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コラム301
最後に独り |
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大分前なのですがNHKで老後の番組を見ていたら死ぬ最後に「良かった」と言う言葉を口にして亡くなった方が居ました。
「良かった」とは元々独身の方だったのですが独りぼっちで亡くならず多くの人に看取られて亡くなった事に喜びを持ったと言う事を言葉にしたのですが、これはある意味稀なケースで、普通に考えると人が死ぬ時に独りぼっちにならない保証が無い。 自分が死ぬ時に家族が誰も居なくなっていないと断言出来ない。 昔、結婚して家族を持てば一人にならないと思っていましたが、子供が独立して夫婦のどちらかが死ねば残った人は必ず独りになります。 ただ、生きている過程で独りではなかった時期があるだけで最後は独りになってしまう可能性がある。 恐らく高齢になる事で孤独=孤独死のような問題は大きくなるでしょう。
そうすると結婚した人でも最後は独りであり、また親元で独身で居る人も親が亡くなり兄弟などに死に別れてしまえば独りになってしまう。 孤独の反対に位置する身近な家族も事故、病気や寿命で亡くなれば残された家族は最後は独りになる。 自分としても遠い未来の話ではなく身近な問題でありながら現実から背を向けて生きているに過ぎません。 今は親兄弟が居て、家族も居れば普通はあまり考えません。 それが当たり前なので結婚とか家庭を持った人は独身者が独りで暮らしていて「結婚しろ」と言ったとしても、数十年後にお互いどうなっているかは誰もわからない。 孤独と向き合って生きていくことだけを最終的に考えればどちらが正しいと言う話ではなくなっていきます。 極論で言うと「幸せ」の定義は何だろう?と思います。
結婚したから幸せ、家庭を持ったから幸せ、しかし最後に独りになっていた・・・・幸せを死ぬ最後まで感じられるような生き方をする事は難しいのでは?・・・そうすると生きていく基準は一体何なんだろう?と私は思えます。 ここで話している話はあくまで目先の事だけで考えていかないとやってられない気もします、先のことを考えすぎても先が見えない・・・・・。 ただ人間は生き物として考えると子孫を残すのが生き物の存在意義でしょうから、 生きていく事は子孫を残す事と同義語ではないように思うからなのですが・・・・理由は上手く言えませんけど・・。 それに子孫繁栄を正当化すれば人口を増やす事を考えると3人以上子供を作らないと成らず今の社会では経済的に辛い話です(私も該当しません・・・・)。 この手の話は昔の環境と今の環境は全然違うので比較も出来ません(私が子供の頃と今の子供では違いますし・・・・・)。 恐らく結婚とか家庭を持たなくても独りで生活していて仕事などで自分の存在意義や他人との交流がある内はあまり孤独を感じない人も入るようです。 定年後に独りで居る事を上手く活用出来ず独りが耐えられなくなる人も居ますし |
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