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| 7.恋ノヤマイ<7> | |||
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床にだらしなく寝転がって、暗い室内に佇む鉄色のアマラ車をぼんやり眺めながら少年は、少し前に出会って別れた、おかしな魔王の言葉を思い出していた。
「みんながみんな、なんて贅沢言わないわ。でも、みんながそうなったら気分いいなって、思わない? その時、ね? 最期の瞬間、好きな人の手を握って、生まれ変わってもまた会おうねって約束して、こんな殺伐とした世界だけど、だからこそ、その瞬間だけ愛されてるなって思いたいじゃない。 えぇ? それと、この「愛のクスリ」にどんな関係があるのかって? うふふ、君若いわぁ。恋愛のなんたるかを判ってないのよね、まだ。 恋って、いっぽーつーこーじゃないのよ? そうでしょ。それに、スキスキって、思ってるだけじゃだーれも応えてくれないわ」
だからコレを「飲ませる」のよ? うふふ。なんて悩ましくも薄気味悪い皺嗄れ声で言ったモトは、つい黙り込んでしまった少年の顔をことりと覗き込んでから、ふう、と小さく溜め息を吐いて、その、「惚れ薬」とやらをぽんと少年の手の中に落とした。
「なんにしても、やっぱ行動しなくちゃダメじゃない?」
黒に翡翠の斑紋で縛られた細い指の中に落ちた、茶色の小瓶。金色のスクリューキャップと真っ黒ハートマークのいかにも怪しげなそれを一瞬ぽかんと見つめ、それから慌てて顔を上げた少年は、こんなものいらないと…なんだか全部見透かされた気になって、子供っぽくもムキになり、ぱふりと閉じた水色ポリバケツの蓋をこじ開けそれを突っ返そうとした。 いらないのなら誰かにあげて構わないとモトは笑った。やけに可笑しそうに。やたら嬉しそうに。棄ててしまってもいいとも言った。少し寂しそうに。何か諦めたように。 それで少年はなぜか手に茶色の小瓶を握り締め、ことり、かたりと底を鳴らして一歩下がったモトを見つめた。
「恋はいいわ。愛はステキ。ねぇ、ぼうや。今、何、考えた? 今、どんな気持ち? 恋をするって、愛されたいって、どんなもの? 悪魔のアタシには、判らないのよ」
全てが矛盾している。判らないのに、理解出来そうもないのに憧れる恋心。だから知ってみたい恋心。 水色のポリバケツを身に纏った似非乙女の魔王モトは、アタシ、ばかみたいでしょう? と弾けるように笑った。 少年はなんだかそれが羨ましくて、鬱々と別れる瞬間の失望ばかり考えている自分よりもずっと前向きな悪魔が、とても羨ましくて、頼りない手で茶色の小瓶を握り締めたまま、軽い口調でお別れを告げとことこ遠ざかって行くモトの背中…しつこいようだが、前も後ろも大差ないのだけれど…を見送った。 そして少年は、突如行動に出る。 しかしモトは、ここで根本的な失態をひとつだけ犯していた。 そう、彼? 彼女? どちらでもいいけど、は、少年に、箱と…説明書を渡さなかったのだ。 そんな事など露知らず、無理矢理赤色にあのドリンクを飲ませて一方的に玉砕した(……用法、用量を守って正しく使用しましょう…)少年は、随分と拗ねた気持ちでアサクサターミナルに逃げ込み、冷たい床に寝転がって無駄な時間を過ごしていた。 まさか、その間にダンテがあのモトと遭遇し、あの「極悪ハートマーク惚れ薬」の正体が明らかになっているとも知らず。 っていうか、知る由もなく。 何か物凄くバカな行動を取ってしまった事を後悔しつつ、でも、それが当のダンテにバレていないのだけが救いだと自分の気持ちを寂しく慰めていた。 いや、もう、今頃はバレバレなのだけれど。 どれくらい経ったのか、カグツチの影響を殆ど受けないターミナルの中で時間を計る術のない少年は知らぬまま、ただ四肢を伸ばして寝転がり、暗い天井を見上げていた。 突然、何の前触れもなくぱらりと開け放たれたスライドドアに驚いた少年が跳ね起きると、ぼんやりした光を背から受けた長身が、赤と銀の輪郭だけを際立たせ出入り口を塞ぐように立っているではないか。 それを目にして、少年の、弱々しく鼓動を刻んでいた心臓が、一回だけばくりと暴れる。 「ここに居たのか」 少年が瞬きもせずじっと見つめる中、ダンテは低くそう呟いて笑ったらしかった。しかしその表情は逆光に溶け、見る事が出来ない。 台詞から察するに、もしかして探されていたのだろうかと少年が小首を傾げる。 「あ…、うん。