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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(11)

     

『さよなら、ばいばい、ごきげんよう。

楽しい事は、また、来年』

     

     

その後、学園祭二日目を恙無く過ごし、馴染み過ぎるくらいに馴染んだジェイと再会を約束したジンたち。

翌日、最早どうしようもない程話題を集めまくったオープンカフェのメイドさんコンビはほぼ一日中中庭を歩き回っての接客に追われ、結局、はるばる地元からやって来たラルゴの友人やマキの友人…残念ながら「会長」は急用のため来られず、「王子」と呼ばれる小柄な後輩とお取り巻きのみだったが…との邂逅はほんの短時間だけになってしまった。

楽しくも慌しい中でマキは、ラルゴの友人だという三人の少年たちが意外にも普通で、つまり、普段あの綺麗な上級生の周りに居るようなちやほやした所がなかったのに、少々驚いてしまった。

他のお客さんには内緒だと前置きしてこっそりバックルームに呼び込み記念写真を撮ろうという話になった時、はしゃぐラルゴの背中を眺めながら歩くマキを一人の友人が振り返り、ちょっと複雑なヤツで面倒臭いかもしれないけど、寂しいのを隠して無理してるだけだから、仲良くしてやってな? と耳打ちして来たのに、金髪の少年は嬉しいような照れ臭いような顔でこくんと頷いた。

だから、マキは思う。

必ず判ってくれる人は居るから。と、言葉を放棄し、それでも足りなくて周りの全てに怯えて暮らしていた少年の手を握って微笑んでくれたあの人の「言葉」は、間違いではなかった。

ラルゴの友人たちが帰った後に現れた、「王子」ことニケ少年は、メイド姿のマキを見つけるなり両腕を広げ突進して来て情け容赦なく張り倒され撃沈するというコントを披露し、ジンとリックにやんわりと敵視された。ちなみに、その場面を目撃してしまったお客がドン引きしたのは、果たして、どこからどう見ても貴公子然とした爽やか少年が、頬にばっちりビンタの痕を付けたまま鼻の頭を真っ赤にして感涙…少年の行く末が非常に不安だ…しつつメイドさんの足元に平伏したからなのか、そのメイドさんがめちゃくちゃ怖い冷気を発しながら腕組みして仁王立ちし、尋常ならざる威圧感を醸し出していたからなのかは、間近で見ていたジンとリックにも判断出来なかったが。

とにかく。

些細な騒動を散りばめた学園祭も、あと少しで終わる。

最後に残ったのは、催事人気投票の結果発表だけだ。

学園祭に催事の人気投票があり、それで一位を獲得するというのは他の何にも変え難い栄誉なのだとマキが知ったのは、一日目の昼頃だった。しかしながら、慣れないウエイトレス業に緊張しまくっていた少年は、聞いた端から忘れていたのだけれど。

なぜなのか、衣装を脱ぐ事罷りならん! みたいに偉そうにマスターに言われて、マキは今だメイド装束のまま後片付けに勤しんでいた。オープンカフェは学園祭の恒例催事らしく…年代によって担当する科は変わるようだが…、食器やカトラリー、透かし模様の入った白いテーブルクロスなどは、ちゃんと梱包して備品倉庫に戻さなければならない。

椅子ではなく床に広げた敷物の上に足を崩して座り、周囲に積み上げられた皿を一枚一枚柔らかい梱包材で包んで、黙々と箱に詰め込む。始めは椅子やテーブルの撤去と返却に回ろうとしていたマキを厨房の片付けに追い遣ったのは、マスターだった。

変に目立って人だかりが出来たのでは作業が捗らないし、そもそも、慣れない厚底ブーツで机など運んだら足を取られて転ぶだろうから無茶はするなと、内容は真っ当なのにどうしても胡散臭く感じてしまうにんまり顔で言われ、しかし妙に納得してしまって、マキは厨房に残ったのだ。

