「純粋性」に基づいた生徒指導

  ─非行事例における規範的指導と共感的指導の統合─

                          佐 野 和 規

はじめに

 

   ロジャーズはいわるゆる「純粋性(一致)」,「無条件の肯定的配慮(受容)」,「共感的理解」というカウンセリングの三条件を提示し,それらが教師と生徒との人間関係にも適用できることを主張してきた。そして彼は,この条件が述べられる順序には意味があるとし,教師にとって最も大切なのは「真実さ(realness)」すなわち「純粋性(genuineness)」であるとしている(ロジャーズ 伊東博(監訳)1984)。にもかかわらず,初期の来談者中心療法の紹介以来,日本におけるロジャーズ理論の理解は「受容・共感」に偏っていたのではないか(保坂 1997)。

  近年臨床心理学の分野においては,ロジャーズの理論が見直され,「純粋性」の重要性が認識されつつある(佐治・岡村・保坂1996, 諸富 1997)が,いまだに学校現場ではロジャーズといえば受容共感であり,さらに,教育相談そのものを生徒と受容的共感的に接するだけと捉える考え方が残っている。これが,学校現場への教育相談の定着を疎外している一因であると考える。本稿は,そのような問題意識から,ロジャーズの三条件のうち「純粋性」を中心に学校現場に応用していく方法について検討する一試論である。

1 ロジャーズ理論の「純粋性」と学校現場への応用

 ロジャーズにおいては,「純粋性」は,教師やカウンセラーにとって一番の基本的な態度である。「共感(感情移入)的理解」の前提に「肯定的配慮」があり,さらにそれらの前提として「純粋性」があるという記述をしている(ロジャーズ 伊東博(編訳) 1967)。「純粋性」こそが教育やカウンセリングの基盤であり,常に意識されるべき態度条件ということになろう。

 しかし,日本における来談者中心療法の実践においては,「純粋性」が重視されなかった(浅井1994)。また2番目の条件である「肯定的配慮」もロジャーズが強調した個の尊重という観点からは理解されず,「受容」や「配慮」という言葉で共感に近い形で理解されてきたのではないだろうか。このように三条件のうち,共感を重視するやり方はロジャーズ本来の理論ではない。ロジャーズは古いという意見もあるが,教育問題が混迷を極めている今日,偏った日本流のロジャーズ理解ではなく,本来の彼の理論にもどって学校現場で実践してみることも,教育相談に対する誤解を解く試みとして必要であると考える。

 それでは,「純粋性」とはどのようなことか。佐治らは「純粋性」を「カウンセラーが面接中に自己の体験過程(experiencing)への照合(refer)作業をし続けること」,そして,必要に応じてその体験過程の自己表明を行うことだとする(佐治・岡村・保坂1996 p.42)。これは,学校現場においては,教師が生徒との関係における自分自身の気持ちを意識化し必要なら表明することになるであろう。ロジャーズは,「純粋性」について,破壊的になる可能性のある「否定的感情(中略)についてさえも,セラピストが,興味,関心,好感という偽りのポーズ(中略)をとるよりは,リアルであった方が好ましい」としている(ロジャーズ 伊東博(編訳) 1967 p.261)。また,彼は,教師が「真実の人間」となっているのなら「腹をたてることもできる」という言い方までしている(ロジャーズ 畠瀬稔(編訳) 1967)。つまり,生徒に対して,教師が「怒り」などの否定的感情を抱いたとき,少なくともその気持ちに偽らない方がよい。そして,「叱る」などの厳しい規範的指導をしなければならないときでも,できるだけ「純粋性」に基づいてなされるべきであるということになるのではないか。

 教師は,共感的態度ばかりで生徒と接していられず,厳しい価値規範的な指導も必要とされる。私は,生徒指導係の一員として教育相談を担当してきたので,校則等の規範を指導していくと同時に生徒への共感的対応もしなければならない立場にあった。価値規範的指導と共感的指導とをどのようにバランスをとっていくか迷い悩むことが多かったが,ロジャーズの「純粋性」を基盤にして実践することによって,両者を統合していくヒントを得たような気がする。

 以下,こうした点を確認するため,非行の事例を通じて学校現場における「純粋性」を中心とする生徒指導について検討したい。

2 「純粋性」による非行指導の実践事例

 これは,生徒指導係内部の教育相談担当者として,Z高校において,「純粋性」を中心にして生徒指導にあたった非行の事例である。プライバシーの保護のため,差し障りない範囲で状況等の説明を変えたり,曖昧にしたりしている。

