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    7.ラプソディア    
       
(15)

       

 朝は八時三十分迄に入室。そのまま室長室に直行し、夜のうちにクラバインから指示が出て来ていれば端末の画面にその旨が表示されているので、優先して職務開始。そうでなければ、部下が(?)深夜に提出して来ているデータや報告、その他の文書に目を通し、分別、集計。さてどれをやろうか、と悩む間もなく、クラバインがわざわざ(上司だというのに)朝の挨拶に訪れる。

 特務室には様々な仕事が山積している。雑用みたいなもの、などとクラバインは嘯いていたが、貴族院の不正だとか贈収賄だとかの内部調査から、エリア単位の人口総重量、栽培プラントの稼動状況、王立医療院、王立図書館、王立学習院からの活動内容報告、内偵報告、設備の強化申請の審査結果などなど、これは他の部署があるんじゃねぇのか! と悲鳴を上げたくなるような文書まであり、結果、登城三日目にしてミナミは室長室に閉じこもり、二機のモニタ端末フル稼動で職務に勤しむハメになった。

 それで本来の目的がどうなったか、といえば、ファイラン王城エリアの全王都民からある一定条件にそぐわない者を除外する、という、聞けば簡単そうだがなかなかどうして、「全王都民」となるとその対象はつまり王城エリアに生活する全てなのだから、除外演算だけでも数日かかるらしく、それをオリジナル・データ・ベースに繋いだ端末内の仮想マシンでちまちまやらせながら上辺の職務(なのだが、特務室勤務三日目にしてどちらが本来の目的なのかミナミにも判らなくなり始めている)を処理しているために、第一段階で既に何日も費やす事が決定していた。

 別に、それはいい。急いでいるが、慌てていないのだし。

 そういう訳で、ミナミは慣れない仕事にそれなりに四苦八苦しつつ、あまり無茶は言いません、と笑顔で嘘を言ったクラバインの容赦ない指示に内心悲鳴を上げながらも、いつものように平然と無表情で、特務室にこもっていた。

「アイリー次長。電脳魔導師隊大隊長グラン・ガン卿が、地下演習室の使用許可申請に見えられてます」

「追い返せ」

「は!」

「嘘。通して」

 ミナミは腕のクロノグラフに一瞬視線を落としながら、平然と恐ろしい冗談(?)を言って部下を硬直させ、微かに眉を寄せた。

「…報告の提出期限は十一時だから…、間に合うのか? 俺…。つうか、リーダーの読み込み遅過ぎ。お前俺を舐めてねぇか? どーしてこのハイスペックマシンにこんなロートル繋いでんだよ。陰謀か? 陰謀だろ。そうだろ。そうに違いねぇ!」

……。珍しく、アイリー次長キレ気味。

 それでも見た目淡々と仕事をこなすミナミを、閉じたドアに寄りかかったグランが、笑っていた。

「稼働中でデータに損傷が出ると困るだろうから今はお勧め出来ないが、そのうち、誰かにアクセラレータを組み替えて貰うといいだろう、アイリー次長」

「…それって、誰でも出来んの?」

 むーん。と恨みがましい顔つきでくすくす笑うグランを見上げ、ミナミが溜め息みたいに言う。

「技術屋なら出来る。ただし、分解されるので時間は食うな。早く済ませたいなら、室長の許可を得て電脳魔導師隊の誰かに来て貰った方がいい」

「……。えーと。物質分解と再構築、だっけ。それって高等技術だろ」

「あぁ。ガリューは得意だぞ」

「ガン卿は?」

「? わたしも出来なくはないが、仕上がりが雑で評判が悪い。ガリューは得意だ」

「つうか、あのひとの事は聞いてねぇし」

 ぷい、とそっぽを向いたミナミの横顔が余程可笑しかったのか、グランはくすくす笑いながら勝手に窓際のソファに腰を下ろした。

「では、ゴッヘルがいいだろう。そういう細かい仕事には適任だ」

「スゥさん…。て、じゃぁもしかして、攻撃系魔導師?」

「見えないだろう」

「…見えねぇ」

「だから、やって行けなかったのだよ」

 なるほど、と思った。

 とりあえず、データを処理しながらディスクに書き込む、という指示を端末に出し、ミナミはブースから出た。別にグランは遊びに来た訳でなく、何やら申請を提出に、と部下が言っていたではないか。

