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    6ドラマティカ    
       
(8)

  

「僕がヘイルハム・ロッソーとしようとしていた約束は、こうだ」

 ミナミとクラバインを正面に据えたウォルが真顔でふたりを見つめて言うなり、クラバインの表情が俄かに硬くなった。まさか、そのヘイルハム・ロッソーから死に掛けのミナミを助けたのがクラバインで在る事を知らない青年は、緊張した気配に小首を傾げるも、それについて質問する事は避ける。

「あの地下組織についてロッソーの知っている全てを、僕に一つ残らず明かすこと。それで、今も在るとしめやかに噂されている組織の存在を暴ければ、僕の本懐を遂げる役に立つと思ったからね。交換条件は、ヘイルハム・ロッソーに恩赦を与えて第0エリアから移送、王城エリア以外の好きな場所に住まわせて、それなりの生活を保証し、その身を護ってやる事。…当然、組織の情報を漏らそうというのだから、なんらかの危険を覚悟しなければならないだろう? だから…犯罪者を上げるのに犯罪者を庇護する、なんてばかげてるとは思うけど、ロッソー一人持ち上げて置けば地下の売春組織が潰せるのだから、目を瞑る覚悟は出来てたよ」

 それにミナミは頷き、クラバインはなんとか唇を引き結んだ。

「ところが今日、ヘイルハム・ロッソーは爆殺されてしまった。これで僕は手詰まり。……しかもその近くにガリューが居た、という偶然を、ただの偶然と思うには無理がない?」

 見回されて、ミナミもクラバインも戸惑う。

「僕が、今日、地下組織撲滅のためヘイルハム・ロッソーに会う、と知っていたのは、貴族院の一部で組織された「防犯推進委員会」なんて野暮ったい名前をわざとつけた集まりの、十二人だけ。クラバインは所属メンバーを知っているけれど、アイリーは全く面識がないだろうから、そのうち名簿でも見せてあげるよ」

 肩を竦めて言い置き、ウォルは微かに溜め息を吐いた。

「…考えたくないけれど、この中に情報をリークしていた人間がいる。糾弾するつもりはある。でも、今は、こっちを先に片付けよう」

 無言で頷くミナミ。

 ただ超然とソファに腰を下ろしたままのクラバイン。

「ミナミ・アイリーと、機密契約を結びたい。内容は……お前が覚えている「客」ないし「組織の人間と思われる者」を、ファイラン全国民の中から探し出す事。一人や二人ではなく、なるだけ多い方がいいな。そして…………それらを裁く時、ミナミ・アイリーが証人として法廷に立つ事だ」

 きっぱりと言い切ったウォルの瞳は、爛々と輝いていた。

 それを受け取って、ミナミが静かに頷く。

「陛下!」

「黙れ、クラバイン」

「いいえ! それではミナミさんが…」

 テーブルに身を乗り出して抗議しようとするクラバインに、ミナミはそっと微笑んで見せた。

 毛先の跳ねあがった見事な金髪に飾られた、天使のように穏やかな笑顔。それに言葉を失ったクラバインからミナミに視線を戻し、ウォルが付け足す。

「法廷に上がる、というのが、どういう事だか判るよね、アイリー…」

「判ってる」

「お前は、公衆の面前であの三年間を思い出し、証言するんだよ」

「…判ってる」

「では、お前は、お前を虐げたうちの何人かを確実に探し出す自信も、あるんだね?」

 言い置いたウォル。ミナミは、失笑した。

「客だったのか組織の人間だったのか判らねぇけど、俺をあの部屋で犯した人間は五十八人いた。あいつ…ヘイルハム・ロッソーが死んで、五十七人になって、でも、俺は…そいついらの顔、忘れた事ねぇ」

 忘れているか、狂っていれば、こんな…誰にも触れられない、なんて苦労しないで済んだのに、とミナミは笑う。

「お前の勇気に感謝する、ミナミ・アイリー。例えどんな境遇で生まれたにせよ、お前は立派な、僕の護るべき国民だ。僕はお前に協力を惜しまない。調査に必要な情報の検索は極力自由に出来るよう、全てのデータベースへのアクセス制限を解いたIDを交付しよう。ただし、一般端末からのアクセスは目立ってしまうから、お前は…ガリューの謹慎が明けるのと同時に王下特務衛視団の職に就いて貰う。お前の扱いは特務室室長クラバイン・フェロウの秘書だ。いいな、クラバイン」

「…陛下…」

 まだ何か言いたそうなクラバインに、ウォルが首を横に振って見せた。

「クラバイン、僕らの必死の選択に水を射さないでくれない? 判ってるんだよ…僕も、アイリーも。こんな事をしたら、彼らが黙っていない事くらい、嫌というほどね。でも…僕はそれでもファイランを護らなくてはならない。だから、クラバイン…アイリーを頼む」