(1)学校の状況

 Z高校は,市内中心部に位置する県下最大の定時制公立高等学校であり,昼間部と夜間部がある。生徒総数は約300名で,一般の全日制高校と比べて校則等緩やかであり,不登校経験者や様々な問題を抱えた生徒が多く入学している。そのようなことから教員全体の生徒への対応がおだやかで許容的である。ただ,非行などの問題を抱えた生徒もいるため価値規範的指導も必要であり,許容的対応とのバランスのとり方が難しく,教員集団にも指導への迷いが感じられる。

(以下事例はプライバシーのため省略)

3 指導の考察

 この指導をふりかえると,「叱る」等の生徒指導上の厳しい指導を率直に行う一方,生徒と共感的に接する場面もある。教師が,「純粋性」を意識することによって,当該生徒との関係における自分の気持ちを意識化しようとする。そして,必要なら自分の思いを率直に語る。その思いが生徒に対して厳しいものであるなら,それが言語化され,厳しい言い方や「叱る」指導になる。その思いが共感であるなら,共感的言動が語られる。肯定的尊重や共感的理解をあえてしようとしてはいない。「純粋性」に基づいて指導することを心がけ,結果的に共感的な対応になる場合もあれば,価値規範指導になる場合もあるということである。これは,自分の思いを意識化し,必要なら言語化していくというロジャーズの「純粋性」の表れである。

 そして,教師が「純粋性」に基づいて行動していれば,共感的対応と価値規範的指導とのどちらの対応が適切か自然と気づくことができるのではないだろうか。教師の気持ちの中での,価値規範的指導と共感的指導の葛藤も少ない。

 本事例は,(関わった生徒が、)教師が提示した規範を受け入れながら,教師との人間関係もくずれていない。事後指導もしやすくなっている。それは,「純粋性」に基づいて指導してきた結果だと考えたい。

おわりに

 以上,学校現場において,「純粋性」という態度条件で生徒指導にあたることが,価値規範的指導と共感的指導とを統合させるものであることを事例を通じて検討した。「純粋性」に基づく指導は,このような非行指導において特に有効であると考える。なお,この指導を誤解をおそれずあえて図式化すると次頁の模式図のようになる (図は省略)。

 本事例は,私が,個人的にロジャーズの「純粋性」を支えにして対応したものだが,「純粋性」に依拠することは,校内でチームを組んで生徒指導にあたるときにも有効であると考える。「純粋性」を指導チームの共通の理念にした方が,指導哲学を異にする教員同士でも協調が可能となるのではないか。つまり,「純粋性」に基づいているなら,価値規範的指導も,共感的指導も,その教師の役割や状況次第ということになる。このように,「純粋性」を共通認識にすることによって,規範的な生徒指導の論理と共感的な教育相談の論理が統合でき,教育相談の学校現場への普及定着にもつながっていくと考える。しかし,このような点の検討は今後の課題としたい。

 

※引用文献(引用順) 

1)ロジャーズC.. 伊東博(監訳)1984 『新創造への教育2 人間中心の教師』岩崎学術出版社 pp.8-20

2)保坂亨1997 「ロジャーズの治療理論」 久能徹・末武康弘・保坂亨・諸富祥彦『ロジャーズを読む』岩崎学術出版社 第U部第二章 pp.112-113

3)佐治守夫・岡村達也・保坂亨 1996  『カウンセリングを学ぶ 理論・体験・実習』東京大学出版会 pp.55-58

4)諸富祥彦1997 『カール・ロジャーズ入門 自分が“自分”になるということ』コスモス・ライブラリー p.214

5)ロジャーズC.. 伊東博(編訳) 1967 「クライエント中心療法」 ロージァズ全集第15巻『クライエント中心療法の最近の発展』岩崎学術出版社 第11章pp.258-261

6)浅井直樹 1994 「来談者中心療法と日本人の心性 ─カウンセラーの非人称性(impersonality)をめぐって」 修士論文(慶應義塾大学大学院社会学研究科) p.83

7)ロジャーズC.. 畠瀬稔(編訳) 1967 「治療と教育における意味のある学習」ロジァーズ全集第5巻『カウンセリングと教育』岩崎学術出版社 第7章 p.198

※参考文献

1)羽間京子 1997 「治療者の純粋性について ─非行臨床から得られた知見─」.村瀬孝雄編『こころの科学 74  ロジャーズ クライエント中心療法の現在』日本評論社