクションの効果はある程度理解できるとはいえ、そのために“二フィート幅で一フィートほどの高さ”(75頁)の“鉄の箱”を抱えて盗みに入るという珍妙な発想は、なかなか愉快です。

 もっとも、非常識な行為なので“鉄ではないのではないか”とするH.Mの推理の筋道(403頁~404頁)は面白いものの、木枠に張ったボール紙という真相にはさすがに脱力を禁じ得ませんし、燃やして処分するのはまだしも、折り畳んで服の下に隠すというのはいささかお手軽すぎる気が……。また、警察が“現物”を入手したことで“鉄の箱”という幻想が補強されたのは確実ですが、その状況が“アムステルダムで一回、パリで一回、警察に追いつめられ、犯人は箱を置きざりにして逃げる羽目にたちいった”(78頁)とだけしか説明されていないのは、やや微妙に感じられます。

 加えて、ほとんど“嘘”に近いあざとすぎるミスディレクションが、“がっかり感”を強めているのは間違いないでしょう。ビル・ベントリーの偽証――“あの鉄のやつときたら、まるで磨いた鋼鉄みたいにツルツルしてやがって”(117頁)――はともかくとして、ブリュッセルで銃撃された巡査の“彫りこんだ猿の意匠に触れた記憶が残るほど、がっしりつかんだらしい”(82頁)*2というのが勘違いだったとなると、(謎解きの場面でH.Mは“矛盾”を指摘しているものの)もはや何を信用したらいいのかわかりません。

 実はH.Mによる謎解きにも少々怪しいところがあって、H.Mはデュロック大佐が
鉄の箱を目にした時までの記憶は確かなのです、その直後に犯人はピストルをうったんですよ
  (405頁)
と言ったと説明していますが、元々のデュロック大佐の発言は、
アイアン・チェストを目にしたときまでの記憶ははっきりしているのです。男が発砲してからのことは何一つおぼえていない。ところで、それが電光石火の出来事だったので(後略)
  (83頁)
だったわけですから、“電光石火の出来事”という言葉はあるとしても、“アイアン・チェストを目にした”直後に“男が発砲”した、と解釈できるかどうか疑問です*3
 さらにいえば、この言葉が巡査の証言と矛盾しているにせよ、どちらが正しいかは一概にはいえないはずで、むしろ、“彫りこんだ猿の意匠に触れた記憶”(82頁)という“勘違い”がありながら、何を根拠にアイアン・チェストを目にしたときまでの記憶ははっきりしている”(83頁)とされることになったのか、さっぱり理解できません。

 一方、赤い鎧戸の部屋でのダイヤモンドの原石の消失トリックはまずまず。ダイヤモンドは“700°C以上の空気中で酸化する”「ダイヤモンドの物質特性#熱的安定性 - Wikipedia」より)とのことなので、暖炉の熱程度であれば何とか大丈夫そうです*4が、ダイヤモンドが“燃える”ことを知っていると盲点となるのは確かでしょう。

 ところで、〈アイアン・チェスト〉の犯行のうち、“パリでは、彼は、テーブルに山と積まれていたダイアを、あっという間に消してみせた”(88頁)という事件については、その後具体的な状況はほとんど説明されないまま、赤い鎧戸の部屋での消失を受けていきなり、“例のパリ事件がそのまま再現したのだ(中略)パリでは、このとおりの状況下で、ついにダイアもアイアン・チェストも発見することができなかった”(162頁)とされています。その後は謎解きもされていないので、同じように暖炉に隠すトリックが使われたとも考えられるのですが、これはどうなのでしょうか。
 すでに疑われているので逃げても仕方がないと考えたのか、それとも単純に逃げる余裕がなかったのか、定かではありませんが、コリアーは部屋にとどまったままダイヤを隠しているのに対して、パリでの〈アイアン・チェスト〉は自身も姿を消しているわけで、ダイヤを隠してから逃げる余裕があるくらいなら、そのままダイヤを持ち去るほうが自然なように思われます。
 そもそも、“テーブルに山と積まれていたダイアを、あっという間に消してみせた”と、ダイヤだけが消えたように表現されているのが疑問で、その場にいたはずの〈アイアン・チェスト〉も消えたのであれば“ダイアを、あっという間に持ち去ってみせた”、あるいは〈アイアン・チェスト〉が現れる前――犯行時であれば“ダイアを、あっという間に奪い去ってみせた”ということになるのではないでしょうか。いずれにしても、〈アイアン・チェスト〉がその場に居残っていない限り、あえて“ダイアを、あっという間に消してみせた”と表現すべき状況を想定できないので、これはカーが深く考えずにやらかしてしまったということかもしれません。