 判っている、ミナミも、ウォルも。

 この計画に沿ってミナミが法廷に立てば、ウォルは多分、二度とドレイクとハルヴァイトに会えなくなるだろう。

「……判りました、陛下」

 引き下がったクラバインから視線を逸らし、ウォルは微かに笑った。

「結局僕は、どうあっても陛下なんだよね」

 切ない呟きの意味は深く、ミナミも言葉を無くす。

「それで、お前の希望は全て無条件で飲む準備があるけれど、どうする? アイリー」

 気を取り直していつものように倣岸な態度で訊ねて来たウォルに、ミナミはちょっと考え込むような顔をしてみせた。

「とりあえず、あのひとの殺人容疑って、公表されてねぇよな?」

「ないよ。誰かが情報をリークしてて、わざと、ガリューがおびき出された可能性があったから一応拘束しておいただけだし」

「じゃぁ、出して貰えんだ」

「うん。それは約束する。一緒に帰れるようにすぐ手を打とう」

 目配せされて、クラバインが立ち上がろうとした。

「クラバインさん、行く前に、ちょっと話し合わせてくれねぇ? それから、ミラキ卿も呼んで欲しいんだけど」

「? 口裏を合わせるのは構いませんが、ミラキ卿は、なぜ?」

「軟禁されてていきなり意味もなく解放じゃ、ミラキ卿にも怪しまれそうだから。…あのひとと合わせて今のうちになんとかしとかねぇと、俺が登城するようになったら騒ぎになるだろ?」

「……あのお節介の事だから、そうかもね」

 くす、とウォルが忍び笑いを漏らすと、つられてミナミも微かに笑う。

「それと、もうひとつお願いがあんだけど、それもいいかな?」

       

       

 幾つかの条項で口裏を合わせる。

 事態の説明は、全てミナミが受け持つ事になった。ウォルとクラバインは、何か訊ねられたらそれに「そうだ」と答えるだけでいいように、きっちり打ち合わせも終わらせた。

「…本当にいいんですか? ミナミさん」

「いいよ。俺は別に、なんで俺がこの世に生まれたのか、なんて悩んだりしねぇけどさ…」

…それは、判ってしまったし。

「…出来る事があんのに知らねぇ振りするほど、臆病になりたくもねぇし」

 国王の執務室から謁見控えの間に案内される途中、ミナミはぼんやりと王城の荘厳な廊下のアーチ型天井を見上げていた。

 なんの絵だろうか。遠くて薄暗くて判らないが、どうやら何か、伝説かそういうもののフレスコ画が天井に描かれているように見える。……もしかしたら、創世神話、かもしれない…。

「ガリュー小隊長を、どう説得なさるおつもりですか?」

「? 法廷の話?」

「はい」

 問われて天井から足元に視線を落としたミナミは、無意識に首の傷跡に指先で触れていた。

「大丈夫じゃねぇ?」

 ふと、消えそうな笑み。口元に、一瞬。

「どうにかする」

 その言い方が奇妙に思えて、クラバインはミナミの前を歩きながら首を捻った。それが、無表情で何を考えているのか判らない青年の「もう一つのお願い」と関係があるのかどうか、ちょっと計り兼ねる。

「ところでさ」

「はい?」

「衛視になるって事は、他の衛視の人にも会える?」

「? えぇ。ミナミさんは通常の衛視ではなく、私の、というより陛下の秘書扱いになりますから殆ど室長室に詰めて頂きますが、まさかあからさまに特別扱いというのも都合が悪いので、一般的な職務も少しはして貰いますし…」

「じゃぁ…もしかして、俺が医療院にいた時毎日お見舞いに来てくれたひと…、俺、そのひとの名前知らねぇんだけどさ、背が俺くらいで、ブルネットの巻き毛頭のてっぺんで括った…なんつうか、線の細い、優しそうな顔したひと」

 ミナミの言葉に、クラバインがぎくりと背筋を凍らせた。

「そのひとにも、会える?」

「…………………すみません、それは…無理です」

「? なんで?」

 言って、ミナミは…あの観察者の双眸で、クラバインの背中を見つめた。

「彼は、もう衛視を辞めてしまったもので」

「…残念…だな。俺、何も言わないで医療院から逃げ出しちゃったから、せめてそのひとには、お礼、言っときたかった」

「お礼、ですか?」

 肩越しに微かミナミを振り返ったクラバインの、強張った横顔。それに向ってミナミは、静かにこう呟いた。

「…生きてりゃいつか、誰かが俺を好きになってくれるよ、ってさ…、そう、言ってくれたから」

 そのひとの名を、レジーナ・イエイガーと言った。

          

   
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