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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ |
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翌日。 座るために有るのであって寝るために有るのでは無いソファで、おまけに時折強弱を付けるという姑息な手口で精神的ダメージを倍増させつつ襲って来る頭痛をどうこう出来る訳もなく、結局うつらうつらしながら朝を迎えてしまったベッカーは、明け方には横たわる事も諦めて起き上がり、背凭れに後頭部を預けて手足をだらりと伸ばした姿勢のまま、眠たげな…というか、本気で眠いが未だ猛威を振るう頭痛のせいで、最早半分以上生気のない…双眸でじっと天井を見上げていた。 数分前、執事が部屋にやって来た。いつもと同じに。 こめかみ辺りに小さ目のハンマーのフルスイングを受けながら、ベッカーは二、三度瞬きした。ああ、もう、眼底まで、痛い。 だんだんと頭痛なのか首の辺りが痛いのか、歯なのか喉なのか判らなくなるんだよなぁ面倒臭ぇ。と頭の痛みに耐え兼ねて眉間に皺を寄せた途端。 「今すぐだ! オフィスに行ってクライアントにアポを取れ! 事務所? そんなもの後回しでいいんだって! 問題が起こったらおれが責任取るから、いいから、言う通りにしとけ!」 最早問答無用で相手を押さえ付けるような声が、廊下から聞こえた。直後、荒っぽいノックの音と共にドアが開け放たれ、髪を振り乱したクレイが部屋に飛び込んで来る。 「く、クレイ…!」 大方ベッカーの応えを待とうとしたのだろうドイルを押し退けて、昨日と同じスーツながらノーネクタイで腕まくりという、相当乱れた姿の脚本家が姿を現す。 その勢いに、顔を上げたベッカーはきょとんと目を瞠った。思わず、頭痛も忘れて。 「早朝から申し訳ない、ラド副長。今日、所用で出かけても良いですよね」 つかつかとセンターテーブルの傍まで来るなり、問うと言うより決定事項を確かめる様な鬼気迫る勢いで尋ねられ、しかし、ベッカーは反射的に「良くない」と答えた。 「間違えました。出掛けます」 「いや…良くな…」 「行きますんで」 「聞けよ、オレの話を」 「行きますよ!」 「昨日の今日で何かあったらどうすんだ下手したら死ぬぞ!」 冗談ではなく。 シルバーフレームの眼鏡をついと指で押し上げてクゾ真面目な顔を作ったクレイは、即答されたのにも怯まず、小脇にラップトップ型の端末と丸めた手書き専用のデジペーパーを抱えて、小さく身を乗り出したまま片眉を上げた。 「昨日ムービースターを襲ったのは、こっちの関係者を手当たり次第に襲うかもしれない面倒な連中なんだぞ!」 多少脅しはあるものの、セイル襲撃に失敗した「向こう」がどう出るのか判らない状態で、青年にもこの屋敷にも近いと知られているクレイを移動させるのは、得策ではない。 こちらも勢いソファの背凭れから身体を引き剥がしたベッカーが苛立ち混じりに言い返すと、なぜなのか、クレイはふんと鼻を鳴らして顎を上げた。 「今ここで「これ」をやらにゃ、おれは死ぬより後悔する。ばかげた話だろ? 大いに結構じゃないか! 餓死寸前で書いた小説でこの世界に飛び込んだおれが「これ」に命を取られるなら、運命の神様もびっくりのハッピーエンドだ!」 身を起こし、ははは! とわざとのように芝居がかった仕草で大仰に肩を竦めて天井を見上げたクレイが、作った笑みをすぐに引っ込める。 「生命活動の停止でない「死」は、お断りなんだよ」 「脚本家らしい言葉遊びと修飾されたセリフだな。でも、ダメだ。これでもオレは警備兵で、王都民の安全を守る立場に居る」 ふらりと立ち上がったベッカーが、冴え冴えと睨んで来るクレイを、睨み返す。 