生徒たちが忙しく出入りするのをぼんやりと意識しながら、ひたすら手を動かす。

ああ。なんだか。凄く。

「…楽しかった」

ふと、手元に視線を落としたまま呟いて、マキは照れたように笑った。

なんだか凄く、凄く凄く、楽しかった。

今までだって学校は好きだったけれど、でも、どこかまだ知らない所があって、時々自分がお客様みたいな気分だったのに、学園祭という浮かれた空気を皆と一緒に吸って、見知らぬ生徒にまで名前を呼ばれて手を振って貰って、なんだか…。

ラスとロイがお城と学校のどちらかを選べなかった理由が、今、ようやく判った気がする。

がらり、と廊下側のスライドドアが喧しく鳴って、マキは笑み崩れそうな小さな顔を上げて少し伸びをし、入って来た生徒たちに笑顔を見せた。

「あ、いたいた、マキちゃん。ベイカーさんが講堂に大至急来てって、生徒会の通信網で私信して来たよ? 一緒に行こ」

並んだ机の上にぴょこんと覗いた金髪を見つけたリックが、へらりと笑顔を作って手招きする。それにちょっと不思議そうな顔をしてしまったのだろう、手に持っていた梱包材に包んだ皿を箱に入れながら立ち上がったマキに答えてくれたのは、赤毛の幼馴染の傍らに立つジンだった。

「校内催事の投票結果が出る頃だからじゃないかな。きっと上位に入った自信があるのだろうよ? エルマさん経由で、ミンさんにもすぐ講堂に来るように言っていたからね」

立ち上がったマキのすぐ脇を通り抜けようとしていたアランを捕まえて、梱包途中で散らかったままになっている皿とカップの群れを指差した少年が、眉尻を下げ小首を傾げる。それで果たして、何が言いたいんだ? などという馬鹿げた質問をするでもなく、クラスメイトは慣れた風に気安い笑みを作って小さく頷いてくれた。

「ああ、残りはやっとくよ。きっと表彰の時ステージに上がらされるぜ、マキとミンさん」

にやにや笑いのアランに言われて、マキは思わず自分の姿を見下ろしてしまった。

まぁ、確かに? メイドさんの評判は悪くなかったみたいだし、表彰されても嬉しいんだか何か企んでいるんだか判らないベイカーさんよりは、ボクとミンさんの方が愛想笑いに慣れてるしね。

くらいのどうにも的外れな感想を持って、マキは苦笑しつつ頷いた。

まさか。

最後の最後、ステージ上で表彰される(彼の中では確定事項らしい)マスターが全校生徒を敵に回す覚悟でメイドさんを両脇に侍らせてやろうと考えていたなんて、マキにどころか迎えに来たジンとリックにも想像出来ていなかったが。

自分に、自分の守るべきものに害を為そうとする気配には敏感過ぎるくらいに敏感だが、逆に自ら懐に飛び込んでしまったものに対しては全くといっていいほど警戒心を抱かないらしいマキは、そんな感じで(…)気楽にお迎えの元に駆け寄った。

     

     

講堂までの道のりは、遠くない。しかしそれは物理的な距離の話であって、今の格好のマキにしてみれば、決して近くもなかった。

いつも以上の親密な距離で…とこれは、メイド姿の愛らしい(…)マキに近付こうとする不届き者を寄せ付けないためだろう…ジンとリックに左右を固められて校内を移動する少年を、見知らぬ生徒たちがちらちらと盗み見ている。

少年は大抵の、悪意も不快感もない純粋な好奇心だけの視線は慣れた様子で受け流していたが、中には彼の名前を呼んで来る者もおり、そういう時には、学園祭初日の朝にリセルに言われた事を思い出して声のした方に顔を向けふんわりと微笑み、手を振られれば小さく手を振り返したりした。

おかげで、校舎を通り抜けて渡り廊下を過ぎ講堂に辿り着いた頃には…目をハート型にした生徒を大勢従えるハメになり、その一団から嫉妬なのか羨望なのか判らない視線を一心に集める二人の友人を大いに疲れさせ、マキは本当に申し訳ない気持ちになってしまった。

