恋人が眠った後に唄う歌    
       
    

   

 濃密な暗闇を掻き分けてどこからともなく現れ、いつの間にか音もなく集結した覆面の男達が、自然庭園の中にぽつりぽつりと橙色を灯す数戸のコテージを品定めでもするようゆっくりと見回す。

 巡った視線のお終いは、小振りなコテージから少し離れた場所に建つ一際大きな母屋。もっと近付いて耳を澄ませば聞こえるかもしれない、ビッグバンドの演奏と集まった賓客の笑いさざめく声を幻に、茂みに身を隠した男が覆面の中で薄暗く嗤った。

 ややあって、青白くか弱い月光に照らされた母屋…三階建てのホテル…の正面玄関、ではなく、コテージに続く小道に向けられたガラス張りのドアが人目をはばかるように開かれた。一階ホールでは未だパーティーらしい気配が続いているから、手を取り合って現れた男女は会場から、そっと、ないし、拍手と冷やかしに見送られて、抜け出してきたらしい。

 宵闇に紛れた覆面の中の暗い双眸が追いかける、寄り添った白っぽい人影。それが消えたコテージの位置を背後の同胞に目配せで確認すると、問われた覆面もまた無言で頷き肯定の意を示す。

 標的を補足した男達は、ひ、ふ、み…、数えて六つ。何が目的なのか、あの二人連れはなんなのか、誰も問わないその真相が今明かされる筈もなく、ただ、やせ細った月だけが森に撒かれた星くずのごときコテージを見つめる。

 ここは山間。天然温泉を引いた豪奢なホテルと、小ぶりだが豪華さが売りのコテージを自然の森に配した大陸でも有数のリゾート地で、その運営はニガ・ハク領主区領主が自ら行っている。故に警備体制も個人経営のホテルなどとは比べ物にならないほど強化されており、遠方からはるばる他の領主達が静養に訪れる場所でもあった。

 しかし、その緩やかな傾斜にへばりついた男達の出で立ちは、どうか。

 この時代、この大陸に「万全」はない。正義が金貨に換算出来るようになって久しく、いつしか正義は「必要悪」に成り下がった…。などと頭ばかりいい連中は識者ぶって憂いてみたりするのだが、実際問題、リゾート地、などと呼ばれて一応の安全を確保されたこの「街」にさえもこういった覆面が潜んでいるのだから、正義より判りやすい守銭奴の方が目に見えて頼もしい…、と言えなくもない。

 木陰に身を潜めていた男達が微かに頷きあって、刹那、気配もなく動き出す。まるで夜陰に紛れる「忍者」のごとき身のこなしを見た者がいたのなら、これがかの悪名高き「朱の皇帝一族」と呼ばれる殺人集団だと気付いたかもしれない。

 だがしかし、今宵、目撃者はいなかった。

 

 別段他のコテージと変わりない小綺麗な室内で、燭台に鎮座した蝋燭の炎が揺れている。揺らめくそれが壁に描き出しているのは、部屋の中央に置かれた長椅子の中で寄り添う男女のシルエット。だらしなく寝そべった男の腕に抱きかかえられた女は、盛大に裾をに広げたウエディングドレス並に豪華な衣装を纏い、暁色の光を放つピンクゴールドの髪を弄ぶ男の手を、少々うざったそうに何度も払い除けていた。

「…………」

 ふと、男が何事かを女の耳元で囁く、薄い唇。金色のベールを被せた淡いブラウンの長髪を邪魔そうに掻き上げて、なぜか、男が失笑で言葉を締め括る。と、身を傾けて男の口元に耳を寄せていた女も、ラズベリー色の唇に薄い笑みを零した。

