■ 次へ進む

      
   
   

番外編-5- 夢が見れる機械が欲しい

   
         
(1)

     

 少し前から彫像のように動かないその人の気配を、なんとなく探っている。

 その人は。

 執務室備え付けのソファに座り、組んだ長い足の上に片肘を置いて顎を載せ、もう一方の腕は自分の胴体を抱くよう身体に沿わせて、ぴくりともせず虚空を見つめていた。

 だから、室内には見知った、それでいて決して慣れる事のないだろう奇妙な緊張が満ちている。纏う気配と同じに動かない端正な横顔だとか、透明度の低い鉛色の瞳だとか、不思議な青鈍色の光沢を持つ鋼色の髪だとか。そういう硬質なパーツを組み合わせたその人は、黙っていても、口を開いても、どこかしら威圧的な空気を作り出す。

 時として。

 容赦なく突っ込む恋人が隣りに居るだけで、そんなものは千路に乱れなかった事になるのだが。

 彼の名前は、ハルヴァイト・ガリュー。王下特務衛視団電脳班班長という厳しい肩書きを持つ、過去現在未来に並ぶものなしとまで言われている電脳魔導師。確かに、二足歩行式という極めて珍しく操作の複雑な魔導機「ディアボロ」を完璧に従わせるその姿は、風評と肩書きを裏切らない。

 しかし彼は、スティール(鋼鉄製)だという。そんな訳などありえないが。そして彼は、ディアボロ(悪魔)だという。それもありえないと思いたいが。

 重ねてしかし。

 彼の恋人は、「それもありじゃねぇ?」と無表情に、全てを肯定…する。

            

         

 何を考えているのか、ハルヴァイトは小一時間もそうやって動かずにソファに収まっていた。とはいえ、それは別段珍しい事ではなかったので、その時同室していた王下特務衛視団電脳班副長ドレイク・ミラキはハルヴァイトの邪魔になるでもなく、ましてや、彼を邪魔にするでもなく、ここ最近の騒動続きで溜まりに溜まった報告書を作成したり、惚けたりしながら時間を潰していた。

 こういう空気に慣れている。

 もう十年以上も前になってしまったが、ハルヴァイトがドレイクの「同僚」として突如どこからともなく現れ、コンビを組む魔導師になり、それから…まさに青天の霹靂とも言おうか、父親の違う兄弟なのだと判って現在に至るまで、ハルヴァイトとドレイクの間には時としてこういう、同じ空間に存在しているのに全く関わり合っていない時間、というのが流れた。

 そして、安堵する。

 その「時間」が何も変わっていない事に。

 ドレイクが変わっても。

 ハルヴァイトが変わっても。

 ふたりの間に横たわるこの微かな緊張を伴う静寂だけが、変わらない。

 殆ど意味不明の記号だらけ、という、ハルヴァイトに提出する(彼は一応ドレイクの上官だったから)臨界式文字による報告書の内容をチェックしているドレイクは、自分のデスクに頬杖を突き、いかにも面倒そうな生欠伸を噛み殺しながら脳内展開しているモニターを視覚外で眺めていた。脳内モニターはつまり、ドレイクの内部からしか観測出来ない極めてパーソナルな臨界現象で、大抵の魔導師が臨界式報告書を作成する場合に内部で立ち上げるものだ。

 しかし、それはあくまでも魔導師本人しか見えない、というか、理解出来ない場所に置かれたものなので、脳内モニターによる作業中の彼らと来たら、傍から見れば目一杯だらけているようにしか見えないのだが。

 今のドレイクも例に漏れず、いつ何時でも隙なく整えられた煌くような白髪に天井からの弱い光を照り返し、浅黒い肌に埋まる今にも雨が振り出しそうな曇天の瞳を半ば瞼で覆って胡乱に虚空を見つめているという、知らない者が見たならば、あと少しで瞼が閉じそのまま寝入ってしまうのだと思ってもおかしくない顔つきだった。

 しかし世の中には例外というのがあるもので。

 暫しの静寂。

 ハルヴァイトは微動だにせず。

 ドレイクが四回目の欠伸を噛み殺す。

 と?

