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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(1)

     

『ラスへ  副長と仲良くしてますか? マキ』

      

      

始めて見る王立特別学習院…セントラルは、外観も雰囲気も、自分が通う公立の学校とはまるで別物だった。いや、セントラルだって政府の管理下にある学園なのだから結局は「公立」になるのだろうが、ランクと言うか、存在そのものが別次元にあると感じる。実際、先から嫌という程目にするセントラルの制服に身を包んだ生徒たちは、自分を含む、まだ子供子供した無邪気な悪ガキどもとは違う独特の雰囲気を持っていた。

自分。

少年は、ようやく見つけた中庭の片隅に設置された掲示板の前に腕を組んで佇み、少し首を傾げるような恰好でそれを見つめていた。表示されているのは、スライドのように次々変わる写真。ギャルソンの大人っぽい笑顔、白衣姿でパンケーキを焼く者、カメラに向って笑顔を振り撒く者たち。ふざけて写して貰ったものや、本気で茶器を引っくり返している最中のものなど、スナップショットらしいそれらがゆっくりと消えて、掲示板が純白に塗り潰される。

オープン・カフェへどうぞ。

掲示板の表面を羽根ペンが滑ると、流麗な筆記体で誘いの言葉が浮かび上がる。ベタな演出なのだろうが、そこを魅せるための物ではないので別に構わない。

見ているうちに羽根ペンで綴られた文字が砂のようにさらさらと消え、画面は唐突に変わった。

瞬間、いつの間にか少年の背後に出来ていた人だかりから溜め息ともつかない奇妙な吐息が洩れる。

イーゼルに立て掛けられた、幅が一メートル近くある横長の掲示板にぱっと映し出されたのは、色合いの違う二人の「メイドさん」だった。

一人は、パールピンクのぽってりした唇を少し窄めるようにして微笑んでいて、長い髪をポニーテールにしている。横分けにした前髪の先端が白くて滑らかな頬を掠めているのと、毛先のつんとハネた長い睫に飾られる透き通った飴色がなんとも印象的だ。

そしてもう一人は、綺麗にウエーブのかかった金髪で恥ずかしげな微笑を縁取っていた。伏せたような長い睫が彩るのは、光を乱反射する碧色。薔薇色の頬と淡い桜色の描く緩やかな孤は先の一人に比べたら随分と幼い印象だが、それがかえって初々しい。

左右に離してある写真に、名前はない。どちらも別種の魅力的な笑顔に挟まれたエリアには、それぞれのメイドさんがカフェに出ている時間、つまりはシフトが表示されていた。

少年は、暫くそれをじっと見ていた。

穴が開くほど見つめていた。

      

「…あいつには、羞恥心てのがないんか…」

      

別に、なくても困らないんだけども。と少年は一人ごち、カフェの入口に爪先を向けた。

      

      

先に到着して待っていたカナンが小さく手を挙げて、ジンとリックは笑顔の友人に近付くと、やや乱暴に椅子に身体を預けた。

「お疲れ〜」

「…委員長のその能天気な笑顔見たら、余計疲れた…」

ジンの内心の呟きをこの世に顕現させたリックの拗ねた横顔を、言われたカナンが少し困ったように笑う。そんな事を言われてもしょうがないじゃないかという無言の抗議を、極めて濃い灰色の髪の少年は謹んで受け入れ頷いた。

一般公開日の今日、ジンたちと同じく生徒会所属のカナン・メイハーは、しかし、ラクロスチームのオープンゲームが控えているため、生徒会の仕事から外されている。試合開始は午後からだが、ここで一足早い昼食を軽く摂ったらすぐフィールドに向わなければならないらしい。

ゲートの開放から約二時間、学園内は大勢の一般客で溢れていた。これからセントラルの門を叩こうとする者、セントラルを巣立ち今や各界で名を馳せるようになった者たち、父兄や親族、はたまた、一生係わり合いにはなれそうもないからセントラルの中身を一目見ようとする興味津々の都民たち…。園内各所や講堂で行われている様々な催事は一般の学園祭よりもずっとクオリティもレベルも高く、そういうものを楽しみに毎年足を運ぶ者も居ると聞く。