それでも、ジンとリックは中等部二年生という、中高一貫校の下層に近い位置にありながら、堂々とその雑魚い…とは、後日話を聞いたロイが笑って命名したものだ。何せそれらは、熱と棘の篭った視線を向けて来るだけでマキたちを遠巻きにする、固有名詞も持たないモブだろう? とかきっぱり言い切り…連中のおどろおどろしい気配に怯む事なく、へらへらと愛想笑いを浮かべて近付いて来る高等部生を「急いでますので」と斬り捨てて、講堂へと突き進んだ。

ステージを正面に見るスライドドアを開けてようやく講堂内に踏み込んだマキたちは、マスターの言い付け通り壁沿いに移動して学園祭実行委員の後ろを擦り抜け、舞台袖に繋がる小さな部屋へと入り込む。そこでようやくジンとリックがほっと肩の力を抜いたのを気配で感じたメイド姿の少年が、何か言いたそうに、困ったように眉をひそめて友人たちを振り返った。

セントラル大講堂の舞台は、相当広い。本格的なホールとまでは言わないが、一般的に想像される学校の講堂だとしたら広過ぎるくらいの場所だったから、当然、舞台袖に行くまでも二、三歩では済まされないのだ。

だからその。短くはない通路の始まりで。

マキは立ち止まったままジンとリックが横に並ぶのを待ち、丁度彼らの肩が同じ位置まで来たところで、するりと左右の腕を友人たちの腕に絡めた。

唐突なマキの行動に驚いたらしいジンとリックがぱちぱちと瞬きしながら見下ろして来たのに、少年はそれぞれの顔を交互に見遣ってから、ふわりと微笑む。その笑みは道程で披露された、詰まる所の愛想笑いではなく、つられてこちらの口元にも自然に笑みが上ってしまうような心底嬉しそうなものだった。

薄暗がりの先から、忙しく歩き回る足音や抑えた声が聞こえる、舞台袖。

「…ジンも、リックも、ありがと」

薄布一枚隔てたそれらとは違う、もっとずっと近くて澄んだ声が。

「二人と友達になれて、ほんとに、良かった」

何ものにも掻き消せないはっきりした輪郭で、囁く。

「あ。委員長にも、後でちゃんと言わなくちゃ」

ジンとリックと腕を組んで二人の間に挟まれたマキが、正面を見据えてふふと笑った。

そんなマキの横顔を見つめるジンとリックは、なんだかくすぐったいような気持ちになってうろうろと視線を彷徨わせ、結果、ぱちりと目が合ってしまって、照れたように笑い合う。

少年の言葉は、その表情のように真っ直ぐで、曇りが無い。

学園祭という非日常が、明日からの日常を少しだけ変えたと、ジンとリックは思う。

きっといつか。

遠くない、いつか。

マキは真っ直ぐな言葉で、屈託なく話しかけてくれるだろう。

そんな嬉しい予感に口元を綻ばせる友人の腕を引いて、マキは舞台袖の片隅で固まっているマスターたちに歩み寄る。その影に気付いたのだろう上級生たちが彼らに顔を向けると、少年はにこりと微笑んで小首を傾げた。

「おお、美しきかな友情、だねぇ。どれどれ、では、ボクも…」

目を細めて、ジンたちの腕を抱え込んでにこにこしているマキを見ながら上機嫌で言ったマスターがいそいそと近付くのを追い越してラルゴがメイド姿の少年に飛び付き、両脇を固める友人の手をぱっぱと振り払って、その小さな身体をぎゅっと胸に抱き締める。

