@銅鐸の鳴る音を聞かせる。 山梨県立考古博物館の常設展には、弥生時代のところに、再現して作成されたレプリカの銅鐸も展示されている。そして、実際に音を鳴らすこともできる。私は、かつてそこの職員だったとき、銅鐸の音を録音した。そして、その音を弥生時代の授業のところで生徒にラジカセで聞かせる。
1)まず、青銅器の銅鐸の写真や実物をみせて、この道具はどんな風に使ったと思うか発問する。銅剣や銅鉾が武器であり使い方がわかりやすいのに対して、銅鐸はわかりにくい。そこで、形から、たぶん音をお祭りなどの時に音を鳴らして使ったと説明する。
2)次に、「実は、本物の銅鐸の音がここに録音されていて、今から君たちに聞かせる。とってもいい音だよ。」というと、生徒は興味深そうに身を乗り出す。いい音というところを強調する。
3)ラジカセで実際の銅鐸の音を聞かせるためスイッチを入れる。教室はシーンとなる。いきなりぼくの「テス、テス」とう声が入り、生徒がまずドッと笑う。次に銅鐸の「カーン」という音が数回続く。
4)生徒は、ぼくから「いい音」ということを強調されているのに、聞き慣れたただの「カーン」という金属の鐘の音なので、がっかりした顔をする。「どうだ、いい音だろう」というぼくの問いかけに首をかしげる。
5)そこでぼくは説明をする。「弥生時代の人にとっては、このカーンという音は、聞いたこともない不思議ないい音だったはずだ。」 さらに、「だって、今では金属はそこらにあり、金属の音はめずらしくないが、弥生時代にはこのような金属のカーンという音がするものはなかった。」「弥生人たちは、この聞き慣れないカーンという音に驚き、もしかして神様の音だと思ったかもしれないよ。」 この説明で生徒はなるほどというような顔をする。
A金印のレプリカを回して、教材プリントに押させ、なんと書いてあったか調べさせる。
ビデオや実物教材があるとそれだけである程度生徒がおもしろがるので、それに甘んじて本当の授業の工夫を怠ることがある。本当は、せっかくいい教材があるのだから、それを最大限に有効に使うことが必要なのだが。
ある時「漢の委の奴の国王」の金印を手に入れた。本物そっくりに作ってあり、朱肉で押印するとしっかりと字が浮き出る。以前はそれを授業にもっていって、生徒にみせるだけだった。しかし、せっかくいい実物教材なのにもっとおもしろく使う方法はないかと、次のような授業展開で使うようになった。
1)後漢書東夷伝の西暦57年の奴国の使いが朝貢したという話。それに対して光武帝が、金印をさずけたという話。さらに、江戸時代の九州の志賀島でそれが発見されたという話。現在は福岡市博物館に展示されているという話。等々をする。そして、教科書の金印の写真を生徒にみさせる。
2)次に、「とても高価なものだから、これを今日の授業のために借りてくるのにとっても苦労した。」と生徒に冗談をいい、重々しくそれらしい箱に入れた金印のレプリカを取り出す。生徒は疑わしい顔をしている。しばらく、生徒にしげしげと眺めさせたあと、複製品であると種明かしをする。
3)しかし、これは偽物だけど、本物そっくりにつくられているといって、朱肉にひたして、黒板を台にして金印を押してみる。赤く「漢委奴国王」の字が浮き出る。さて、ここにはなんて書かれているか。生徒に発問する。
4)生徒は、すでに教科書の該当ページを開いているので、そこをみて、正解を答える。そこで、さらに、この五文字の意味を説明する。
5)そして、生徒に朱肉とこの金印複製品を回させ、各自自分の授業プリントの該当箇所に押させる。その間授業は先に進んでもよい。生徒は自分のところに回ってくると、おもしろそうに金印を押して、浮き出た文字をながめている。
B自分で邪馬台国をみつけよう
一連の邪馬台国の説明のあと、この国が日本という国が出来ていく上で重要な国であること。しかし、未だにどこにあったかわからないこと。大きく畿内説と九州説の二つに説が分かれていることを説明。さらに、場所がわからないといっても、邪馬台国への行き方は詳しく魏志倭人伝に載っているということを資料集などをみせながら説明する。
そこで、これからこの記述に従ってさがしてみようと提案する。生徒は興味深げな顔をする。まず、地図帳の九州のページを印刷して、生徒全員に配布。さらに、魏志倭人伝の邪馬台国までの行程についての記述をわかりやすくしたものを生徒に配布。私は、邪馬台国までの行程を生徒の現状に合わせて、次のように整理して、あらかじめ授業プリントに印刷しておいた。生徒は地図をみながらこの行程をたどることになる。
◎魏志倭人伝には、邪馬台国への道のりが次のように書かれている。
1 まず、対馬に行け
2 対馬から南の方へ50キロいくと壱岐に着く
3 そこから南へ海をわたって50キロいくと松浦に着く
4 そこから東南の方角に陸地を25キロいくと伊都(糸島)に着く
5 東南の方角に5キロいくと奴国(金印がみつかった場所=志賀島)に着く
6 南に船で10日、陸地を1ヶ月いくと(=500キロくらい)邪馬台国に着く
1で、まず、「対馬」をまずさがさせる。地図の地名探しはおもしろがる生徒が多い。
2で壱岐をさがさせることになる。50キロという記述は魏志倭人伝にはないが、対馬と壱岐の位置関係から生徒にわかりやすいようにあえてそのようにした。他の部分でのキロ数も魏志倭人伝の記述で換算したというよりも実際の場所同志の位置関係から強引に距離を出している。
3では松浦、4では糸島をさがさせる。5では志賀島をさがさせることになる。
6で、志賀島から南の方角に「船で10日、陸地を1ヶ月いく」ことになる。これについては、魏志倭人伝に実際にこのような記述がある。そして、「船で10日and陸地を1ヶ月」なのか、「船で10日or陸地を1ヶ月」なのか、学問上の議論があるが、生徒も同じ疑問をもち、質問してくる。どっちにも解釈できること、だから、専門家でも混乱するんだというような説明をする。500キロとくらいと説明しているのは、邪馬台国畿内説にたった場合、北九州から畿内までがだいたい500キロだかれである。
しかし、魏志倭人伝の記述どおり、志賀島から南に500キロいっても、九州の南の海の上になってしまうことに生徒は気づき混乱する。私も、だから、邪馬台国の場所はわからないんだということを強調して生徒たちに納得させる。
さらに、そこで、いろんな解釈や説がでてきているとして、珍説も交えながら、いくつかの説を紹介する。たとえば、九州の南の方だから、邪馬台国=琉球説があることを告げる。
そこで、生徒に、自分なりにいろんな解釈をして考えてみることを提案する。さらにヒントとして「ヤマタイ」とか、「ヤマト」とかいう発音をする地名はあやしいよ、という。そして、「ヤマト」は漢字では「大和、山門、山都、山戸」と書くというと、生徒は一生懸命そうした地名を九州の地図からさがそうとする。あるいはいろんな説を唱える。
もし、おもしろい説を考えた生徒は学会に発表してもらってもいい、と冗談もいう。
こうして生徒からでてきたおもしろい説
a当時の航海術からしてまっすぐ進めたとはかぎらない。蛇行したりぐるぐるまわったりして、南九州あたりにたどりついたので、船で10日ということになったのではないか。
b対馬海流に流されているのではないか。南に行っているつもりが、東にながされていたので、方角をまちがったのでは。
最後に、倭人伝の記述の方角を南から東にすれば畿内説、方角はそのままで距離を短くすれば九州説になることを確認しておわる。 |