STE

最終更新日14/11/22

コラム

コラム350

他人の芝生

  よく他人の芝生は良く見えると言う話を聞きます。
単純に自分よりも他人が羨ましく思う事なのですが、この頃、そうとも言えない話をよく聞きくことがあります。

他人の会話か家庭の事や人間関係の話を聞くと「ふ〜ん〜」と受け流す程度の話から、もはや形を成していないような酷い話とか人と人との対人関係の話を何故か多く聞くようになりました。

それが夫婦間の話だったり、家族の話だったり、職場の話だったり・・・・・内容があんまり他人に話せるような内容ではないと思うのですが、今の時代、結構普通にそれらの話をする人が多い・・・。

内容はここで話すような話ではもはや無いので具体的には話せませんが、もはや人と人との生活環境が完全に他人同士と思えるようになってしまいます・・・・。

家族の話が、ただの人と人の他人同士の関係で家庭や夫婦の関係になっていない、しかもその状態の異常さを気づいていない人(考えないようにしている?)も多く、今居る自分の生活の足場が不安定な事をどう考えているのだろうかと思うような話です・・・・・。

私自身も他人に自慢できるような環境ではなく、他人を羨ましく思ったりするのですが、まだ自分の方がマシかもと言うより返す言葉がなくなるような話が多いです。

これらの話はただ苦笑するという状況です・・・。

これらの話を聞いていて感じたのは、自分が子供の頃、自分が大人になったらやがてこうなるんだろうな〜・・・・・と言う夢を持った記憶がありますが、
大人の家庭や環境が子供の頃に思っていたよりもちゃんとしたものではなく、
紙のような脆い土台の上に成り立っている事を自分が大人になって自分の経験として知ってしまうと、世の中で生活している人達はちゃんとした土台の中で生活しているのではなく不安定な生活環境の中でそれぞれが生活しており、外から見る限りだとちゃんと上手くやっているように見えてしまいますが、それが本来脆く危ない状況下である事を知ると人間の生活なんて理不尽な気がします。

中にはしっかりした対人関係で生活をしている人も居るのでしょうが、人間は適当で曖昧な生活をする事でそれらの人と人との矛盾を飲み込んで日々生活して生きているのだと言えます。

私自身、対人関係は面倒だと思うのでこの頃はあまり他人の中に入るような付き合いは避けています。

自分が思うに人間は独り独りが個による違い(差)による事がコミニケーションの調和を乱しているので人間社会による完全なる調和はありえません。
そうすると人と人との個々の違いが調和と言うよりは対立を生むのでそれらが生活環境の中で楔のようになって存在しており不安定な足場は何かが原因で壊れてしまう。

また利害関係によって和を保っているので利害関係が崩れれば人間関係まで崩れてしまう・・・・・。

 

そもそも家族の間ですら対立などのコミニケーションの問題を生むので他人が相手となれば尚更、難しい事なのは理解できますが人間本質がずるくて弱いからそれらの不安定な足場の中で他人とコミニュケーションを取ろうとするので尚更矛盾が起きるのかもしれません・・・・。

これらの対人関係ゴチャゴチャをただ見ていると結婚とか家庭を持たないで独りで居る人の考えも分かるのですが、それらの独りで居る人も親とは同居していたりしていてそれぞれの利害関係の中で繋がっているわけで・・・・・人の関係を掘り下げて考えると人と人との繋がりがとんでもなく面倒だと思うようになりました。

おそらくこれらのゴチャゴチャした人間関係は人間が生きている上で大なり小なり必ず起きる事であり、人間が完全な独りでは生活できない社会の中ではしょうがない事として生きていかないとならない事実も分かるのですが、個人的に何かすっきりしませんねぇ・・・・。

子供のころから好きでしたが、山や海、空を見ていると何となくほっとする事が増えたので歳を取った気がします。

生きていればどんな人でも何らかしらの経験をして生きているのは間違いないですね・・・。

 

コラムトップへ