「招かれざる客っつーのは、まさにコレだな」

「招いちゃいないけど、待ってたんだからいいんじゃない?」

 ぐっと抑えた耳通りのいい声に答えてから女は、清流を渡る冷え切った微風のような声でくすくすと笑った。

「んー、馬鹿どもに邪魔されなきゃ、今日辺りいい目でも見てやろうと思ったんだが」

 まるでそんな気など微塵もないような、男の独り言。苦労知らずでイイトコ育ち風の滑らかな指先が、少々乱暴に払い除けられるのにもめげず再度女の美しい髪に絡まると、ついぞ女は、呆れた溜め息でそれを許し、ゆったりと男の身体に凭れ掛かった。

 会話の内容さえ耳に届いていなければ、まるで愛を語りあってでもいるような穏やかな表情。二人が身に纏っている豪勢な衣装といい、灯りを落とした室内の雰囲気といい、もしやこれは、今日結婚式を終えたばかりの新婚カップルなのではないか? と……勘ぐる要素が……ないとも言えない。

 時刻はまだ宵の口。艶事を囁くには少し早いが、勝手に現れた「お客」どもが息を詰めてノックの機会を窺っている、となれば、その期待に添わない訳にもいかない。

 だから男は、着崩したタキシードから衣擦れだけを微かに、ドアに顔を向けたまま身を起こして、婉然とした冷笑を口元に浮かせた女の痩せた身体を後ろから抱きすくめた。

「……なんつうか、急にいい仕事に思えて来たな、今日の」

「あら、あんたが喜んで仕事するなんて珍しい。まさか、何か不吉な事でも起こるんじゃないでしょうね」

 素っ気ない受け答えを喉の奥で笑った男…シュアラスタ・ジェイフォードが華奢な胴体に腕を絡ませてくるのに、女、チェス・ピッケル・ヘルガスターは、抵抗する素振りさえ見せなかった。確かに仕事の一環であって双方に「ソノ気」がないとしても、シュアラスタの行動はあまりにも様になり過ぎていたし、チェスの無関心も自然過ぎるのではないだろうか。

 蝋燭の光に照らされた、肩が大きく開き、胸元を豪華なレースで飾った白いドレス。しかし、その華やかささえ霞んで見えるような大陸一の美貌。シュアラスタはいつになく機嫌良くチェスの長い髪を撫で上げて、さらけ出した白い首筋にくちづけを落とした。

 ふとグランブルーの瞳が微かに動き、チェスの唇が何かを言いかけた。悪ノリもいい加減にしなさいよね、だとかいう慣れたセリフを吐き付ける事も考えたのだが、押し殺した気配がひたひたと迫ってくるのを感じて思い留まったように見える。

 同じく周囲の気配に気付いたシュアラスタが、声を殺してくすくす笑った。その吐息が肩を滑り降りて染み込む先の胸元に感じる鋼の冷たさだけが妙にアンバランスで、チェスが戸惑いがちにシュアラスタの腕を解こうとする。

 途端、ドアが外から弾けるように開き、黒装束の男達が影のように転がり込んで来た。覆面に、拘束服まがいの仰々しい衣装。チェスで始めて、シュアラスタでは二度目になるだろうそれに、獲物が食い付いた事を確信する。

 侵入は無音。気配さえ希薄。瞬時に、短刀、長刀をそれぞれ構えた男達が、長椅子で抱き合った二人と、絶妙の間合いで対峙するまで、一瞬。

 闖入者に驚いた訳でもないだろうが、チェスの首筋に唇を押し付けたままぴたりと動きを止め、しかし、灰色がかった緑の瞳だけで男達を見回したシュアラスタに向かって、先頭の一人がくぐもった声でこう問いかけた。

「ドレフ領主区カダール公の嫡男に相違ないか」

「だったらどうする?」

 薄い唇を浮かせて口の中で呟いた答えに一瞬違和感を感じつつも、男達は手にした得物を煌めかせ、いまだ長椅子の中で身動ぎしない男女を前方から取り囲むよう半円陣で即座に展開する。