 軽いノックの後に衛視団執務室と電脳班執務室を隔てるドアが応えも待たずに開き、盛大に毛先の跳ね上がった素晴らしい金髪に飾られた頭部が、ぴょこんと覗き込んで来た。

「…………」

 驚いた訳ではないが、ドアに背を向ける格好でデスクに着いていたドレイクが反射的に振り返り、ぼんやりとどこかを眺めていたハルヴァイトの鉛色が俄かに焦点を結んで、穏やかに微笑む。

「あ。ごめん、なんか作業中か。邪魔した?」

「いえ」

 どうぞ、と手で示されたソファ、ハルヴァイトの向かいに移動しながら、闖入者、王下特務衛視団準長官ミナミ・アイリーは、何か確かめるような無表情をぽかんとするドレイクにも向けて来た。

 だとすれば、先の質問はハルヴァイトに向けられたもので、ドレイクへのものではない。確かにドレイクも作業中だったが、現実面で観測出来る臨界接触現象はなかった。そしてドレイクは、ミナミが問いかけるまでハルヴァイトが何か作業しているとは思っていなかったのだから、つまり青年は、二人が別々に脳内で臨界に接触していたと、瞬時に判断した事になる。

 感じられないはずの臨界接触現象を、肌で感じるこの不可解な青年は。

 素晴らしい金髪と物憂い、危うい無表情を長い睫と深いダークブルーの双眸で飾った綺麗な青年は、ただ綺麗なだけでなく、ただハルヴァイトの恋人なだけでなく。

 ドレイクは、時折思う。いいや、ドレイク以外の彼を知る誰もが思うのかもしれない。

 ミナミ・アイリーというこの、どんな時も大きく揺らがない無表情でその内面を鎧った青年は、魔導師たちよりも何よりも、臨界に通じ臨界に愛されている。

 見つめて来る観察者の深い瞳に一抹の恐怖みたいなものを感じつつ、ドレイクも口元に笑みを浮かべ首を横に振って見せた。それで安心したのか、ようやく儚い笑みを二人に返したミナミが、勧められたソファに腰を下ろす。

「それで、どうかしましたか? ミナミ」

「大した事じゃねぇんだけどさ…」

 ぽそ、とソファに落ち着いて、組み合わせた細い指を膝の上に載せたミナミの微妙に歯切れ悪い物言いに何を思ったのか、ドレイクがにやにやとしたイヤな感じの笑いを口の端に貼り付けた。

「お邪魔でしたら退室しましょうか? 班長殿」

「そういう事を言ってる間に、どこか行こうとか思いません?」

「別に、ホント、大した事じゃねぇから、いいよ、ミラキ卿が居てくれても」

 剣呑な目付きで睨まれたドレイクが、わざとのように高笑いしながらデスクを離れようとする。しかし、それを慌てて停めたのはミナミで、すぐハルヴァイトが不満そうな表情を浮かべ更には隠しもしなかったのに、ドレイクはまたくすくすと喉の奥で笑った。

 全く持って面白いおとーとになったモンだと、微笑ましいやらムカつくやら。

「つうか、暇潰しに来ただけだし、俺。で、あんたはその不機嫌そうな顔をやめろ」

 ハルヴァイトの子供っぽい表情にきっちり突っ込んだミナミと、ますます笑うドレイクに溜め息を吐き付けたハルヴァイトは、ソファの背凭れに背中を預け、明後日の方に視線を逃がした。

「内情がすぐ顔に出る正直さが売りなので、最近」

「嘘言え。それがホントなら、俺が寝込むような事態にゃならなかったと思うけど?」

「それとこれとは話が別です」

「……………あんた留守番決定な。

 でさ、ミラキ卿」

 そっぽを向いたきりのハルヴァイトから顔を背けたミナミが、ソファの背凭れにしがみ付くようにしてドレイクを振り向く。それに、「なんだー」とわざと間延びした声で答えてから悪意満載の笑顔を向けて来た兄を、置き去り決定したらしい弟がまたもじろりと睨んだ。

「暇?」

 いや、作業中だったろ、俺。と言いたいところをぐっと堪えて、ついでに、飛び出しそうになった爆笑も飲み込んで、小首を傾げて見せるドレイク。

「忙しかねぇな。上官殿の御前ですから、あからさまに暇とは言わねぇけどよ」

 自分のデスクに軽く腰を下ろして腕を組んだドレイクの顔を下から見上げたミナミが、上官、だれ? と笑いたそうな顔で言ってくるのに、動かした視線だけでハルヴァイトを指し、ね? とまたもや首を傾げる。

