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17.フレイム

   
         
(9)三日目(機械式-3)

  

 翌日の昼過ぎ、電脳魔導師隊第七小隊執務室に、珍しい訪問者があった。とはいえ、訪れた人が珍しいのではなく、彼が一人でここに来る事が珍しかっただけなのだが。

「…暇なんですか? スレイサー衛視」

 ノックの後でいきなり入室して来たヒューの顔を見るなり言い放ったブルースが目の前で、あのバカでかい手から繰り出されるアイアンクローの餌食になったのを目にして、イルシュが蒼褪める。良かった、余計な事言わなくて、と声に出さないまでもすぐに判る横顔を、ジュメールが薄く笑った。

「悪かったな、暇そうで」

「痛い痛い痛い痛い痛い! っていうか割れるっ!」

 その様子を遠巻きに眺めつつ、ケインはもしかして本当にこの人は暇なのだろうかと少し悩んだものだが。

 言わないでおいた。あのアイアンクローは、本気で痛そうだ。

「申し訳ありませんがスレイサー衛視、うちのコをいじめないで貰えませんか」

 複雑そうな笑顔でスーシェに言われて、ヒューはようやくブルースを開放した。

「それで、実は暇なんですか?」

「…残念だか忙しい。ゴッヘル卿にちょっと訊ねたい事があって来たんだが、いいか?」

 煉瓦色の頭を抱えて唸っているブルースの後頭部をくしゃりと掻き回したヒューが、何事もなかったような顔で少年たちの前を離れ、小隊長室から出て来たスーシェに薄い笑顔を見せる。

「何か内密なお話でも?」

「いや、本来なら通信でもいいんだろうが、今、特務室近辺じゃ電子機器が根こそぎ使い物にならなくなってるんだ」

 肩を竦めて溜め息混じりに言い放ったヒューの横顔を、ブルースが見上げた。

「…図版の構築班に、何か?」

 室内を占めた嫌な空気を振り払うようにスーシェが問うと、眉間に皺を寄せて腕を組んだヒューが、そうだな、と溜め息みたいに答える。

「あの図版、正しく構築された途端に、一瞬だけ荷電粒子を撒き散らすらしい。まぁ、そのおかげで構築自体はミナミのチェックなしでもスムーズ? に進んでるようだが、危なくて二つも三つも同時に完成させられない。そのうえ、会議室は防電してないからな、機材を保護するために魔導師の方が分散してて、特務室(うち)の隣にタマリが移動して来てるものだから、殆どの端末が外されて簡易防電シートの中に避難中なんだよ」

 だから足で稼いでる、と言い足したヒューのうんざり顔を笑ったスーシェが、不意に表情を引き締める。

「じゃぁ、ミナミさんは? 今、何を?」

 不安げなスーシェの顔に視線を当てて、ヒューは、もう一度短く息を吐いた。

「ただ見てる」

 照合作業もなく。

「見せられてる、か」

 何も出来ず。

 もしそれまでハルヴァイトの計画だったとしたら、彼はなんと冷たい仕打ちをするのだろうとスーシェさえも思った。自らを臨界という異世界から呼び戻すのはミナミだと提示しておきながら、彼は、その瞬間までミナミにはただ見ているだけの役割を振った。

 その辛さ。そのもどかしさ。その苛立ちを嫌というほど知っているだろうミナミに。

「それでも、作業は確実に進む。ミナミは絶対不可欠な最後の要素で、最初のきっかけでもあった。ガリューが実は何をどう考えてそんな位置にミナミを据えたのか俺は知らないが、だからこそミナミは、最初から最後まで、ずっとガリューの事を考え続けなければならないんだろう」

 最後まで。

 最初から。

 泣く事も喚く事もなく、冷静に、淡々と、事の推移を見守って、見守りながら、淡々と、冷静に、一心に…。

     

     

あなたが、わたしを。

求めているのなら。

     

     

 恐怖だな。とヒューは、誰にでもなく呟いた。

 重苦しい空気を振り払うようにスーシェが首を横に振り、それで? とヒューに顔を向け直すなり、銀色が本題を思い出したとでもいうように頷く。

「ヴィジュアル系のギミックを使って、二次元を三次元的リアルタイムで投影する? とかいう方法は、つまり、どういう事なんだ?」

………。は? と、スーシェはなぜか、問われた途端にブルースを見た。

「多面構造のなんとか、とか」

 偉そうにふんぞり返って言われてもと内心呆れつつ、ブルースはソファの正面に座っていたジュメールに場所を空けてくれるよう目配せする。

「単体投影くらいならぼくでも説明出来るけど、正直、多面構造を使用するタイプのギミックは、制御系の領域ですよ、スレイサー衛視。

 という訳なので、先ほどアイアンクローをお見舞いしたブルースに訊いてくださった方がよろしいかと思います」

 さあ、あそこ。と柔らかな笑顔で指差されたブルースの正面に顔を向け、ヒューはすぐに渋い顔をした。

 あほないたずらする前に、訊いておけばよかった?