その頃には、廊下まで漏れた言い合いを耳にしたのだろうセイルも、どこか青白い顔をドアの隙間から覗かせていた。これで、この屋敷に居る全員が揃った。そう、全ての人間が。 「聞いた? 聞いたな? ラド副長はちゃんとおれを停めた。これ、OK?」 くるりと首だけを回したクレイが、おろおろするドイルとセイルを順繰りに見遣る。その勢いに負けたのか、ふたりはまるで操られるようにこくこくと何度か頷いた。 「よし! 第三者の証言は取った。んじゃ、ま、行ってきます」 すちゃ! と顔の横に垂直に立てた手を翳したクレイは、呆気に取られるドイルとセイルから視線を外し、眉間に皺を寄せたベッカーにさっさと背を向けて退室しようとした。 「脚本…」 言われた瞬間、クレイは脱兎の如く、全力で部屋を飛び出して行った。 「大丈夫大丈夫、死なない努力は怠りませんて!」 「戻って来い、クレイ・アルマンド!」 遠ざかる、クレイの声。 多分、セイルが初めて聞いたベッカーの怒声は、それまで一度も呼んだ事のないクレイのフルネームだった。
現場検証と簡単な事情聴取の仕上げ目的でラド邸を訪れたアン・ルー・ダイ魔導師と、昨日の別れ際酷く落ち込んでいたセイルの様子見がてらアンの護衛目的で着いて来たヒュー・スレイサーを迎えたのは、三者三様、極めて珍しい光景だった。 まず。 「…えーと…、何が、あったんでしょうか」 まず。 来訪者を案内するために最初に顔を出したのは、ラド家唯一の執事であるドイル・バスク。褐色の肌と綺麗に撫でつけられた金髪の印象的な執事は、余り顔を合わせる機会が無いため「良く知っている」という訳ではないものの、アンのイメージとしてはかなり生真面目そうでいて意外にはっきりと主人を諌め、時に少々毒を吐く、あの全てにおいてやる気のないベッカーの尻を叩いて何とか人並みの社交性を発揮させていたしっかりした人、だったのだが、今日は何故かうろうろと視線を彷徨わせ、どこか草臥れたような空気を纏っていた。 それでもきちんと挨拶を交わし、主人がお待ちですどうぞと促されて二階の応接室に通されてみれば、蒼ざめて半泣きのセイルに悲鳴のような声で名前を呼ばれ面食らったアンに当の青年が飛びついて来て、意味も分からず室内に目を転じれば。 普段からは考えられないような不機嫌さで眉間に皺を寄せたベッカーが、既に出掛ける支度を終えて、苛々と踵を鳴らし部屋を歩き回っていた。 珍事である。全く持って。 それで思わずアンは、セイルをくっつけたまま戸惑うように傍らのヒューを仰ぎ見てしまった。 「君の判らないものが、俺に判る訳ないだろう」 あっさりと溜め息混じりに吐き捨てたヒューの態度に、アンが苦笑する。それも、そうか。 「現場検証に立ち会いは必要か? もしそうでないなら出掛けたいんだけどね、アンちゃんよ」 「え…、いや、はい…。現場検証は臨界式で計測と録画しますから立会いは無くても構いませんけど、昨日の状況の時間経過を詳しく聞き取るように言われてて…」 それまで忙しなく動き回っていたのをぴたりと止めたベッカーが、くすんだ金髪を掻き回しながら水平に視線を動かしてアンに視線を当て、淡々と問う。 「なら、撮影場所で起こった事についてはそこのムービースターとドイルに訊け。ドールが動いてからの事も、ムービースターが知ってる以上の事はオレには説明出来ない」 だからちょっと出掛けて来る。と早口で言い残したベッカーの爪先がドアに向いた瞬間、ヒューは軽く首を横に振ってその進路を塞いだ。 「お二人の証言の整合を取るのに、別々にお話を伺いたいのですが、ラド魔導師」 「悪ぃけど、オレの話は後回しで頼むよ、アンちゃん。――逃げやがった脚本家とっ捕まえたら、すぐに戻るからさ」 「は?」 既に一歩踏み出していたベッカーは、丁寧且つぴしゃりと言い返して来たヒューを無視してアンに一声掛けると、誰とも目を合わせずにさっさと部屋を横切ろうとした。 「逃げた?」 