 そんな風にハルヴァイトをからかいながらドレイクは、ミナミも、時折こんな子供っぽい顔をするようになったなと、また微笑ましく思った。

 辛い過去とか。

 辛い今とか。

 そういうものに翻弄され続けているのだろう青年も。

 よく笑うようになったな、と。

「じゃぁさ。実戦室に行きてぇんだけど、俺、送ってくんねぇかな」

 言われて、ハルヴァイトとドレイクが顔を見合わせる。

「実戦室? って…、今デリとアンが行ってんだろ。何か用事か? 電信呼び出しで済むんなら…」

 答えつつソファに近寄り、ハルヴァイトを奥に追い遣って自分も座る、ドレイク。

「狭いですよ、ドレイク。あっち行け」

「おめーが育ち過ぎなんだよ」

「あんたら、そういう大人気ねぇ喧嘩すんなよ。面白ぇから」

 いい加減二十台も半ばを過ぎ、ついでに言うなら背丈が百八十センチを越えた大の男二人なのだから、ミナミの意見も尤もだ。

「喧嘩に大人げあるもねぇも…、ってそれはどうでもいいとしてよ、なんで実戦室なんだ? ミナミ」

 実戦室といえば、警護班では「道場」などと呼ばれている格闘訓練用の部屋で、城の本丸を出て三号分館の二階まで行かなければならない。電脳魔導師隊執務棟よりは近いが、二号分館には貴族の集まるサロンやカフェ、レストランなどがあって、つまり、本丸からの道程としては比較的賑わった場所なのだ。

 心因性極度接触恐怖症という神経の病を今も抱えている、誰にも触れられない青年がひとりで行くのに困難なのは判る。判るが…。

「班長とか、いねぇのか?」

「だからさ、そのヒューが実戦室に行ってんの」

 さてここで、考えてみよう。

「デリとアンちゃんだろ? あと、班長も行ってるって?」

「うん。デリさんにさ、組み手の指導頼まれて、さっき出てった」

 複雑な理由が絡み合って、結局、人ごみなどをひとりで出歩けないミナミ護衛のためにと警護班が増員されたのは、この、強固でもあり脆い青年が正式に特務室の衛視に取り立てられてからだった。衛視団警護班八名のうち、班長であるヒュー・スレイサーのほか、ルードリッヒ・エスコー、クインズ・モルノドールの三名は、交代で、陛下のほかにミナミの護衛にも当たっている。

 実の所、ミナミの護衛には「慣れ」が必要だ。まず、青年が何に怯え何が出来ないのか、どこまではひとりで出来るのかやろうとするのか、それから万一の場合、ハルヴァイトを呼ぶとか呼ばないとか、睨まれるとか…、とにかく、ただくっついて歩いていればいい訳ではない。

「ルードかクインズは?」

 班長ことヒューが不在でも、どちらかが登城しているはずだと思っていたドレイクが真白い眉を動かして問う。

「どっちも休みだよ、今日は。俺も、昼過ぎに室長出て来たら帰宅予定だし」

「それは初耳」

 ミナミの予定を知らなかったのだろうハルヴァイトが素っ気無く言うなり、青年が、平素は揺るがない無表情を微かに顰める。

「失敗した…。言わないで帰ってやろうと思ってたのに、自分でバラすかな、俺」

 なぜだ、ミナミ。

「それにしても、ミナミは執務室に居たんだろ? そのおめーほったらかして出てっちまうなんて、班長、職務怠慢なんじゃ…」

 とドレイクが溜め息混じりに半分以上の意見を言い放った、途端。

 がちゃり、とノックもなしで執務室のドアが開き、黒縁のセルフレーム眼鏡をかけた事務官のジリアン・ホーネットが姿を見せた。

「スレイサー班長はガリュー班長在室をご存知でしたので、不測の事態で外出なさる際はガリュー班長にお送り頂くようにとアイリー次長に言われてから退室なされました。

 ですが、絶対、アイリー次長はガリュー班長に「連れてって」と言わないだろうから、俺の名誉のためにお前が言ってやれ、との事でしたので、アイリー次長に代わってわたしがガリュー班長にお伝えいたします。

 班長、アイリー次長が、アリス事務官に仕事取られて暇だそうなので、実戦室に遊びに連れてってやってください。

 って事で、よろしく」

 じゃ! と最後に爽やか、且つ凶悪な笑みを唖然とするドレイクとミナミに向けてから軽く手を挙げたジリアンが、ぱたん、とドアを閉めて退場する…。

「はい、ごくろうさまです」

 それでハルヴァイトは俯いてくすくすと笑い、ドレイクはようやく、ミナミが必死になってハルヴァイトをからかっていた意味を知り、ミナミは。

「…バラすか? ふつー」

 無表情なまま弱々しく呟いてから、未だ笑い続けているハルヴァイトをじろりと睨んだ。

  

   
 ■ 次へ進む