「…お手柔らかに頼むよ」

「意外と殊勝ですね。今ちょっと、気分いいです」

 にやりと笑ったブルースの横顔を応接セットの傍らにぼんやり立って眺めていたジュメールはそこで、珍しく、ぼそりと突っ込んだ。

「…タマリみたいだ」

 それを聞いてきょとんと目を瞠ったブルースの正面に腰を据えつつ、ヒューが吹き出す。

「どこがだよ!」

 些細な事ですぐ気分が持ち直す所というか、いつも一言多いのが案外似ている、と、言えばいいものを、ジュメールはその手間(?)を省いて、無言のまま肩を竦めブルースから視線を逃がしてしまった。

 ここに来た当初からすれば随分良くなったものの、ジュメールはどうも自分の考えを正しく言葉にするのが苦手なようで、それは結局、「生まれて」からずっとひとり小さな部屋に監禁されていた事や、極端に他人との接触が低いのに時々外界に連れ出されて奇異なものを見る視線に晒されたりしていたせいなのだろうが、意志の疎通に会話が必要だという当たり前の思考が働き難い上に、自分の考えを理解して貰おうとか、もっと単純に、思った事を言葉で現そうとしない。

 だから逆にこの時、ヒューとは別の意味でスーシェやケインなどは微笑ましく真白い青年を眺め、先にはわざと怒った顔を作ったブルースも、ついには薄く微笑んで目を閉じ、ジュメールの変わり様を嬉しく思ったりもしたのだが。

 何かを見て、そう思う。思ったから、口に出す。

 それは本当になんでもないのだけれど。

 ジュメールは始め、そんな当たり前の行動さえ取ろうとはしなかった。

「ジュメールは後で問い質すとして、それで、何がお訊きになりたいんです? スレイサー衛視」

 ふ、と短い息を吐いて瞼を上げたブルースを、冷たいサファイヤが見据える。

「今さっき、モンタージュ作成班の方に顔を出して、ゴッヘル卿とコルソンの意見を映像に起こしたものを見て来た」

 ヒューはそこで手短に、あの「ヴリトラ」を操っていた魔導師のモンタージュ作成手続きが難航しているという話を、ブルース以下スーシェ以外の隊員に判るよう説明してから、何か確かめるように、神妙な顔で頷いたスーシェを振り向く。

「概ねスレイサー衛視の言う通りだよ。ぼくの記憶が定かでないのはある程度予想してたけど、なぜだか、正常なはずのデリの記憶も曖昧でね、一昨日の作業では、一人目の魔導師に、ぼくで四つ、デリで七つのモンタージュを作るハメになった」

 空いているブルースのデスクに着いたスーシェが溜め息混じりに応じると、それに何か疑問を抱いたのだろうケインが眉を寄せる。

「その、スゥからの証言で作成されたものと、コルソン衛視の証言から作成されたもののうち、合致する写真は?」

「ない」

 相変わらず偉そうに腕を組んだヒューがケインに短く答え、今度はブルースが顔を顰めた。

「完全に一致しないまでも、どこか特徴が似ているとか、印象が共通とかいうものはないんですか?」

「ぱっと見はないな。ただちょっと思い当たる事があって、視覚的画像じゃなく別方向から調査して貰ったら、面白い「共通点」があった」

 面白い共通点? と首を捻った第七小隊の面々を見回してから、ヒューが自分の眉間に人差し指を当てる。

「顔面の簡易定点測定だよ。全部で十一の「顔」それぞれに二十箇所の定点を打ち、距離と配置を確認した。結果、眉間、目頭から目頭までの距離、左右の耳孔の予想中心、それと顎の先端から額の中心までの距離が、ほぼ一致したんだ」

 途端、ヒューの言う十一枚のモンタージュ全てを見ていたスーシェが、妙な顔で唸った。

 その十一枚は、極端に顎の細いのもから頬の垂れたものまで、見事な統一性のなさだったはずだ。だからこそスーシェは混乱したし、デリラも、混乱した。

「…定点測定…」

 何か閃きそうなのにその閃きが捕まえられないのか、ブルースが顎に手を当てて俯き、煉瓦色の眉を剣呑に寄せて呟く。顔面の定点測定で得られる情報は、確かに多い。しかし逆に、それしか一致しないというのは、ある意味おかしな話なのだ。