 さて、ほぼすべての作品で犯人の意外性を追求したカーですが、本書の〈アイアン・チェスト〉の正体については何を意図したのか、今ひとつよくわかりません。事件の性質上、ダミーの犯人を用意しづらいところがあるのも確か*5ではあるのですが、〈アイアン・チェスト〉の“相棒”であることが明言されているコリアーを除けば、主要登場人物の中ではビルが最も“適任”なのは明らか*6で、素直に読めば犯人は見え見えでしょう。

 ビルが〈アイアン・チェスト〉を捕らえかけたことがミスディレクションになり得るかといえば、“相棒”の存在がはっきり示されているのであまり効果的ではありません。しいていえば、それでもカーならば……という期待もさることながら、ポーラが悲しむような結末はカー好みではないので、そのままビルが犯人とは考えにくい部分もあるかと思います。が、悪い意味で予想を裏切り、“相棒”のコリアーが射殺されたにもかかわらず主犯のビルが逃げおおせる、バランスの悪い決着を迎えるところが何ともいえません。

 “当然保険金を莫大にかけていて、絶対に損はしない相手ばっかりだ”(397頁)と保険会社の損失を無視して、〈アイアン・チェスト〉を“スポーツマン”だの“ロビン・フッド”だの持ち上げてあるのはご愛嬌としても、ビルを無事に逃がすために強引にコリアーの“口封じ”をしてあるのは受け入れがたいところ。追い詰められたコリアーが、ボクシングの勝負に敗れてもなお〈アイアン・チェスト〉の正体を暴露しなかったのは意味不明ですし、警察が〈アイアン・チェスト〉の正体を聞き出すことなくコリアーを射殺しているのはなおさら筋が通りません。

*1: ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー〈奇跡を解く男〉』によれば、本書の元になったラジオドラマ「鉄の金庫を持つ男」“金属製の大型金庫とダイヤモンドの財宝が消えてなくなる話”(同書353頁)のようで、赤い鎧戸の部屋での物品消失に対応するものと思われます。
*2: 伝聞によるこの記述そのものも、かなりいやらしい書き方になっている感があります。
*3: この部分は、もしかすると翻訳の問題である可能性もあるかもしれませんが……。
*4: もっとも、“あの十倍もの熱をもつ火の中でなけりゃ、絶対に溶けも燃えもしない”(422頁)というのはさすがに無理があるでしょう。
*5: 容疑者が限定されないオープンな状況での複数の事件であり、共犯者の存在まで明言されている中では、推理は消去法などではなく“誰が犯人にふさわしいか”といった方向にならざるを得ないと考えられるので、他に“犯人らしい”人物がいると推理がかなり怪しくなってしまいます。
*6: “ヨーロッパを股にかけた宝石泥棒”ということで、タンジールを頻繁に離れることができないデュロック大佐やアルヴァレス警視ら警察関係者はまず無理。また、終盤には(苦しまぎれに)〈アイアン・チェスト〉が女性という噂が持ち出されている(382頁)ものの、何度も目撃されていることを考えればあり得ないので、女性陣も除外。そうなると、登場人物一覧でビル以外には――コリアーを除けば――犯人としては影が薄すぎるマーク・ハモンドしか残りません。

2017.02.21再読了 (2017.03.11改稿)