 ドレフ領主区カダール公の嫡男が、この街で婚礼を上げたのは間違いない事実だった。「朱の皇帝一族」にその暗殺を依頼した人間の目的が、ここ、ニガ・ハク領主区の信用を失墜させる事にあるのか、それとももっと単純に、カダール家の血筋を絶やす事にあるのかは定かでないが、どちらにしても、嫡男夫婦が襲われた、となれば、二つの領主区間になんらかの遺恨が生まれるのは間違いないだろう。

「ならば、怨嗟の嘆きは地獄にて再開した時分に…。お命頂戴つかまつる」

 その古風なセリフを、シュアラスタの腕の中でチェスが笑う。

「お断りよ」

 甘い囁きが弧を描く唇から漏れた刹那、胴に回されていたシュアラスタの手が高速で解け、チェスの胸元に突っ込まれた。

 レースにまみれて息を潜めていたシュアラスタ愛用の拳銃。その暗い銃口が瞬く間に跳ね上がる。銃声は間断なく六発。チェスは、目の前で弾ける銃口炎に微か眉を寄せたが、目を閉じる事はなかった。

 これが標的でなく、仕掛けられた罠だったのだと男達が悟った時には既に、数人が胴体のど真ん中に大穴を穿かれ血飛沫と内臓を撒いて床に崩れ落ちている。辛うじて生き残った、冗談のように速いシュアラスタの銃撃をかいくぐった男が、鋭い呼気を吐きつつナイフで襲いかかって来るのを、弾倉が空になったシュアラスタも、そのシュアラスタの盾になっているチェスも、静かに見つめているばかり…。

「まぁまぁね。合格」

 吐息のような呟きを合図に、シュアラスタがシリンダーを叩き出して薬莢を床にぶちまける。いつの間にどこから取り出したのか、手に握られている弾丸の再装填は瞬き一回にも満たず、ジャキッ! とシリンダーの噛み合う音が未だ硝煙の立ちこめる室内に響き渡った。

 前傾姿勢で男が肉迫。そのまま腕を突き出せば、こちらは嘘のように美しい女の顔面を引き裂ける、という位置まで黒装束が迫った時、チェスは気のない笑みを口元に浮かべ、閃くような速さで腕を頭の後ろに回した。途端、しゃぁぁん! と、澄んだ鞘走り。咄嗟に小首を傾げたシュアラスタは、軽く仰け反って、まさに鼻先を走る真白い刃を避けた。

 突き出され、チェスの喉元に食らいつこうか、というナイフが、不意に勢いをなくして男の手から零れ、足下にごとりと落ちる。

「でもアウト。朱の皇帝一族だかなんだか知らないけど、結局大した事ないじゃない」

 純白の切っ先を床に向けて吐き捨てるチェスの面白くなさそうな顔を、頭頂部から真っ二つにされた男の覆面が睨んだ。

 切断面から吹き出した血飛沫が、チェスの白いドレスに輪郭のはっきりしない弧を描き出す。白い豪華な衣装を返り血で染め、手にした真白い宝刀の刃にもたっぷり血を吸わせたまま、それでも彼女は悠然と微笑んでいた。

 怨嗟の嘆きを受け止める、暗い美貌で。

 一瞬停滞した後、ゆっくり左右に倒れる覆面。切り離されて留まりきれない肉塊がずるりと体内から落ちて床に叩きつけられ、血の靄を這わせる。

 その男を盾にする形で機会を窺っていたのだろう、最後の一人が割れた人体を押しのけるのとほぼ同時、チェスの肩に回されたシュアラスタの手の中で、拳銃が吠えた。衝撃を逃がすように跳ね上がった銃口が再度正面に向き直った時には、最後の男の半壊した首から上が胴体から離れて床を二度三度と転がっている…。

 一拍遅れて吹き上がる鮮血と、倒れかかってくる屍。それを手にした刀で叩き払って床に転がしたチェスの首筋に再度唇を押し付け、シュアラスタが微かに笑った。

「出直してきやがれとさ。…って、もう聞こえてないか」

20011108(200508/09) sampo