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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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ラド邸の応接室を占めるのは、息苦しい緊張。

三人掛けのソファに背中を丸めて座り込んだ一人は頬を引き攣らせしきりに瞬きしながら死刑宣告を待ち、その正面に座した一人は最早修復不能な深い皺を眉間に刻んで目を閉じたまま腕組みし、他に数人、不安そうな、心配そうな、平素と変わらぬ、それぞれの内心を示す表情を面に浮かべて、誰かがこの張りつめた静寂を打ち破るのを待っている。

不意に。

閉じていた瞼を上げ、どこか眠たげな玉虫色の双眸でゆるりと室内を舐めた男…ベッカー・ラドは、三者三様…実際は五人だが…の顔をコンマ数秒ずつ見てから、諦めたように深く嘆息した。

室内は。

ソファに座るクレイ・アルマンド。そのクレイ・アルマンドをちらちらと窺うドイル・バスク。そのドイル・バスクとクレイ・アルマンドの間で小さく視線を行き来させるセイル・スレイサー。と。

慌てて運び込まれた寝椅子に横たわったアン・ルー・ダイと、アン・ルー・ダイの頭の辺りに横柄な態度で佇むヒュー・スレイサーという奇妙で無関係そうで、しかし今日この場所に居るべくして居る「生き物」と、ソファに挟まれた低いセンターテーブルの中央に鎮座する、旧式のカメラ一台に占められていた。

果たしてそこでベッカーがこの停滞した物事を動かそうとしたのか、違うのか。

男は、呆れたように諦めたように、重い口を開いた。

「オレを含めた魔導師どもってのは、基本、「運命」ってヤツを信じるには少々捻くれ過ぎてて、わざと難しく言うならさぁ、自分の行動が及ぼす一秒後の近々未来を天文学的確率で予測する事が出来るから、つまり「それ」を、何てすごい結果なんだエクセレントこれこそが運命、なんて思わないんだよ」

何を言い出すのか、この男は。

しかし、なぜなのか、寝椅子に横たわって額に冷えたタオルを載せていたアンが、まるでそれに同意する、または、その気持ちはよく判る、とでもいうように、小さく口元に笑みを浮かべる。

「つまり、まぁ、一見すると「運命」なんてドラマチックに見える展開も、実はそこに至る経緯が間違いなくあって選ばれただけの選択肢の一つに過ぎねぇってコトを、オレは言いたい訳だ、脚本家の先生」

いつもと同じに覇気の感じられない低い声で淡々と言いながら、ベッカーは背凭れに預けていた身体を起こし、前屈みになって自分の両膝にそれぞれ肘を置いた。

「でも、そんなオレたちにも予測出来ない事ってのがやっぱりあってだな」

その指の長い手が額を覆い、目に掛かるくすんだ金髪をゆっくりと掻き上げる。

露わになったのは、不機嫌を隠さない険しい顔。細く吊り上った眉と、伏せるようにしてテーブルの一点を睨む。

金色(こんじき)の暗い光を回す、玉虫色。

「それを、オレたちは「偶然」と呼ぶ」

運命論は一蹴で、しかし完全イレギュラーな「偶然」は認めるというのか。

そもそも、彼の言う「偶然」とは、一体何なのか。

「偶然にはさ、そこまで積み重ねられてきた経緯(ルート)を強引且つあらぬ方向に捻じ曲げる力(パワー)がある。その力の強さは誰にも判らないし、故意に掴み取る事も出来ない。何せ、その力は自分の「選択」で発生するものなんかじゃなくて、「外的要因」で突如現れるものなんだからさ」

そろそろベッカーの言葉の意図が判らなくなってきた…いや、初めからか…のか、苦笑するアン以外の、つまりは「魔導師でない」誰も彼もが、奇妙な表情を浮かべる。

「その「外的要因」と接触するか、受け入れるかどうかは、自分の選択に任されている。つまりここまでは自分の責任で、でも「外的要因」が関わった途端、次に主導権が戻るまでの一瞬、自分は振り回されるだけになる」

少々小難しい顔を見合わせたセイルとクレイを、ベッカーはふんと鼻で笑った。ただし、見下した訳ではなく、彼らが表す至極当然の反応だったのに失笑が漏れただけなのだが。

「偶然がその後の選択肢に対して良い方向に働くか、悪い方向に働くかは、誰にも予測出来ない。何せそいつは「偶然」であって、「不確定要素」すらないんだからさ。

で。

時たまさぁ、この「偶然」で全てを「好転」させる特異点てのを「持ってる」ヤツが居るんだよねぇ、この世には」

この世。この世界。この宇宙。この現実。

臨界にさえ影響を及ぼすような。

「迷惑な「才能」だと思わん? 素晴らしく世渡りセンスの優れたヤツ」

それまで自分の髪を掻き上げたままの姿勢で淡々と話していたベッカーが、急に身を起こす。

「世間的には「幸運」なんて言われるのかもしらんけどさぁ、オレはそれを「才能」だと思うワケよ。

干上がりそうなすきっ腹を抱えて小さな通信端末から送った小説がその後の人生を変え、思い通りにならない脚本に業を煮やして自分で書いたそいつが絶賛されて仕事の幅が広がり、監督の横を通りすがったってだけでリリス・ヘイワード主演ムービーの脚本に大抜擢、おまけにそこで長年探していた「友人」と再会する。

つまり、オレの言う「才能」をその時々で如何なく発揮してんのは、あんただよ」

じ、と苛立ちにも似た視線に気圧されつつ、クレイはぽかんとあほ面を晒した。

何が、言いたい!

