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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(36)

  

『生命活動を一瞬の停滞もなく行う人体には 体内で時間を正しく刻む「体内時計」がある。

 逆に 氾濫する無数のデータだけを羅列し構築されている臨界には 現実面との接触以外 データ上の時間進行は 不必要だから ない。

 臨界はあくまで「データ」を記録し 操作し 現実面にポイントされた「魔導師」を媒介として 接触 顕現させる事を目的として構築された。

 それは 地上を追われ空を漂うという不自然さ 不都合の 辻褄合わせが 当初の構築理由だったから。

 現実面で必要な「過去」は 臨界でデータ化され蓄積される事で記録として残る。

 この場合のデータは過去を閲覧するものであって 操作するものではない。

 だから 臨界は 現在進行形でデータを蓄積するが その作業を終えれば 時間的進行を必要としない。

 臨界の話は これで終わり。

 グロスタン・メドホラ・エラ・ティングは 三十二年前 産まれた直後に臨界へ落ちた。

 しかし 彼の現実面本体である体は こちら側に残った。

 意識を臨界に置き 体を現実面に置いたグロスタン・メドホラ・エラ・ティングは 臨界側から現実面に通信する事によって自身の置かれた「時間」を観測し 現在にアクセスを繰り返している。

 彼は 眠る本体を常に観測し 臨界にあって現実面の時間進行と同調しているという事』

 一気に流れる文字列を追いながら、誰もが息を詰める。

『アドオル・ウインは』

 表示された文字が消えると今度はまた別の名前が提示され、アリアが微かに身じろいだ。

『あのひとにデータ化され 臨界に存在している。

 あのひとは 必要になった時 アドオル・ウインを再構築しようとしていた。

 その時 臨界と現実面との時間進行を同調させるためにあのひとが使おうとしていたのは 自分の脳内に駐屯させた アドオル・ウインの「記録」。

 現実面に在って体内時計の進行する自分の中に アドオル・ウインの基礎情報を「記録」し こちら側から臨界に置いたデータを呼び出して 同調させるつもりだった。

 これで グロスタン・メドホラ・エラ・ティングと アドオル・ウインの話は終わり』

 そこでミナミの指が止まる。

 注がれる視線の全てを仄かな笑みで跳ね返し、全て判っているような達観した空気を纏い、青年は、そこに存在している。

 まるで、それが重要なのだと言いたげに。

『あのひと ハルヴァイト・ガリューは』

 室内が緊張する。答えは…。

『自らの意思で臨界に行った。

「アンジェラ」と「ディアボロ」の衝突で起こるはずだった 超テラ級 もしかしたらそれ以上で暴発しようとしたエネルギーを使って ゲートを どういう方法でなのかは判らない 作り 現実面から臨界へ入り 消えた。

 生きたまま あのひとは 臨界に行き そして 戻る』

 それが無理だつってんだ。とアリアが吐き捨てる。しかしミナミは、硬直した周囲に、苛立ちに眉を吊り上げたアリアに向けて、ふわりと、微笑んで見せたではないか。

『目的は 多分 グロスタン・メドホラ・エラ・ティングの 成長した姿を「記録」するため』

 臨界側で三十二歳になったグロスタンの「姿」を脳内に記録し、それをこちら側に持ち帰って何をするつもりなのか、と誰も問わなかった。判っている。

 ハルヴァイト・ガリューは、現時点で手の出せない場所に居るグロスタンを、この世に呼び戻すつもりなのだ。

 正しく裁くために。

 アドオル・ウインを煽り。

 アリアを、イルシュを、ジュメールを、縛った。

 その理由と意味と罪を、償わせるために。

 ファイランという都市を引っくり返すような、乱暴な方法で。

 そして。

『あのひとが現実面で完全再構築されるために必要なのは 生体を基点とし停滞なく進行する脳波時刻。

 あのひとの 正しい「記録」。

 それは 一秒前と今と一秒後にも変わらず再生されなければならない。

 記録映像という人為的に操作出来るデータではなく 現実的時間進行に則って細胞分裂時計の記す点と点とを繋ぎ 構築開始から終了まで変わらない 帯状の』

 ひとりのひとを寸分の違いもなく再生し続ける…。

      

『記憶』

      

 瞬間。

 アリアを除く全員の視線が、ミナミに集中した。

 吸い込んだ空気を吐くという行為さえ忘れ、驚きと恐怖に手足が血の気を失う。

 これは偶然か? 必然か? そうでなければ、運命なのか? どれでもいい。最早その命題を突き詰める意味など微塵もない。ただ唯一確かなのは、ミナミ・アイリーという絶対の記憶力は今この瞬間現実に在り、ハルヴァイト・ガリューが、それを無条件に信じたという事実。

 グロスタン・メドホラ・エラ・ティングが別れたひとりで成し、しかし現実に戻れなかったのにも関わらず、ハルヴァイトは、時間という操作出来ない基点を、全て、ミナミに任せた。

 ミナミ・アイリーという、データに埋もれない恋人。

『俺は あのひとを 憶えてる』

 最後の一行を打ち込んで、ミナミは端末を閉じ立ち上がった。

 呆然と、愕然とする室内。

 いつもと同じ無表情を取り戻した青年のダークブルーが、ぴたりとドレイクの曇天を捉えた。

 睨み合うように視線を合わせ、不安などこれっぽっちも見せずに小さく頷いて、ミナミはゆっくりと唇を動かした。

『おれ は ぜんぶ おぼえてる』

 安堵でもなく、歓喜でもなく、やはり恐怖に近い感情が胸に沸き、ドレイクは震える唇を引き結んだ。

 それでも、ミナミは憶えているという。あの青年が憶えているというなら、記憶は、ミナミの中で「生き」ながら、今も、ハルヴァイトと繋がっているのだろう。

 信じるしかないのではない。

 疑ってはならない。

 驚愕のドレイクから水平に滑った視線がヒューに移り、銀色が無言でドアを開け放つ。先んじて室外に消えた漆黒の背中を追って、ミナミは、一度もアリアを振り向く事なく特殊防電室を出て行った。

「……………………記憶なんて曖昧なモン…信用出来んのかよ…」

 搾り出すようなアリアのセリフにはっと意識を取り戻し、ドレイクは肩の力を抜いた。

「出来る出来ねぇのレベルじゃねぇだろ、ミナミの場合…。やっぱ、おめーミナミにゃなれねぇな」

 ハハ、と軽く笑ったドレイクが床に座り込んだままのアリスに、手を差し伸べる。

「おめーよ、ハルが戻ったら、とんでもねぇ連中に喧嘩売らされてたってぜってぇ後悔するぜ。ま、そういう事だから、謝りたくなったらいつでも連絡よこせよ。その顔で愚痴られてもいまいちピンと来ねぇが、ああそう、くれぇは言ってやるよ」

 伸ばされた腕に殆どすがり付くような格好で立ち上がったアリスは、まだ混乱したような顔でドレイクとアリアを見比べている。置き去りのアン少年とデリラは眉間に皺を寄せて唸り、アリアは、曇った青色で開け放たれたままのドアを見つめていた。

「…戻れんのかよ、あいつ…。本当に」

「ああ。戻るぜ、ハルは。つうかよ、そもそも、そのつもりでなきゃ行かねぇだろ? あいつが………」

 ミナミを、ひとり遺し。

          

        

 そして物語は、まだまだ、続く。

       

        

2005/03/10(2005/08/02) goro

  

   
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