 一致しているのも、おかしいのだが。

「とりあえず、そうだ、という事実は判りました。それでなぜスレイサー衛視はうちを訪ねて来たんです?」

 膠着しそうになった空気を、スーシェが前に進める。

「だから、さっきの話しだよ」

 ぶっきらぼうに言い捨てられて、いやだから、なんというか世間に優しくない人だとブルースは内に沈みかけた思考を浮上させてヒューを眺めつつ思った。言った方は平然と腕を組んで何か意見を求めるように首を傾げやがる(…)のだが、言われた方は前後の繋がりがさっぱり判らず目を瞬き、見学の第三者は弱った空気を纏って押し黙る。

「…助けてミナミさん」

「というかこの場合、ルー・ダイ魔導師に助けを求めるのが賢明なのでは?」

 嘆息しつつ呟いたブルースにケインが言い足し、ヒューの細眉が片方だけ跳ね上がった。

「っていうかさー、特務室ってホント怖いよね。ヒューさんみたいな人ばっかりなんでしょ?」

 本気でそう思っているのだろうイルシュが、壁に背中を預けて笑いを堪えているらしい、俯いたきりのジュメールに視線を送ったが、青年はあえてそれには答えなかった。

「イルくん、それじゃ、もっと真面目にお仕事してる衛視の皆さんに失礼だよ」

 こちらはにこやかなスーシェにやんわりと咎められた少年が、そっか、と笑顔を見せると、ヒューがますます不満そうな顔でふんと鼻を鳴らす。

「俺は大真面目だ」

 だったら最悪。と、ブルースは。

 正面で旋回したヒューの横顔を見つめていて、瞳に射し込む天井からの灯りが一瞬だけ銀色に変わり、またすぐあの冷たいサファイヤ色に戻った瞬間、あ! と、自分でも驚くような声を上げていた。

 閃き。

「モーフィングだ」

 呆然と呟き、スーシェに向けられていた端正な顔が自分に戻るのを瞬きもせずに確かめてから、ブルースは煉瓦色の眉を殊更険しく寄せた。

「なぜ、そう思ったんですか? スレイサー衛視…。

 もしかして、その、スゥ小隊長とコルソン衛視の「見た」のが、実は「見せられた」ものかもしれないって」

「俺が思った訳じゃない。ただ俺は、モンタージュ作成班の方で作業が難航してるから、あの日ゴッヘル卿らと同じく違法魔導師の顔を見ているだろうマックスウエル砲撃手とウイリー事務官を参加させたらどうか思って、意見を訊いた」

 あの、色の薄い金髪と水色の目の少年が。

「それに、アンくんが、ヴィジュアル系のギミック? だったとしたら増員しても意味がないだろうと言ったんだよ」

 ヒューが執務室に現れてすぐ言った言葉と今の話を繋げて考え、ブルースはようやくそれが魔導師による視覚的に記憶を混乱させる方法かもしれないと思い当たった。しかしアンは、一昨日の夜、銀色が地下演習場で意見を求めた時既に、その可能性をすらすらと提示したはずだ。

 閃き。

「…アンくん…ね。あのコ、実は凄く頭の回転が速いのかもしれない」

 思わずスーシェの口から漏れた呟きを、ヒューは首を横に振って否定した。

「確かに頭の回転も速いかもしれないが、ある意味、あのガリューとミラキと肩を並べてるんだぞ? 一筋縄じゃ行かないんだろうよ」

 だから、少年は考えた。いつ何時ハルヴァイトが現れて、「なぜだと思います?」と意地の悪い質問を繰り出されてもいいように、仮定を立てて意見を纏めた。

 全ての事象を考慮して。

「自称三流貴族でなんの期待もされてないとか言うの、やめて貰った方いいんじゃない? っていうかさ、ブルース、モーフィングって、どいういう事?」

 自分の回転椅子に座って足をぶらぶらさせていたイルシュが、苦笑いしながら肩を竦める。その意見の全てに大いに賛同だ、とヒューは頷き、正面で険しい顔をしているブルースに視線を戻した。