決して友好的な雰囲気ではないのにもしかして絶賛されているのだろうかと内心冷や汗をかきつつ、クレイは曖昧な表情で小首を傾げた。意味が判らない。だから、なんだと言うのか。

「ラド副長…、素直に「良くやった」って言えばいいんじゃないんですか?」

「ばかだねー、アンちゃん。言いたくないから困ってんでしょうが」

「困ってるんですか?」

寝椅子から身を起こそうとしたのをヒューに止められたアンの視線が頭上から逸れるなりベッカーはすかさず立ち上がると、唖然とするクレイとセイルから顔を背けて、苛立たしげに大きく嘆息してから首の後ろに手を当てた。

「オレの言いたい事はそれだけ。あとは衛視様にお任せすっから、明日の朝までオレに声掛けんな」

言い捨てて部屋を出ようとしたベッカーの横顔に、ヒューがムカつく失笑を浴びせる。

「なんでしょうかね、スレイサー衛視」

「寝るのは良いが、寝室に入るなよ。現状維持は続行中だ」

その見下した笑みが気に食わなかったのか足を止めたベッカーが、腕組みしたまま顎を上げて首を傾げて見せたヒューを一睨みして、部屋から出て行こうとする。それを慌てて追い掛けたドイルの背中を、室内に取り残されたクレイとセイルは、心底ぽかんと見送ってしまった。

「誰彼かまわず意地悪するの、やめてくださいよー、ヒューさん」

「…強制切断? とやらで俺にラド魔導師を落とせと命令したのはどの口だ? アンくん」

「うわぁ、横暴」

「君がな」

何かがあってそれまで寝椅子に寝そべっていたアンが、弱ったような、心底困ったような複雑な苦笑を口元に浮かべて、頼りない腕を前へ伸ばした。

再度背凭れを掴み身を起こそうとしたアンを前回は押し留めたものの、事態を収拾すべきベッカーがさっさと退場してしまった今となっては停める訳にも行かなかったのか、伸ばされた手の行先を寝椅子の背凭れから自分の手の中へと強制的に変更させたヒューが、痩せた少年の身体を引き起こす。

予想外に軽い力で起き上がれてしまったのに驚いたアンが、片手を恭しく取られたまま、きょとんとヒューの顔を見上げた。

「眩暈は」

「あ、収まり…ました」

「では、そこの脚本家先生に簡単な状況説明を。ただし、タマリが来たら止めさせるからな」

「え? は? えと…」

厳冬の水色を見開いたアンがしどろもどろに答えるのを、セイルだけが非常に生温い薄笑みで眺めている、奇妙な室内。クレイは消えたベッカーの…というよりも、執事のドイルかもしれない…背中を探すような視線と、見知らぬ少年と昨日もラド邸に現れた衛視の遣り取りに困惑する視線とを往復させていた。

「念のために君にもタマリの診断を受けて貰う。――これで君にまで何かあったら、今度こそ俺がガリューに無能呼ばわりされるからな」

つまり?

「…優しいヒューとか、気持ち悪い…」

「黙れ、セイル」

冴え冴えとしたサファイヤの双眸に睨まれて、セイルは悪びれなくぺろりと舌を出してそっぽを向き、クレイはびくりと肩を震わせた。

「セイル君、衛視の方と知り合い?」

自然過ぎる言い合いに小首を傾げたクレイがセイルを振り向いて問い掛け。

「ん? ああ、兄貴」

「はああああああああああああああっ?!」

クレイ・アルマンドは、もしかしたらその儚い命が風前の灯だった数時間前よりも驚いて、悲鳴を上げた。

プライベートを打ち明けて貰える程度には親しい間柄である脚本家は、ムービースターリリス・ヘイワードの家庭環境を、勿論、知っていたし、彼の片親であるアリシア・ブルックとも何度か顔を合わせた事もあった。しかし、リリス…セイルが何より大切にしているその他の「家族」に関しては、実のところ、フォトを見せられた事もなかったし、詳しく聞いた事もなかった。

だからまさか、彼の言う「兄」が衛視で、まさかまさか…。

「改めて、初めまして、クレイ・アルマンドさん。王下特務衛視団電脳班魔導師の、アン・ルー・ダイといいます」

「うっそ…」

この、華奢でほんのりと優しげな、色の薄い金髪と水色の目の少年魔導師に護衛としてやって来るような人物だとは、思っても居なかった。

きちんと提示された身分証明はファイラン王家の紋章が刻まれた携帯端末に収められており、同じく差し出されたヒューのそれにも、顔写真と「ヒュー・スレイサー」という氏名が表示されている。

