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コラム332
会話が面倒 |
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私は子供の頃からそうですが、対人関係がどちらかと言えば苦手です。
そもそも対人関係に疲れる為に会話が苦手としていますがねその原因は他人に対して気を使うのからであり気を使わないような性格なら全然問題ないと思います。 他人に気を使わないと言ったとしても、それがどのような定義なのかは人によって意味が変わってしまいますが、表面上の対人関係について少し話して見ます。 他人と接するのは接し方の態度などもあるものの殆どは会話によって決まります。 又、「話す」「聞く」により成り立つ会話の中で人間性的に信用できる人かどうかとなると不明確な場合が多いので上辺の話のみになります。 この時点で人は自己主張の会話か上辺の当たり障りのない会話しかしておらず中々内面が見えて来ません。 ですが、人間は自分の価値観で他人を判断するのでこれらの僅かな会話で他人を安易に判断出来ないのですがそうではなく判断を急ぐ傾向にあります。 僅かな会話で他人を理解したつもりになってしまう事があります・・・。 他人とのコミニケーションによって会話から成り立ちますがその会話が自分を良く見せたり悪く見せる結果になったりします。 私も会話を他人と続けて来て自分が他人とのコミニケーションが上手になったとは思えませんが、あまり成長もしていないように感じます。 私は元々他人に対しての基準が厳しく、上辺での接し方と内面まで付き合う人を分けています。 使い分けをする事で他人との交流に便宜をはかっているからなのですが、色々と面倒なことも多いからです。 ある意味、自分を見せないで他人と接している気もしています。 そうする方が楽だし自分が傷つきづらくなるから自己防衛的な面も感じていますが・・・。 会話は他人と接する中で気苦労が耐えないにしても会話によって他人と上手く距離を取りつつも自分の生活を回す上で必要な物です。 会話が上手なのは長所と言えますが会話は人によって受け止め方が違う為、正解と言う事もなく人と話す度に後悔する事を繰返しているだけの気もしていますが、それでも会話をして人とのつながりを維持していかなくてはなりませんので・・・考え方によってはごくごく普通の事なのですが、たまに面倒だなぁ〜と感じています。 恐らく日ごろの生活の中で同じような事を感じては繰り返して過ごしているだけで変化もないのですけどね・・・。 |
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