と、そうなれば、不本意ながら騒ぎは付き物だった。それはもちろんセントラル側の責任ではなく、こんな日のこんな所に来てまで悪事を働こうとする人間が悪いのだが、セントラルはセントラルの誇りを持って、そういった…例えば置き引きだとか痴漢だとかスリだとか…を予防する策を講じなければならない。

だから、生徒会の殆どの生徒たちは、一般公開日は「警備」の腕章を掲げて学園内を巡回する。一日目、校内催事日は比較的穏やかでのんびりしたこの仕事は、逆に、残りの二日は敷地内を隅から隅まで走り回るようなハードワークなのだ。

「さすがに今日と明日はジンもリックも特別扱いなしかー。人手不足だもんね」

こちらはきっちり特別扱いで巡回からはずされているカナンがテーブルに頬杖を突いて言えば、リックはうんざりと肩を落として天蓋を仰いだ。

「委員長一人分人手不足よ、マジで」

「それ、ぼくのせいじゃないし」

わざと作った剣呑な表情で睨むリックに言い返したカナンの悪びれた風ない表情を、ジンが薄く笑う。どちらもごもっとも。結局、愚痴は零せても改善の余地はない。

「それで、ふたりはこの後どうするの? 暫くマキのトコで遊んでる?」

何を頼んだのか、カナンの前にはまだ何の飲み物も置かれていなかった。それを横目で見つつジンは、背後を通り過ぎようとしたギャルソンに入口で購入したフレーバーティーのチケットを渡した。

「いや。少し休んだら今度は適当に校内を流すよう言われている。今日は、運悪く警備の責任者がベイカーさんで、昨日の事があってすっかり打ち解けてしまったから、こき使われてるんだよ」

お客のはずなのに軽く会釈したジンとリックに仄かな笑みを見せてから、ギャルソン…競技科の高等部生は足早にテーブルを離れて行った。マキ絡みで昨日は一日カフェのバックヤードに出入りしていたものだから、自然と顔見知りになってしまったのだ。

それでも、あのマスター・ベイカーの覚えが明るくなってしまった事よりも害は少ないなとジンは、遠ざかるギャルソンの背中をなんとなく眺めつつ思った。これからも多分自分とリックは競技科と拳闘科の上級生と擦れ違えば会釈するだろうし、それがカナメやラドルフやラルゴだったら立ち止まって会話するかもしれない。

でも。

マスター・ベイカーはよろしくない。いやいや。彼は頭もよく行動力もあり、人を的確且つ強引に使う手腕に長けていて、正直、嫌いではない。

でも、だめだ。…と言うほどはっきりした根拠があるワケではないけれど、なんとなくマスターは得体が知れない。何を考えているのか、いまひとつ判らないのだ。開けっ広げで裏表ない風を装って、腹の中に抱えているものを微塵も見せていないのではないかと思わせる。いやいやいやいや。裏表はあり過ぎるほどにあるのだが、彼はそれを見せることで腹の中の更に底に抱えている本懐を隠している。

その予想がただの杞憂であってもなくても、厄介な人と知り合いになってしまったという事実は動かない。

しかもマスターは、周囲がぎょっとするほど自然に…唐突に…マキを口説く。昨日の写真撮影後、そろそろ衣装を脱ごうかと相談しているラルゴと少年に笑顔で近付き、またもや、僕と付き合おうかマキちゃん。なんて事をさらりと言ってのけ、それがあまりにも自然過ぎて、マキなど何を言われているのか判らなくてきょとんとしていた。二秒ほど経ってラルゴが慌てて「ダメですっ! なんとなく!」と悲鳴を上げるまで、彼らの周りの時間は停滞していた筈だ。確実に。

そもそも、マスターは三年生に上がってすぐに提出した進路希望に、「支配者」と恐ろしくきっぱり書いてあったという逸話を持っているような人だった。その辺からして、何を考えているのか理解したくない。