何か…とてつもなくとんでもない何かに巻き込まれていると感じつつ、クレイは改めて目の前の衛視たちに頭を下げた。

「こんな姿勢ですみません。このまま、ちょっとお話し、いいですか?」

ゆったりとと言うよりもかなり背凭れに身体を預けて、にこり、と微笑み小首を傾げたアン少年に頷いたクレイを、セイルが冷やかに横目で眺めている。

「というか、アンさんがこうなったのはクレイのせいなんだから、悪い訳ないよね」

「おれのせいって…」

突き刺さる視線に辟易した脚本家が肩を竦めれば、なぜなのか、ぶんぶんと首を横に振ったのは、アンの方だった。

「いえ! 僕がもうちょっと上手くやれていれば良かったんですけど、咄嗟の事だったんで、慌てちゃって」

つまり。

ラシューという襲撃者に追い詰められていたクレイを間一髪で救ったのは、繋がった携帯端末の向こう…この場合はこちら側か…に居て、昨日と同じ魔導師の存在を察知したアンだったのだ。

「相手魔導師が陣を展開したのに気付いて、とにかく妨害電波を携帯端末経由で送ったんです。でも、余りにも急いでたもので、こっちの遮音まで頭が回らなくて」

膝の上に組んだ手をもじもじさせながら小首を傾げたアンの初々しい様子に、クレイは思わず頬を緩めそうになった。が、その少年の背後に立つ銀色の発する冷えた空気に息を詰め、必死の思いで表情を引き締める。

なぜだ。怖い。怖過ぎる。ただ腕組みして立っているだけなのに、なんなんだこの圧力は!

とりあえず、さっきのラド副長の発言も含めて、ちょっと説明しますね? とアンは、その小さな顔にクレイを安心させるような笑みを載せた。

「お気づきの通り、クレイさんを襲ったのは、昨日ラド邸で「からくり人形(ドール)」を動かしていたのと同じ魔導師です。この件については詳細をお教え出来ないので、質問は控えて下さい」

言い方は柔らかいが完全な拒否を告げられて、クレイは余計な詮索をせず無言で頷いた。

多分これは、たかが脚本家が首を突っ込んでいい問題の一端ではない。

「彼が偶然単独行動しているクレイさんを見つけたのか、リリス・ヘイワードが事務所に戻って来るのを狙って待ち伏せていたのかは判りませんが、とにかく、クレイさんが一人であるのを確認して、こちらに脅しを掛けるためにあなたに接触したんだと思います」

クレイにもそれは判った。伝える相手は見ず知らずだが、あの「ラシュー」と名乗った襲撃者は、「悪魔にこちらを詮索するな」といったような警告を脚本家に「持たせよう」としていたのだから。

「こちらでは当初から、今朝からですね、クレイさんがラド邸を出たという報告を受けてすぐ、あなたの携帯端末に発信する事によってあなたの位置を確認していました。それで、向こうの魔導師が「動いた」時点で既にあなたと接触していたとこちらでは判っていましたから、繋がった携帯端末を使って耳障りな騒音を流して一時的にでも撃退、または向こうが怯んでくれれば、あなたを保護するために向かっていた警備兵が余裕で間に合う、という事だったんですが…」

と、そこでなぜか、アン少年が薄く苦笑する。

「―――あの、すごーく関係ない話、ちょっとしてもいいですか?」

今朝から現在に至るまでのクレイ・アルマンドの行動と結果をデータのように一瞬で脳内に並べ、アンはなぜかちらりと背後のヒューを振り返って尋ねた。

「体調が悪くないのなら、構わない」

かなりぶっきらぼうに返されて、しかし、アンは特に気にした風なくクレイに向き直った。

「かなり昔の話で、しかも、資料は残っているもののあまりにも「くだらない」という理由で取り止めになった研究があってですね」

一体少年、何を言いだすのか。

「でも一時期は、提唱されたばかりの「運命論」と真っ向から対立して、テレビで徹底討論の番組まで放送された「思想理論」に、「幸運因子」と「不運因子」というのがありまして」

はぁ。というのが、思わず金色の小さな頭を凝視してしまったヒューを含む、室内の誰もが発した空気だった。

はぁ。うん、それで?

「もしそれが本当だったとしたら、クレイ・アルマンドさんは間違いなく「幸運因子保持者」として、国に保護されてたんだろうなーと」

はぁ?

言った本人もおかしな話だと思ったのか、アンは急に小さく肩を竦めて、てへ、と照れ笑いを浮かべた。

「だって、昨日の今日ですから、僕らは臆病にも誰もこの屋敷から出さずに切り抜けようとして、なのにクレイさんは勝手に飛び出して行って昨日の犯人と接触し、それまで無視し続けていた携帯端末をあのタイミングで繋いで相手に投げつけて、おまけにその姿をカメラで撮影までしてるんですよね? これってつまり「偶然」という「才能」でもあるし、「幸運」でもあると思うんですよ」

言われて、なぜかセイルは納得した。

そうか。だからベッカー・ラドは、アン風に言うのなら「不運因子保持者」疑惑を持たれるほどツイていないあの男は。

驚くほど感情的になって、不貞寝してしまったのか、と。

     

   
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