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コラム382
友人の死 |
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私自身、今までに家族や親せきの死を経験しながら、自分の歳と共に「死」が近くなっていると感じていました。
それでも私と亡くなった人の年齢が自分と離れていれば、 自分と相手の歳の差が死そのものを遠い存在として捉えていました。 死が身近なものではなくまだ自分には遠い気がしている、少なくても後、20年とか30年とかは関係ないような つもりでいました。 この捉え方は「死」イコール「老死」によるものだけ、 「老死」は年齢によるものが大きく若い時や中年ぐらいではあまり関係ないだろうと思い込んでいただけでした(実際は病死も多いですが・・・)。 その為、病気で死んだりしても歳がそれなりに離れていれば年齢によるものだと思い込んで 自分と切り離そうとすることで「死」が自分には他人ごとだと思っていました。 こんなことを感じた理由は、私が20歳前後の頃に一緒に遊んだ最も仲の良い同級生の友人の一人が今年亡くなりました。 亡くなった原因は交通事故だったのですが、別の友人から連絡を受けた時は一瞬理解に苦しみました。 事故詳細を聞いても他人事に感じたのです(なに冗談言ってんだと思った)。 そもそも亡くなった友人とは今ではほとんど連絡も取らず年1、2度連絡するかぐらいに疎遠になっており友人経由で「何かやっているんだな」と知る程度(元気にやっている)の付き合いになっていました。 しかし、今回、亡くなったと言う話を聞くと溜息しか出ません・・・・・。 その友人とはケンカしたり嫌になって付き合いが無くなったとかではなく
私自身の生活環境などの変化によって距離が出来たので 私の環境も大分落ち着いてきたので、また連絡して会うつもりでいた矢先での不幸でした。 こう言う事が起きてしまったのはあきらめる他ありませんが、 今更のようにもう少し連絡を取り合っておけば良かったと後悔します。 まさか亡くなるとは思っていなかったので、また昔の様に機会があれば再び会って遊ぶだろう程度に気楽に 考えていました・・・・・・。 それが亡くなって一緒に遊ぶことが出来なくなってしまったわけで・・・溜息しか出てきません。
今でこそ付き合いが遠のいていた友人ですが、私の中では10代〜20代にかけて最も一緒に遊んだ友人の一人として 記憶が強く思い出されて切ないです。 昔の思い出だけでこれだけショックを受けると言う事は・・・今、頻繁に付き合いのあった友人達は付き合いがある分、ショックも私より大きいと感じます。
今回、葬儀に当たって一つ役に立てたと言うのも変かもしれませんが亡くなった後、友人本人に会いに自宅に行った際、ご家族に20歳前後の写真が無いと言う相談を受けました。 葬儀の際に本人のスライド映像を流すための写真が必要になるのですが、ご家族は赤ちゃんから現在までの写真の中で丁度20歳の頃の写真を持っていないとの事でした。 私は写真撮影が好きだったのでその友人が20歳前後に一緒に遊んだりした写真をすべてアルバムに保管していたので 私の独断で写真整理して数枚選んでご家族に送りました。 その写真の一部を葬式の中でスライドに使用していただきました。 今は葬儀場で当人のスライドを流すのが当たり前になってきていて当人の昔の写真が必要になったりします。
私が撮影した写真は趣味の一環として行っていただけで、自分が昔を思い出して眺める為であり それでも写真を撮って保管していた事は「良かった事だろう」とは私個人は思っていますが・・・。 実際、20代の頃、10代の頃の写真を友人達と一緒に眺めて「こんなことがあったなぁ〜」と笑った記憶があります。 それがもはや出来なくなってしまいましたが・・・・・・。 やはり若くして死ぬのは辛いですね。 今は友人のご冥福を祈るしかありません。 今まで「死」が遠いと感じて生きていましたが自分が40代になって友人の死で、「死」そのものが遠いものではなく何かの要因でいつ来るか分からない身近なものだとつくづく考えさせられました。 そして、人間関係は普段から大切にした方が良いとも考えさせられました・・・・。 |
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今回、写真を使用したアルバムの一部です。
この中には今回の友人以外にも多くの友達写真が数多く写っていますので、 今回のような出来事でまた写真を使用するのは当分後であることを祈ります。 |