「ダメです、ダメダメ。ベイカーさんはとっとと舞台に上がって、ほら!」

ラルゴがふわふわの金髪に頬ずりしながら言うのを、マキは首を竦めてくすぐったそうに見上げた。

数日前までは心に蟠る屈託を謂われなくマキにぶつけて来ていたはずのラルゴがこうして抱き締めてくれるのが、凄く嬉しい。

「…ミンさん」

小さな声で囁きかけられて、ラルゴはきょとんと目を見張り、腕の中のマキを凝視した。

「ありがとうございます」

「―――。ふふ…。お礼もいいけど、どうせだったらぎゅってしてよ」

ねだられて、マキは両腕を上げラルゴにしっかり抱き着いた。

「ミン、ずるい」

「いいでしょー」

唇を尖らせて文句を言うマスターに見せ付けるように、マキの金髪に頬を擦り付けるラルゴを、同行のジンとリック、ラドルフが苦笑しながら見ている。

……学園祭の話題を掻っ攫ったメイドさんが華やかに微笑みながら抱き合う姿に、舞台袖で投票結果発表の準備をしていた生徒たちが、いいもの見た! と胸の中で歓喜の悲鳴を上げていたのは、言うまでも無い。

     

     

広い学園を包んでいた浮ついた空気も綺麗に消え去り、学び舎らしい荘厳な気配を漂わせる、セントラル。

正面エントランスを抜けて噴水を模したオブジェの前まで進んだマキは、ふと、背後を振り返った。

乳白色の校舎たち。点在する緑。その遥か上空、天蓋越しの夕焼けの中を、柔らかい雲がさらりと流れて行く。

催事の人気投票で得られる物は記憶という栄誉だと、一位を獲得した証である造花の小さな花束を手にしたマスターは言った。それだけだ。他には何も無い。いつかそれを思い出すための小道具となる記念品も、写真も、何もない。

がっかりした? と問われて、マキは首を横に振った。

記念品も、写真も無い。催事の投票になど興味のない生徒ならば、今年どの催しが一位を獲得したのかも判らないかもしれない。

でも。

だからか。

きっと自分の今の気持ちを判ってくれているだろうという期待を込めてジンに視線を当てれば、少年は眼鏡の奥の瞳を眇めて小さく頷いた。

だから、その栄誉はセントラルの歴史と共に続くだろう「学園祭」の全てを手に入れたものと似ている。来年も、再来年も、五年後も十年後も、誰かがきっと言うだろう。

学園祭の度に、誰かがきっと思い出してくれる。

二人のメイドさんと、中庭のオープンカフェ。美味しいお茶とお菓子と…。

      

凛々しいギャルソンとミニスカートのメイドさんが、大立ち回りをやらかしたのも。

     

学校が大好きだ。

ようやく仲間に入れてくれた学校が、大好きだ。

いい事も、悪い事も、楽しい事も嬉しい事も悲しい事も辛い事も…嫌な思いは少しでいいけれど…沢山あればいい。

そうすれば、いつかこの場所を離れても少年たちは忘れないだろう。

記憶という大切な思い出を、一生持ち続けられるだろう。

「あ、いたいた! マキー、途中まで一緒に帰ろー」

ホームルームの後姿が見えなくなっていたカナンが、身体に見合わぬ大きさのドラムバックを億劫そうに担ぎ直して、エントランスから飛び出して来る。

「委員長」

マキは、人影もまばらになった正門前に佇む背の高い友人たちを指差し、ゆっくりと微笑んで小首を傾げた。

「寄り道して帰ろ?」

言われて、カナンがびっくり眼を見開く。いやいや、そんなに驚いてくれなくても…。と、マキは一瞬思ったが、果たしてそのびっくりが寄り道に対するものなのか自分の声に対するものなのか判らなくて、思わず難しい顔をしてしまった。

「…寄り道、どこに?」

小走りだったのを歩く早さに切り替えたカナンがマキと肩を並べる。

「ネルソンバーガーの、チリドッグが食べたいんだって」

指差されたのがジンなのかリックなのか判らなかったけれど、カナンは正門の前に佇む二人とマキの顔を見比べてから、やれやれと肩を竦めた。

「いいけど、ぼくの場合は寄り道っていうか、遠回りだよね」

それもそうかと、マキが笑う。

静かに佇む校舎に背を向けたマキとカナンは笑い合いながら、手招きしているジンとリック目指して駆け出した。

     

そうやって、楽しい事が、沢山あればいい――。

       

       

2010/05/13 goro (2016/03/27) 

       

   
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