ずっと、居た…けど」 いつもと同じようでありながら、何か自分の中のダンテの位置が変わってしまったような妙な感覚に、少年はやや沈んだ声で答えた。投げ出していた足もそのままに、上半身だけを起こしてぼそぼそ言ってから、ふいと赤色から目を逸らす。 開け放ったドアから差し込む白い光で薄く照らされた少年の顔を、ダンテは見ている。晒した薄い肩を寄せほんの少しだけ俯いて目を伏せると、翡翠色の長い睫が滑らかな頬に灰色の影を落とした。 少年が何の目的であの…ドリンクをダンテに飲ませようとしたのかと考える事は、簡単だった。嫌がらせか、あの「愛のクスリ」とやらの効能を信じていなかったからこその暴挙か。しかし、事実として少年はそれを赤色に飲ませたし、赤色は、あのドリンクの正体と…。 正しい使用方法を知っている。 つ、と一歩、ダンテが静かな空気を波立たせる事なくターミナルに踏み込むと、薄い鉄扉がスライドして、室内を照らすのはまた、アマラ車の放つ鈍い光だけになった。 佇むダンテと。 座り込んで俯いた少年と。 静寂。 「…なんか用?」 蒼い瞳から注がれる視線にいたたまれなくなっただろう、少年は努めてぶっきらぼうに言いながら、少し機嫌の悪そうな顔でダンテを見上げた。 「用がなきゃ、傍に来ちゃダメなのか?」 その、普段のダンテと少し違う言い回しに一瞬きょとんとした少年が、すぐに、今度は本気で眉を吊り上げる。問うた自分を棚に上げるならば、この展開は、先程あの廃屋でダンテと少年が交わしたものと内容が一緒だ。 からかいに来たのか。 意地悪に来たのか。 少年は床に座ったまま顎を上げて、にやにやしているダンテを睨んだ。 「さっきヘンなモン飲ましたから仕返しに来たっていうなら、おあいにくさま、どうせそんな事だろって判ってっから」 身構えている相手をからかったり、意地悪したりしてもつまらないだろうという含みを持たせて言い放ち、こちらも、にやりと口角を吊り上げて見せる。 「ふうん。その言い方じゃぁ、最初から仕返しされる覚悟があった訳か? 少年」 わざとのように肩を竦めたダンテが言うなり、少年の頬が引き攣った。 「や! そういう意味じゃねー。そうじゃなくて!」 だからオッケーなんでもドンと来い! つうんでなくて、だから、心構えなんかしちゃってっからつまらないし止めようよって意味で! などとあたふた言い訳しながらじりじり後退さり始めた少年の足先にしゃがみ込んだ赤色が、目に掛かる銀髪に霞む薄蒼を眇めて、物騒に笑う。 「判った! うん、判りました。さっきは色々動転してて言い忘れたから今言うけど、ごめん! もう二度とあんなモン飲ませませんっ!」 ごっ、と背後の壁に背中をぶつけて貼り付いた少年は、怯えたような目で、口元にだけ作った笑みを浮かべ早口でまくし立てた。マズいマズい何されるか判ったモンじゃねー! という内心の悲鳴が聞こえそうな表情を、赤色がますます笑う。 「そうか…。なら、今度は俺がお前に飲ませてやるよ」 ダンテがそう言った瞬間、少年はそのままの恰好でぴしりと凍りついた。 だって。 手品みたいに突如ダンテの手の中に現われた茶色の小瓶の表面を飾った金色と黒い…ハートマークに、なんだか見覚えがあったから。 しかも。 開封した痕が見当たらない。スクリューキャップは未だしっかりとその継ぎ目を閉じ、わたし新品ですよ? な空気を放っている。 つまり。 ダンテの掌中で弄ばれているそれは、さっき少年が赤色に飲ませたものとは、別だという事か。 というかこの場合、弄ばれているのは少年本人なのかもしれないが…。 赤色が手の中の小瓶をくるくる回す様を少年は、息を詰め、瞬きもせず、壁に張り付いたまま青くなって見ていた。ライオンに狙われたガゼルのように。蛇に睨まれたカエルのように。猫に発見された皿の上のメザシみたいに。っていうか、順番待ちのハイエナを数えながら事切れて行く草食動物のように。いや、それもう何もかも諦めの極致だし。と、内心自分で突っ込んで悲壮さシミュレーション終了。 硬直し、しかしその内側で動転している少年など全く意に介さず、ダンテはようやく小瓶を回すのをやめ、見せ付けるようにゆっくりと封を切った。ぱきり、と黄金のスクリューキャップが断末魔の吐息を漏らすと、少年の薄い肩が面白いように跳ねる。 ところがダンテはそこで、予想外の行動に出た。なんと赤色は、その小瓶に口まで詰まった、相変わらず強烈に甘だるい香りを放ちまくっている液体を、なぜか、自分で飲んだのだ。 はい、もう一度。 用法、用量を守って正しく使用しましょう。 「あ?」 