飛鳥時代
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@聖徳太子はネタだらけ

A小説みたいな大化の改新

 日本書記における大化の改新の記述、とくに、蘇我入鹿殺害事件(乙巳の変)の記述は実に詳細である。今から、1300年前の史料とは思えないくらい、あるいは、編年体の歴史書とは思えないくらい、具体的で劇的である。まるで歴史小説を読んでいるような感じである。日本書紀に基づいてその部分を歴史を物語るように生徒に説明すると、生徒は食い入るように聞いている。史料により忠実に説明するだけで、なにも脚色をしなくても十分ドラマチックである。おもしろい。
 入鹿殺害事件が出てくるのは、『日本書紀 皇極天皇四年、六月戊申の条』である。この日は西暦645年6月13日にあたる。そこには、出だしで、その日、「入鹿が疑い深い人物で常に刀を持ち歩いていたので、中臣鎌足が役者に頼んで、入鹿をだまして刀をはずさせる」記述からはじまる。出だしからいきなりスリリングである。その日は朝廷で、朝鮮からの貢ぎ物を献上する儀式が行われ、大極殿には皇極天皇、その横に刀をとられた蘇我入鹿が座すことになる。朝廷への貢ぎ物を品々を天皇に読み聞かせるのは蘇我倉山田石川麻呂であるが、彼は、蘇我氏でありながら、入鹿たちの横暴に愛想をつかし、中大兄皇子たちと内通している(日本書紀の直前の条にその記述あり)。
 ところが、石川麻呂が貢ぎ物の目録を読み終わりになっても、中大兄皇子らの部下が怖じ気づいて入鹿にとびかかろうとしない。石川麻呂も焦りだして、読み上げる声がふるえ、冷や汗が流れる。すると入鹿はあやしんで石川麻呂に尋ねる。「なぜそんなにふるえているのか」と。すると即座に石川麻呂はごまかす。「天皇の近くにおりますので、緊張してふるえているのです」と。このやりとりも、歴史小説のようなセリフであるが、書記にきちんと書かれている。石川麻呂もとっさに機転をきかせてうまくその場を切り抜けたわけである。
 そのやりとりを聞いていた中大兄皇子は、自ら「やあ」というかけ声とともに、飛び出し、配下とともに入鹿を殺害する。中大兄皇子のかけ声まで記録している。
 入鹿の屍は、雨になかにさらされ、ムシロでおおわれたとある。これもついさっきまで権力者として朝廷を牛耳っていた人間の末路としてはあまりに惨めであり、やはり、劇的な描写だとおもう。
 日本書紀のこの条には、もっと細かい記述があり、とりあげてもおもしろいところがある。

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