「それで、地下演習室の使用許可?」

「これを陛下に。魔導機の戦闘訓練申請だ」

 テーブルに置かれた(その辺り、グランも心得たもので)ディスクを手にとり、あちこちひっくり返しながらブースに戻ろうとしたミナミが、肩を竦める。

「俺んじゃもう何も動かせねぇって…。フル稼動つうか、パンク寸前」

 言って、勝手にクラバインの使う端末に取り付き、申請内容を確認。必要事項の報告漏れがないのを見てから国王執務室に転送し、クラバインを呼び出す。

 クラバインは、すぐに応答した。

「電脳魔導師隊から、地下演習施設の使用許可申請です」

『…使用日は明日の午後ですね。判りました。ガン卿にそこで待機するように伝えて下さい。陛下は今システムから「抜けて」いますので、すぐに許可が下りますよ』

 答えるクラバインの笑顔に「嘘吐き」と内心悪態を吐きつつ、ミナミは無言で頷いた。

『では』と短く言い置いて、クラバインが消える。それで、言われた通りグランにここで待つように伝え、ミナミはまたブースに戻った。

「お忙しそうだな、アイリー次長」

「…何? 罠? そんな感じに忙しい…」

 余計な心配など忙殺されてしまうほどに、忙しい。

「罠。つうか、陰謀だな」

 わざとなのかもしれない、と思った。そういう風に仕向けられているのかもしれない。クラバインなのか、陛下なのか。どちらにしても、ミナミは今…この調子で仕事をこなしながら、となると、例えばハルヴァイトに話せない真相だとかに囚われる暇も、ない。

 それがいいのか悪いのか、ミナミには判らなかったが。

 椅子に落ち着くより前に、ディスケットが書き込み済みのディスクを吐き出してくる。さっき送信した指示書の回答が、隣室から届いている。必要資料の請求申請がディスプレイに強制割り込みして来て…。

「つか、ぜってーふざけてんだろ! そうだろ! 俺に腕が二本と脳がいっこしかねぇって、みんな知ってんのか?!」

 アイリー次長、マジギレ寸前。

「ふむ。登城三日目とは思えない見事な仕事っぷりだ、アイリー次長」

「ガン卿、暢気ににやにやしてんなら隣行ってくんねぇ?」

 ダークブルーの双眸に睨まれて、でもグランはにやにやしたままソファにゆったりと座り、「待機だ、待機。室長に「ここで待機」と言われたしな」などと言いつつ、そっぽを向いている。

「電脳魔導師って暇なの?」

「いや。大忙しだ」

「…嘘臭ぇ…。おっさんハラたつ」

 と、ミナミが暴言を吐いた途端、クラバインの執務卓背後にある陛下執務室出入口が勢い良く開いた。

「アイリー、お茶!」

「勝手に飲め、てか、大人しく飲んで下さい。俺に話し掛けんな。今俺はどうしようもなく忙しい。だから、陛下と遊んでる暇なんてねぇっての」

「ヒステリー? 珍しい物見られてよかったな、ガン」

「お恐れながら陛下。お帰りになった方がよいのでは?」

「うわ! 聴いた? アイリー! お前も失礼だけど、このおっさんも失礼だぞ。帰れって…。今来たばかりだというのに、すぐ帰れって。どういう教育をしてるんだ? ガン家は」

「…知らねぇって、そんなの」

 溜め息を吐きつつ隣室に向かい、コーヒーを人数分支度して室長室に引き返す。途中、支度を手伝ってくれた衛視が、「もしかして、陛下ですか?」と非常に引きつった顔で問いかけて来たので、ミナミは、「余計な騒ぎに巻き込まれたくねぇんなら、急用思い出してどっか行くの勧める、俺は」と溜め息交じりに答えておく。

 トレイを持って再度室長室に引き返すと、クラバインを含む三名が、窓際、ミナミの使用するブースの前に置かれているソファで、ゆったりくつろいでいる。一応、本当に一応会釈してそれぞれの前にカップを置き、ミナミはそのままブースに戻ろうとした。

「アイリー、今忙しい?」

「だから、忙しいつったろ」

「それ、全部クラバインにやらせていいよ。僕は、お前に用事があって来たんだからね。で、スレイサーは?」

 にこにこしながら立ち上がったクラバインに座席を譲られたミナミが、陛下の隣りに腰を下ろす。通常特務室の常勤は六名(これにミナミとクラバインは含まれない)なのだが、意外にも、衛視の勤務シフトは細分化されており、中でも、ヒュー・スレイサーを筆頭とする六名の「護衛専門官」はうち二名が特務室に常駐するよう、交代時間は時間単位で決められているのだ。

「今、勤務。用事あるとかで、医務支部に行ってっけど」

 なぜここでいきなりヒューなのか。という疑問はおくびにも出さず、ミナミはそらですらすらと答えた。

「すぐに呼び戻せ、クラバイン。アイリー、スレイサーが戻って来るまでにガンの申請に受諾を出して、使用許可に記載されている小隊に通知。演習計画を即刻提出するように指示」

 言われて、ミナミが立ち上がる。と、先刻まで自分がやっていた作業を引き継いだクラバインが、あっち、と言いたげに室長執務卓を指差す。

「……室長。三号システム…、休止切断していいよ」

 二機しかない端末の三号…。

「…そうですね。その方がいいでしょう」

 小首を傾げるようにして笑うクラバインに薄い笑みで答え、ミナミはクラバインのブースに入って作業を開始した。

 地下演習室の使用許可を求めて来たのは、第三小隊、第七小隊、第十一小隊と第十二小隊だった。陛下の署名を呼び出してロックを解除。提出された電子文書に署名を書き込んでから、演習計画の即時提出指示書を付けて一斉送信する。

(…………演習? そういうのって…、出来ればやりたくねぇって言ってなかったか? あのひと…)

 演習だろうがなんだろうが、不用意にディアボロを人前に晒すのを嫌がるハルヴァイトが、演習「命令」でなくつまり「参加許可」を申請して来たのに、ミナミはちょっと首を傾げた。

 例えば気が変わったとか、もっとちゃんとした理由があるのかもしれないが、しかし、ハルヴァイトがそういう風な「気紛れ」を起こすとは、思えなかったのだ。

 他の事ならいくらでも納得出来ただろう。でも、あの、臨界の悪魔、が絡んで来ると、話は変わる…。

(…ジャケットで連敗した腹いせ?)