「オレの忠告無視して居住区に降りたんだよ、脚本家の先生は」 「居住区…って! まさかラド副長、迎えに行くつもりですか?!」 忌々しげに吐き捨てて、足早に通り過ぎようとしたベッカーの肩先を見ていたアンが慌ててヒューに視線を送るなり、縋り付かれた銀色は溜め息を吐きながら一歩後ろに下がって、ドアを塞ぐように立った。 「それは残念ながら許可出来ないな、ラド魔導師」 「連中は脚本家の顔を知ってる。おまけに、脚本家はスタッフと顔見知りだ。昨日の今日で向こうが何もしてこない保証がない以上、一人で居住区なんぞ歩かせたら、何されるか判ったモンじゃないんだよ!」 昨日一人…実際はリリスも一緒なのだが…屋敷に残してしまったのが裏目に出たかもしれないとベッカーは思った。他のスタッフや俳優よりもこちらと懇意だと思われていたとしたら、スタッフに擬態した「誰か」が接触して来るかもしれない。 見せしめに、傷つけられる恐れだってある。 「最悪、死ぬぞ、あいつ」 考え過ぎであって欲しいと思う反面、不安は拭えない。 「では、すぐ特務室にクレイ・アルマンドの保護に向かうように連絡します。とにかく、ラド副長はダメですよ。副長には、四十八時間の観察療養が義務付けられてます」 懐から携帯端末を取り出しつつ淡々と告げられて、ベッカーは寄っていた眉を開いた。 「観察療養?」 「昨日無茶しましたよね? エスト・ガン小隊長から、臨界面の「ヒート」がある程度落ち着いたらタマリさんに脳と体の機能を診断させるから、大人しく屋敷に居ろって伝言です」 ヒート、と言われて、ベッカーはつい、「あ」と小さく声を漏らした。 「それこそ、下手したらクレイ・アルマンドを見つける前にラド副長が「死に」ますよ?」 顔を上げ、下から覗き込むようにベッカーの玉虫色を睨んだアンが、きっぱりと言い切る。 「そ、れ! どういうこと、アンさん!!」 少年の背中に貼り付いていたセイルが悲鳴を上げ、ドイルが蒼くなって口元を手で覆う。 「…エスト・ガン卿と話してる際は意外と落ち着いていたからそう重大な問題じゃあないんだと思ってたんだが、「ヒート」とかいうのは、身体に悪いのか?」 ぴたりと動きを止めたベッカーの首根っこを掴んでずるずると引きずり、ソファに戻りながら、ヒューが呑気に小首を傾げる。 「身体にと言うか、現実面の脳の負荷が異常に高いまま維持されてる状態を言うんですよ。これでオーバーしてくれればいわゆる断線が起こって、意識は落ちますがクールダウンし始めるんですけど、ヒートしたままだと脳内領域が限界まで解放されてる状況なので、単純に、高速で寿命が縮むらしいです」 普段は泣いたり笑ったり忙しいアンだが、こういう場面では意外にも取り乱す事は少ない。 「ラド副長は脳内処理も制御され過ぎてて、加熱しても勢いでそのまま振り切ってダウンするっていう「安全策」を安易に取らないんですよ、脳が」 言われて、ついにソファーに突っ込まれたベッカーが顔を顰める。 「自力で落とせますよね? ラド副長」 「…落として、どこかのプログラムが吹っ飛んだら損するだろうに」 「ご自分の命を損するよりいいと思いますよ?」 にこり、と恐ろしく冷たく微笑んだアンは、話はこれでお終いだとでもいうように、顔の前に腕を突き出してぴんと立てた親指を…即座に下に向け、ヒューに目で合図を送った。 やれ! と。 どっ。と、柔らかい打撃音。 ずっさ。と、何かがゆっくりソファの背凭れを滑る音。 ぼす。と、座面に置かれたクッションが何かを受け止める音。 「はい。今回の主要任務完了でーす」 簡単な当て身で意識を飛ばしたベッカーがソファに倒れ込むなり、アンは手にしていた携帯端末に向けて軽い口調で報告した。 『強制終了かよ』 返答は、呆れも何も含まない、淡々とし且つ的確な突っ込みだったけれど。
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