「その前にスレイサー衛視、ルー・ダイ魔導師は、他になんと言ってらしたんですか?」

 覚えてる限り全て言え、的鋭い視線で睨まれて、今度はヒューが肩を竦める。

「ヴィジュアル系のギミックじゃないかとか、コルソンの見た魔導師の「映像」がどうとか、簡易シネマの投影装置でステルスが…なんとか」

 言葉を重ねるにつれて徐々に深くなる赤い青年の眉間の皺に一抹の不安を覚えつつも、ヒューは相当危うい記憶を探った。

 いや、正直ちんぷんかんぷんだったので、半分も覚えていないのだが。

「多面構造のプリズムがどうとかも言ってたな」

 それで、さすがにこれだけのヒントを貰って閃かなければ制御系魔導師廃業だろうと内心苦笑を漏らしながらも、ブルースが頷く。

「ルー・ダイ魔導師は、あの日、スゥ小隊長とコルソン衛視が遭遇した「ヴリトラ」と「アルバトロス」に関係する事件を、全てご存知なんですよね?」

「ああ、電脳班は全員、あの日サーカスのどこで何が起こったのか、時間経過とあわせて確認してる」

 何か訊きたいならそれらしくすればいいのに、ヒューはやっぱり偉そうだった。口癖のように「俺は正真正銘の一般市民だ」とか言うが、実は笑いを取るか相手の機嫌を損ねるためにわざと言っているのではないかとさえ、ブルースは思う。

 腹が立つ前に呆れた。特務室、最早恐怖。

「判りました。ぼくの意見がルー・ダイ魔導師と同じかどうかは後程ご自分で確かめて頂くとして、とにかく、今聞いたお話から予想出来る範囲で、先ほどの質問にお答えして構いませんね」

 確かめる口調ではなかった。

「構わない」

 しかし返答には、微塵の不快もない。

「スゥ小隊長とコルソン衛視が見たのは、相手魔導師が、咄嗟になのか元よりなのか、準備していた偽の顔だったんじゃないかと思います。ルー・ダイ魔導師の言うヴジュアル系のギミック、多面構造の偏光理論を応用した空間限定式の立体映像投影プログラムを使って、基本となる「顔」の定点を基礎にしたモーフィングを実行したと仮定するなら、小隊長とコルソン衛視の記憶に則って作成されたモンタージュは、どれもはずれだし、どれも正解です」

 赤銅色の双眸に見据えられたヒューが、難しい顔で頷く。

「すまないが、俺にも判るように易しく説明してくれ。何がなんだかさっぱりだ」

 だったらそのいかにもそうなくそ真面目な顔やめろ。とブルースは…思った。怖くて言えなかったけれど。あのアイアンクローは、本気で痛かった。

「モーフィング自体は判りますよね? 一般的なところでは、ネットゲームなんかでキャラクターを作ってスタイルを決定する時なんかにも使われてます」

 ブルースとしては極力判り易い例えを使ったつもりが、ヒューはそれにも少々眉を寄せて唸った。四六時中仕事ばかりしている銀色は、ネットゲームなど、自宅に戻った時分弟たちが興じているの程度しか見た事がない。

「…ここで実際モニターを立ち上げて、やって見せられれば早いと思うんですけど、今アクセス制限が掛かってて…」

「いや、いいよ、そのまま続けてくれ。音声記録をそっくり捜査班に回す」

 懐から取り出した端末に火を入れてテーブルの上に放り出したヒューの所業に、ケインは内心苦笑を漏らした。思いつきと行動力は素晴らしいが、何か欠けているこのバランスの悪さはなんだろう。

 しかし。否。だからこそか。ケインは彼を「エキスパート」なのだと判断する。余計なものに意識を裂かない。だからといって全く興味がない訳でもない。

 ヒュー・スレイサーは、「世界」を眺める守る者なのだ。

「基本となるのは実際の「A」という魔導師です。「A」は自身の顔に素点を設け、その素点はいじらず、例えば正面から見た場合と横から見た場合の「顔の見え方」が変わるように細工し、顔面の周囲をモニターで覆います。それによって、映し出される「A」の映像は見る角度によって太って見えたり痩せて見えたりしますが、全く別人ではないし、素点は正しく「人の顔の構造を歪ませない」ように設定されているので、…ぱっと見、嘘だと気付かない」

「それはなんだ? えーと…、顔を透明なシートで覆ってそれに、こう、目尻を吊り上げたり鼻を低くしたりした自分の顔の映像を投影してるという感じなのか?」

「その方法は単体投影です、スレイサー衛視。それでは、スゥ小隊長とコルソン衛視の記憶にある「A」の顔は、もっと数が少ないはずです。

………、なんて言ったらいいのかな…」

「ブルース、多面構造のプリズムだ」

 向かい合って難しい顔をしているブルースとヒューを見ていたジュメールが、ぽつりと呟く。

「二次元を三次元に、他方向多数」

「あ、そうか、ギミックだったな。垂直投影なら視認出来る上限まで数が増やせる」

 ブルースがぱっと表情を明るくしたのに薄く笑みを返す、白い青年。

「………最近、随分よく喋るようになったな」

「……。…」

 顔を向けて来たヒューに言われて、ジュメールが奇妙に困った顔をする。何か内面に変化でもあったのか。とはいえそれは今問題ではなかったから、ブルースは小さく笑って話を続けた。