もしかしたら、鼻を摘んで無理矢理飲まされるのかとドキドキしていた少年が、ぽかんと口を開け間抜けな声を上げる。なぜ自分で飲む? と思った。 思ったのだ、少年は。何も知らなかったから。オカマのモト様が…、箱と説明書を渡さなかったから。 ちゃんとした使用方法を知らなかったから。 呆気に取られた。 その、嫌に子供っぽい表情を口の端を歪めるだけで笑ったダンテが床に膝を突き、凝り固まった少年に覆い被さる。最早逃げるという意識も働かなかったのか、ゆっくりと指先を置き、それから掌で包むように捉えられた腕にまたひくりと短く震えたものの、少年は抵抗しなかった。 視界を埋める、銀色の髪。蒼白い顔。薄く閉じた睫の間から、笑いたそうな蒼が覗く。 甘い、甘い、甘い香り。 甘い香りに冒された薄い唇が、反射的に俯こうとした少年の唇を掬った。 くちづけされて、肩を軽く引き寄せられて、少年は赤色の成すがまま顎を上げる。酷く濡れた、でもさらりとした感触の舌先で唇を撫でられて応えるようにそれを開けば、ゆっくりと流し込まれる、眩暈がする程甘く甘い液体。 少年は、目を閉じた。 恥ずかしさになのか薄っすら首筋を赤く染めた少年は、折り曲げた指の背であやすように頬を撫でたダンテの動きに誘われて、口の中に溜まった温い液体をこくりと飲み下した。それがゆるゆるとねっとりと喉を舐めて身体の中心に沈んで行くのを、ぼんやりと感じる。 全てを飲み込んでしまうと、ダンテは意外にもあっさりと唇を離した。ようやく許された呼吸を再開しつつおどおどと瞼を上げれば、間近で見つめるダンテの蒼と滲んだ金色がぶつかる。吐息。どちらのものか判らないそれはやはり甘く、お互いの頬を撫で、首筋を滑り、薄暗い室内に消えた。 「ダン……テ…?」 微かに疑問を含んだ、声とも吐く息ともつかない呟きに、赤色が微か薄蒼を眇める。 「用法、用量を守って正しく使用しましょう。だ、少年」 返った囁きもまた酷く聞き取り難いほど小さく、しかし甘く少年の耳朶を擽る。 全てが、睦言じみた甘だるさ。 おかしいと少年は思った。なんだか無意味な敗北感に目を潤ませて、未だ離れないダンテの胸元に額を押し付け、「うー」と唸る。少年が仕掛けた時、ダンテは全く変化なく、いつもと同じにけろっとしていたはずだ。それなのになぜ自分だけがこうも掻き乱されているのか。 ダンテは擦り寄って来る少年を抱き締め、あのドリンクの香りが移ってしまった黒髪に鼻先を埋めて、くすくす笑った。 少年は、知らない。何も。 「まぁ、効いたといやぁ効いた事になんだろうな、あの「愛のクスリ」とやら」 「…嘘だ。ぜってーバッタモンだって、あんな砂糖水」 まるで強がるように言い捨てた少年の小さな耳が、それこそ熟れたように真っ赤になっているのを眺めていたダンテが、ポケットから薄紙に箔押しの説明書を取り出して自分の顔の前に翳し、今にも笑い出しそうな蒼い目で文字列を追う。
<ご使用前に必ずお読みください> ●商品名:愛のクスリ(清涼飲料水)120ml ●不都合品は販売元にお持ちください。お取り替えいたします。 ●開封前は冷暗所に保存し、開封後はお早めにお飲みください。 ●効能:気持ちは伝わる。 ●用法:口移し(はあと)
効能の欄がなんとも言えないと思いながらダンテは、それを綺麗に折りたたんで、少年には見せずにまたポケットに仕舞い込んだ。 「で? 少年。そのバッタモンにアテられて、俺に惚れたか?」 ダンテはわざと少年の耳元でそう囁いてから、皮膚の薄い耳朶に短くキスをくれた。 ++++++++++ その後、ポリバケツのモト様が「黄金を宝石とプラチナで飾った棺桶の再建」に成功したかどうかは、誰も知らない。
2006/5/11(2006/05/20) sampo-tei
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ えー。最初から最後までアホな話ですいません(笑)。事務所の控え室に並んで置かれているスチール製のロッカーとポリバケツを見ていて、思い付きましたっ! ホント、理由はそれだけ。で、なぜ惚れ薬だったのかは、自分でも不明です。 ちなみに、モト様は一回も、この「クスリが利く」とは言ってないはずです! 今回、仕込みが判り難かったですね。次に似たようなネタを取り扱う際にはもうちょっと注意します。 行商人モト様シリーズとして、他の「怪しげなクスリ」も開発して欲しいなと…ちょっと思ったりしました(笑)。
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