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グラン・ガン

   
         
割り切るのではなく許そうとしてくれればいい。

  

 逆立ちしても少女の風貌。

 そのタマリが、急に「うるっ!」っと…わざとらしい効果音付きで目を潤ませ、硬い表情で監視ブースから降りて来たスーシェに駆け寄る。

「うあああああん。会いたかったぁ、すーちゃーん!!!」

「ぼくも会いたかったよ、タマリ」

「うわー、すっげー冷てぇ言い方ぁ。何さ、それ」

「社交辞令」

 体当りして抱き付いたタマリをくっつけたまま、スーシェは思いきりそう言い放った。

「くっそー。かくなる上は、デリちゃんと再会のキスを交わすぞ!」

 スーシェの首に腕を回したタマリが唸るように呟いた途端、スーシェは小柄なタマリの背中を掴んで自分の身体からひっぺがし、アリス同様、無情にも彼を床に転がしたではないか。

「ああ、会いたかったとも、タマリ。君がその辺りきっちりとわきまえてくれるなら、感激して泣いて見せてもいいくらいにね」

「ほおほお。でもさ、すーちゃん。アタシのどの辺、何が解ってないのかな?」

「…デリにべたつくのはやめろ」

 またも床に寝転がったままのタマリを見下ろす、完全に冷え切ったスーシェの目つき。それからさりげなく視線を逃がしながら「あちゃぁ」とバツ悪そうにするタマリと、剣呑なふたり(?)を遠巻きに眺めつつ、必死に笑いを堪えているデリラを交互に見遣り、ミナミが「何、それ」とアリスに問い掛ける。

「? ああ。ミナミは詳しい事知らないのよね。つまり…」

 そこまで言って、アリスが急に口篭もった。

 スーシェは俯いた。

 デリラは困ったように眉を寄せ。

 アン少年がおろおろとそれらを見回す。

「タマリ、デリちゃんの命の恩人なんだもの。だから、デリちゃんはアタシの要求を無碍に出来ない辛い立場なのさ」

 がしかし、タマリはあっけらかんと、またも床に頬杖を付いてにこにこしながらそう言ったのだ。

「てめーら感謝しろつうの、アタシにさー。だってね、聞いてよ、みーちゃん。みーちゃんはさ、デリが前に死にかけたっての、知ってんでしょー?」

「…。怪我して医療院に二ヶ月くれぇ入院してたってのは知ってるけど、それ?」

「そ、そ。実はねー、あんとき、デリちゃん第九小隊(うち)の執務室から歩って帰ったんだけどさー、肋骨肺にぶっ刺さってたりとかしてて、下手すりゃ、その場で死んでてもおかしくなかったのよねぇ」

 相変わらずタマリは平然としたものだったが、俄かに緊張した周囲の気配を察したのか、笑うのだけはやめた。

「ゲイルのバカが、見境なく重重力でふっ飛ばそうとしたんだからさ。でも、アタシが咄嗟に「カウンター」で重力球の軌道変えたからデリちゃんに直撃しないで済んで、直撃しなかったからデリちゃんは生きてたワケなのよ」

 それは、第七小隊が新編成された直後の事件だった。だがミナミはその詳細を知らない。

 ただし、それが今のデリラとスーシェの「始まり」だった事は、想像に固くないが。

「まー。そういうワケでデリちゃんはアタシのおもちゃなのねー。すーちゃんがそれ「面白くないっ」ってのは解るんだけどさ、何? こー、軽いスキンシップ領域の意地悪は辞めるに辞められないというか」

 いひひひひひ。と最後を気に触る高笑いで締め括り、タマリはやっと立ち上がった。

「? なーに、あんたらまだそんな昔の話し気にしてんの? アタシがデリちゃんの命の恩人なんだよー、てのは末代まで語り継いでいい偉業だけどさ、この場合の発端と経緯と結果は、笑って「あれがあってよかったね」って言う種類だと思うけど? ねー、みーちゃんはどう思う?」

「ものすげー結果オーライ思考過ぎ、それ」

「いいじゃん。すーちゃんもデリちゃんも今幸せなんだから」

 今、幸せ、なんだから。

 タマリはつまらなそうにばりばりと黄緑色のショートボブを掻き回しながら、短く…短く、溜め息を吐いた。

「…………後悔しても罵られてもひとでなしつわれても、生きてる人間は生きてかなくちゃならないんだし。のーてんきに行こうよ、ね?」

 虚空の潜む上辺の陽気な笑みが、タマリの表情を飾る。その意味をイヤと言うほど知っているデリラは黙ってスーシェを見つめ、ゆっくりと顔を上げた伴侶に、小さく首を横に振って見せた。

 ミナミは無言で観察する。今この演習室で何が交わされているのか。そしてミナミにはその「事件」を調べて知る手立てがあったが、彼は、取り立てて彼らの過去を掘り返すような真似はしなかった。

 したくない。

 一瞬降りた沈黙を、固い靴音が砕く。それが監視ブースから降りて来たグランのものだと知って、電脳魔導師隊に所属するその場の大多数が壁際に整列し敬礼するのを見ながら、ミナミとヒューは少し離れた。