ジンが内心うんざりしながらそんな事を思い浮かべている傍ら、リックとカナンは巡回ルートの話やラクロスのオープンゲームの話などをしていたらしかった。

煉瓦調の敷石を視線で辿りつつ半分も意識していなかったその話題に耳を傾けようと、ジンが顔を動かして友人たちに向けかけたのと同時、視界の片隅をすっと通過する人影。ギャルソンに案内されて空席に向う途中なのだろう彼を、ジンは無意識に見上げていた。

ごついワークブーツに細身のブルージーンズを突っ込んだ、シンプルだが重厚感のある足元。ボトムの、真新しい色合いにも見えるのにあちこち鈎裂きがあるのは、もしかしてオシャレなのだろうか。ベルトの変わりにループを通っているのは派手な赤いバンダナ。微かに腹部が見えてしまう丈のTシャツは身体にぴったりとしていて、意外にも厚い筋肉を感じさせる。それで、自信満々に薄いシャツ一枚で身体を見せびらかされたら正直不快なのだが、飾り気のない黒っぽいブルゾンを羽織っているから特に目立つでもない。

背は、丁度ジンとリックの真ん中辺りだろうか。だとしたら、やはり随分とがっちりした体躯だと言っていい。

通路を挟んだ向かい、少し離れた場所の二人掛けテーブルに通された彼が、手にしていたチケットをギャルソンに渡しふと微笑む。

顔は、悪くない。目元の涼しい二枚目というところか。顎の尖った細面で少しキツイ印象があるのに、笑うと酷く幼く見える。もしかしてそれを隠すためなのか、真ん中で左右に分けられた色褪せた飴色の前髪が顎の辺りまで長くなっていて、下せば肩まであるのかもしれない後ろ髪は、後頭部のやや高い位置で束ねてあった。

さり気なさを装ってそこまで観察したジンが、眉間に皺を寄せる。なぜその彼が目に付くのだろうか。別に怪しい所もないのに、何か…気に掛かる。

「…街角を巡回している兵士は、少しでも怪しい人物を見ると直感で犯罪者かどうか判ると言うけれど、そういうものかな…」

今日は朝から巡回警備の仕事に回されているからか、学園内を歩いていてもちょっとガラの悪そうな人物にすぐ目が行ってしまっていた。普段なら気にならないそういうものが触覚を掠るのは、やはり気持ちの違いなのだろうかと内心首を捻りつつちらりとリックを見遣れば、幼馴染みは周囲…彼?…を気にしている風でもない。

なぜかラクロスのルールをカナンに教えて貰っているリックの、珍しく真剣な横顔からまたもや視線を外し、煉瓦敷きの通路をなぞる。

その、僅かに動いた視界にまたあの彼が入り込んで、ジンは再度眉を顰めた。

怪しい所は何もない。少々崩れてはいるがだらしなくない衣装は色合いが地味なくらいで、特別目立つ訳でもない。しかも、テーブルに広げた学校案内か何かのパンフレットを眺めている姿勢が意外にもぴしりとしていて、好感さえ持てそうだ。

だんだんと、そんな普通の人間を酷く気にしている自分がイヤになって、ジンはわざと大仰な溜め息を吐いてみた。

「ジンちゃん、お疲れみたいだねぇ」

「マイナスイオン出まくりのマキに、朝から会ってないからじゃないの?」

ジンたちは、癒し効果のあるマイナスイオンも出る…根拠はないらしいが、イメージとしてなんだか良い感じの例えだと思う…が相当不穏な空気(…)も出せるマキとは、カナンの言う通り今日は一度も会っていない。こんな時違うクラスって哀しいよねと、胸の前に両手を組んで天蓋を見上げ嘘泣きしながら訴えるリックを、カナンが気持ち悪いと非難した。

「……。マキくんの交代時間まで後少しだし、休憩時間をちょっと延長し…」

と、ジンが都合の良い事を言いかけるなり、巡回の生徒会役員に持たされた通信機が、無情にも、間の抜けた悲鳴を上げた。

     

   
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