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最終更新日12/01/02

コラム

コラム317

人の接点

 先日、久しぶりに初対面の人達と飲む機会がありました。

この頃の私は初対面の人と一緒に飲むと言う機会が中々無くなっていたので、久しぶりの機会でしたが、よく知らない人と話す事で昔以上に強く感じる事があります。

私自身がそうなのですが他人との共存を強く望んでいながら他人と接する事がどこか難しい・・・・・。

本来、人間は同じようなタイプや趣味の共通点のある人とは仲良くなれる、しかし仕事などの関係で好きでも無い人と接しなくてはならない、これは社会で生きていく意味では普通の事ですが結構面倒と思う事があります。

それが、嫌な人やさまざまな人と接する中で他人よりも自分が傷付かないように自己防衛する手段として他人との接点を自ら絶ってしまう事がある。

そうする事で他人との出会いも無いが他人と新たに接する事も無くなる・・・・・。

他人と接する事は単純に友達や恋人を作る為と言う事だけではなく、他人と接する事で自分自身を見つめ直す事につながるのでは無いか?とこの頃思うようになりました。

昔の私ではとても考えられない考え方です。

私は元々閉鎖的な考え方を持つ人間だったので、振り返ると他人との接点を絞って生きていたような気がします。

それが今この頃は「間違いだった」と感じてからも未だに多くの人間との交流を作ることはできませんでしたけど・・・・。

私は根本的には人見知りだと考えます。
たとえ初対面の人とある程度会話が成り立ったとしても、緊張したり、何を話していたかあまり覚えていなかったり・・・・他人との会話がちゃんと成り立っているのか?疑問に思う事が未だにあります・・・。

それでも、他人との接点を会話の中で模索するようになったのは、自分の考えを年齢と共に変えるようになった事によって、振り返ると「新たに知り合えた人」、「友達になれた人」がいた事実から自分の僅かな変化が「無駄ではなかったのだろう」と考えています。

未だに自分の考え方が「正しい」とは言い切れませんが、初対面の人と話す事で自分が本当に必要としているのは、他人に自分の何かを認めてほしいのかもしれないと感じます。

自分の存在自身が人と接する事によって、何らかの形として、小さい事でもいいから自分の存在の何かを他人に認めてもらう事で小さい自己満足的な喜びを感じているだけなのかもしれませんけど。

それを他人と言うよりも自分以外の誰かに認めてもらうと言うよりも・・・・・ただ単純に他人に話を聞いてほしいだけなのかも知れません・・・。

他人と話していると人間は案外孤独で「さびしがり屋」なのかもしれないとこの頃は思ったりもしています(苦笑)。

人間は街に沢山歩いているので、沢山の他人がいるのに関わらず、知り合う人は僅か、そして友人知人になる人はさらに僅か・・・・・。

それだけ私を含めて多くの人が無意識に他人の交流を苦手としている事が原因かもしれません。

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