 ふと、そんなくだらない事を思い浮べてしまって、ミナミは吹き出しそうになった。

(んな訳ねぇか。いくらあのひとでも)

 文書の送信を終えたミナミがソファに戻ると、陛下とグランは電脳魔導師隊の編成だとかを話し合っていた。数年後にはグランが引退し、そうなったら全小隊を解体して云々、などという声を聞くともなしに聞きながら、ミナミが左手に見える大窓の外、意外に近い天蓋から射し込んでくる柔らかな太陽の光を、眩しそうに目を細めて見つめる。

 浮遊する都市。当て所なく。ただただ、彷徨うだけの…都市。

 彷徨う。

 惚けたように窓の外を眺めるミナミの意識を引き戻したのは、クラバインの呼ぶ声だった。

「ミナミさん、スレイサーが入室して来ますよ」

「あ。うん」

 言われて、ソファから立ち上がったミナミが陛下の後ろに控える。

 普段はそういう、いかにも衛視的な行動を取るように、とは、ミナミは言われていなかった。というよりも、ウォルにとってミナミは、いつでも室長室に居る気軽な友達的意識だったのかもしれない。しかしそこはそれ、ウォルは陛下でミナミは衛視(一応)なのだ。まさか長年付き従って来たクラバインでさえ親しく隣りに座っている姿など部下に見せないのだから、ミナミもそこは弁えなければならないだろう。

 ミナミが陛下の後ろに移動してすぐ、規則正しいノックの音。応えを待ってから、それがすっと静かに開いた。

「ヒュー・スレイサー、入室します」

 軽く振り返った陛下の目配せに、ミナミが小さく頷いてヒューをソファの側まで招く。

 ヒューの顔を見たのは、多分二十四時間ぶりだった。

「アイリー、スレイサーの明日までの予定は?」

「はい。本日二十二時まで特務室に待機。下城許可時間は、二十二時三十分から翌日六時。再登城後、陛下の議会視察に同行。その後十三時に下城。次の登城は、深夜…」

「判った。では、ヒュー・スレイサーの行動変更を指示する。アイリー、これ」

 陛下が言いながら、テーブルに置かれた携帯端末を指差す。

 会釈してテーブルの方へ回り込み、それを手に…ミナミは首を傾げた。

 陛下は、直接誰かに指示を出すような真似はしない。あくまでも、陛下の指示を受け取るのはクラバインかミナミで、受け取った彼らはそれを…例えば陛下が目の前にいようとも、恭しく宣言しなければならない。

「ヒュー・スレイサー衛視に即時下城許可。再登城は、明日十三時」

 つまり、なぜか、今すぐ帰って休息を取り明日の午後一番で来い、という意味だ。

「了解。では、失礼いたします」

 ヒューはやや不審げな顔をしたものの、誰にも何も問い掛けることなく敬礼し、退室しようとした。

「スレイサー、出て行かなくてもいいよ。特別、お前も驚かせてやろう」

(ひとりシフト変わったら護衛部全員変わんだから、それだけでも十分驚けんだろ…)

 突っ込みてー。とミナミは、涼しい顔で思った。

 困惑するヒューに曖昧な笑いを送り、クラバインがブースから出てくる。

「明日の午後、電脳魔導師隊が地下演習室で魔導機の稼動訓練をするんだ。それは今、許可した」

(それとヒューのシフト変えと、どう関係あんだ?)

「その時、視察に行く。面白そうだから。で、しかもその時、クラバインにはここで留守番して貰う」

 ミナミは。

 クラバインは。

 グランも。

 いやーなにやにや笑いのウォルに、つまり陛下に、思いっきり失礼な溜め息を吐き付けた。

 もう、結果は読めた。

「僕の付き添いはアイリー。これがクラバインならわざわざスレイサーを連れて行く必要はないけど、アイリーに護衛して貰えると思うほど僕はばかじゃないからね。議会視察には他の誰かを連れて行くとして、スレイサーには是非とも…きっちり、ガリューの機嫌を損ねて貰わないと」

「…やっぱそれなのか…」

 状況が飲み込めず唖然とするヒューに微かな苦笑いを向け、ミナミは溜め息のように呟いていた。

「アレだろ…、嫌がらせであの派手なマントの着用決めた上司って…」

「? うん。僕」

(………突っ込みてぇ!)

 さすがにそれは、ミナミにも出来なかったが…。

  

   
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