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最終更新日10/11/21

コラム

コラム303

愚痴

 とある個人ブログ(今では無くなっています)で異性にもてない愚痴をやたら書いてあったのを読んでちょっと感じたことがあります。

私自身コラムの中で異性に関する話(恋愛とか)を多少なり書いてきました。

その中で私は自分に自信がなく他人との交流を苦手だったと言う話を書いていますが、この自信をどう持つかによって恋愛などに様々に影響する事があります。

 

ここで話す、「自信」というのは外観によるものであり、私個人は外観に自信を持てなかった為、悲観していたと言う経験をしました。

私が学生の頃は、異性を意識するようになったとしても周りの友人は「野郎」ばかり(笑)でそう言う異性に接する機会もあまりなく、自分が人と接する中で自分が思っている事と他人が思っている事は違う事を知りました。

同じように外観も人によって様々な受け止め方があり、外観は個人の好みであり、それも環境や感情によって替わってしまう要因であって、コミニケーションや対人関係で結構受け止める印象が変ってしまうものだと今は認識しています。

その為、異性に限らず人との交流の中で様々な事を経験する事で自然と恋愛を経験したりする物ではないかな?と思います。

私は自分の経験上、もてた方とは思っていませんが(汗)、ちょこっとは恋愛を経験したなかで後悔する事や最善な選択をしたとは言えない経験が多々あります

そんな事の繰り返しの中で人の関係を保っていれば、同姓の友達や友人が居ればそこから同じように異性の友達が出来てそれから彼女が出来たりする物だと思います。

外観が良ければ異性にモテルのは間違いないでしょう。

ただ、モテルことが人間性や人としての良さにはまったく関係ないと私個人は考えていますので、異性にもてる=外観とかではなくその人の交流や人柄とか人としてどうなのかの方が最も重要だと感じます。

人間はコミニケーションによって人間関係を構成しているので人間性が良ければ多少なり人に好かれるし、信用されると思いますし交流を広げる事で出会いが増えるのでその中で普通に生きていれば異性にせよ、同姓にせよ好きだ嫌いだの話は必ず起きます。

ただ、異性にモテナイのを外観だけの所為にして言うのであれば、それはちょっと違うのではないか?と私は思います。

こんなコラムを書く切っ掛けになったブログの本人がどのように考えているかは不明ですが・・・・外観を悲観しているのか、自分を否定しているのか・・・・私が思うに外観だけが良くても、外観はともかく実際に異性にもてたとしても、それと同じように同姓との交流はどのような人なのかを見る事が出来ればそちらを見て判断した方が間違いないように思います。

大体、私が思うに異性にもてた事を自慢しているような人の中には軽い人が居た気がします、人として信用は出来ない人だったかなぁ〜。

たとえ、もてないもてるとは別に同姓での評価が悪ければ人間性的に問題がある可能性があり、多方面の人の見方はその人の判断基準のひとつとして重要なポイントになったと思います。

逆に言うとその人は何でそんなにブログでモテナイ事ばかりを話ようになってしまった事が気がかりですが・・・・それだけ彼女が欲しいという本人の心の裏返しでしょうが、これは本人の価値観ですからね・・・。

 

ある意味、難しい事です。人間の心を他人はどんな人であれ100%理解するのは無理ですから・・・。

こんな事を言っていて私自身は・・・・まぁ・・・あまり考えないようにしてますけど(苦笑)

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