 上から見ていて知っていたのだろうが、グランは部下に頷いて敬礼を解くように目配せしてから、ミナミとヒューに顔を向け会釈した。下手をすると陛下にさえ頭を垂れない緋色のマントがこういった行動に出るのは非常に珍しいが、ここでは誰もそれを珍しいとも不思議だとも思っていない。

 ミナミ・アイリーは、敬われるべき格別な一個として認識されているのだ。盛大に毛先の跳ね上がった金髪とダークブルーの双眸の、綺麗な青年。そしてその青年の後ろには、あの鋼色の悪魔が控えている。

 ミナミがグランに軽く頷き返す。二ヶ月ですっかり板についたその仕草を柔らかな視線で肯定し、電脳魔導師隊大隊長グラン・ガンは、改めて隊列に向き直った。

 監視ブースからフィールドに下りる階段の手前で、ドレイクはハルヴァイトを振り返った。

「ハル」

「なんですか?」

「ミナミにゃぁ…」

 ドレイクの、続かない言葉の意味を知っている。だからハルヴァイトは小さく肩を竦め、佇むドレイクを躱わして歩き出した。

「いつかは話す。それが今日になった。それだけですよ」

 不透明な鉛色の瞳。

「…面倒続きだっていうのに、まったく…」

 溜め息は、ドレイクに気付かれないよう飲み込まれた。

            

          

「タマリ・タマリ魔導師、本日付けで第七エリアより王城エリア本部に帰還いたしました」

 さっきまでのふざけた態度が嘘のような完璧さで敬礼したタマリに、グランが無言で頷いて見せる。それを受けて一礼し、一歩後退して隊列に戻ったタマリの視線が大隊長の肩先から向こうに流れて、誰もが、彼と同じようにグランの背後に視線を向けた。

 翻る、緋色のマント。鉄紺色の皮紐で結ばれた髪と、鉛色の瞳。堂々と倣岸に腕を組んだまま大股で近付いて来るハルヴァイト・ガリューの傍らには、浅黒い肌と曇天の瞳を煌くような白髪で彩ったドレイク・ミラキが、いつもと同じに並んでいる。

「ここでは、それぞれ指示通りの成果を出せたのかどうかを見せて貰う。立合いは特務室アイリー次長とスレイサー衛視だ。

 スーシェ・ゴッへル、タマリ・タマリ」

 呼ばれて一歩進み出たスーシェとタマリ。

「イルシュ・サーンス、ブルース・アントラッド・ベリシティ」

 続いて、訓練校の制服を着た二人の少年が進み出て、なぜか、アリスが…ぎょっと目を剥いた。

 ブルースは、煉瓦色の髪を無造作に肩まで伸ばした、暗い赤銅色の目の陰気な少年だった。色が白く細面で、いやに鋭い目つきをしている。

 その、刺すような視線の先には…ハルヴァイト。

 ミナミが、ふと眉を寄せる。この空気はなんだろうか、と。

「以上の四名には魔導機稼働を命ずる。これは昇格訓練である。よって、お前たちには「ディアボロ」と「フィンチ」の相手をして貰う」

 誰も何も言わなかった。グランの背後に控えたハルヴァイトとドレイクの顔つきを見た時から、予想出来ていたのかもしれない。

「ただし、重ねて言うがこれは稼働状況を確認するための「訓練」であるため、「ディアボロ」と「フィンチ」には防御のみを許可した。この訓練によってわたしが適当と判断した場合、以上の四名は電脳魔導師隊第七小隊に編成される」

 グランが威厳のある声で続け、四名は敬礼してそれを受け取った。

「アン・ルー・ダイ」

 スーシェたちが隊列に戻ると、入れ替わってアンが一歩進み出る。少年は緊張気味に敬礼したが、一度もグランから目を逸らそうとしなかった。

「魔導機の正常な顕現稼働確認後、お前は魔導師隊から除名される」

「はい」

「魔導機の顕現に失敗した場合は現状のまま魔導師隊に残り、第六小隊へ再編入される」

「…はい」

「一言だけ、お前には言っておく事がある」

「はい」

 グランは、そこで微かに笑顔を見せた。

「ローエンスは、お前などいらんと言っていた」

 だから。

「ありがとうございます」

 来るな。否。行け…か。

 一歩後退して隊列に戻ったアン。グランは短く頷き、アリスとデリラに視線を向けた。

「ナヴィ、コルソンの両名は監視ブースにて観測システムのオペレーション。

 訓練開始は三十分後。以上」

 短い敬礼の後、フィールドに残る者たちはそれぞれ隊列から離れ、ミナミとヒューはグランに促されて監視ブースへつま先を向けた。

 直前、ミナミがハルヴァイトを振り返る。恋人はドレイクと何かを話し合っていて、ミナミの視線に気付いてくれなかった。

「……」

「ミナミ…」

「? 何?」

 小さく声をかけられて傍らに視線を戻したミナミを静かに見つめたアリスが、絞り出すように囁く。

「…何があっても、ハルの「味方」でいてあげられるわよね?」

「………。アリス?」

「お願い、ミナミ…。本当に辛かったのは、ハルだったのよ」

 彼女はそれだけ言って、ゆっくりと瞼を閉じた。

  

   
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