「モーフィングで見え方を変えた映像を、顔の前に垂直に立てたモニターに投影し、それに三次元処理を施したのかもしれない。プリズム原理といっても、この場合は理論的に応用したと考えるのが妥当でしょう。光はプリズムを通すと角度が変わります。屈折を起こす。それと同様に、「Aの顔」という仮想光は対象者の視覚に到達する前に、顔面を囲んだ無数のモニターを通過する時モーフィング処理されて屈折し、だから、対象者は原型を留めつつも正しくない映像を、モニターで出来た区切りの数だけ見せられる」

 脳内の情報が書き換えられないなら、脳に到達する前に情報をいじってやればいい。

「単純な例えに言い換えるなら、顔の前に両面鏡面処理された板を立てて、右と左から見たようなものです。その鏡の片面は縦に波を、もう片面は横に波を打っていると思ってください。それに映った顔は、間違いなく一人の人間のものなのに、全く同じには見えませんよね?」

「そうか、なんとなく判った」

 本当に判っているのかどうかかなり怪しい表情でヒューが頷く。

「その鏡の数を増やして定点を打ち、固定して、表面の波を自由値で設定する。そうすれば、定点は動きませんから顔そのものは「人」の規格からは逸れず、しかし見る位置によって目尻が下がったり口角が釣り上がったりします。…でも、二次元を三次元で投影するのには質感なんかの微調整が必要ですから、相手魔導師は最初から…」

 準備が必要だっただろうとブルースは思った。

「アンくんは、簡易シネマ投影装置の内部構造をコピーすれば、自分でも出来るだろうと言ったが?」

 ヒューはそこで、ブルースの台詞を遮ってなんでもない事のように言った。のだが。

「……。ああ!」

 一瞬黙り込んだブルースが、次には感嘆の声を上げたではないか。

「ああ?」

「というか、あー、って感じかな。えーと、スレイサー衛視? アンくんの予想は、手間は省けるけれど非常に稚拙な手なんですよ。ただし、あの場では莫大な数の陣が稼動してて、さすがのタマリでも観測値に相当な誤差が出てた。だとすれば、逆にね、変にデリケートなプログラムを実行して失敗するよりも、稚拙な手で人間の視覚情報を騙し、適当に相手の記憶を混乱させて逃走か潜伏の時間を稼ぐ方が、有効なのかもしれないんです」

 実際、スーシェやデリラは混乱し、未だモンタージュは作成されていない。

 呆然としたブルースに変わって苦笑しながら言ったスーシェが、ヒューから視線を外して、ふ、と溜め息を吐く。

「言われればああそうかと思う。確かに、簡易シネマの立体映像デモには人物のデータも収容されていて、視覚情報を誤魔化すだけの質感だってすぐに得られる。しかしながらスレイサー衛視、間違っても、誰でもがアンくんのように閃くなんて、思わないでくださいね?」

 スーシェのなんとも奇妙な台詞と表情に、ヒューは首を捻った。

「普通魔導師は、既存の機械語で書かれたデータをコピーして使ってやろうなんて…ある意味手抜きをね、しないんですよ」

 彼らは優秀で。人とは思えないほどに優秀で、コンマ一秒の世界に、存在しているから。

「アンくんの名誉のために言っておくなら、これは手抜きではなく…」

 渋い表情のスーシェとブルース。対照的に、きょとんと栗色の目を見開いたイルシュと、アンの発言の何がおかしいのか判らないのだろう不思議顔のジュメールを見渡してから、ヒューはわざわざソファに座り直して姿勢を正し、いかにも真面目腐った顔で頷いて見せた。

「ガリュー仕込みの、電脳班風だな」

          

 彼は優秀で。人とは思えないほどに優秀で、コンマ一秒の世界で生きているというのに。

        

 なんでも出来るくせに面倒がって楽をしたがり、なのに、やるとなったら徹底的にやってしまう、困ったひとなのだから。

 それでも、少ない占有率で多くのプログラムを稼動させようとするその「努力」は、賞賛に値するかもしれないですけど、とスーシェは、仕方がないので、言い足しておいた。

  

   
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