奈良時代
@ひな祭りの歌と平城京

   私は、授業中歴史に関する歌を突然歌い出す。すると、おもしろがる生徒と冷ややかなまなざしをむける生徒の二つの反応に分かれる。感想に「歌だけはやめてほしい」と書かれたことがある。それでも私は歌う。

 平城京に関しては、最近では入試でも平城京の図を使った設問をみかける。

 

  授業では、まず プリントに印刷されている平城京の図をみながらいろいろ設問していく。

 

1)まず、真ん中に大きな道がある。この道はなんというか、質問。朱雀大路というが、一直線のものすごく大きな道だ。田舎から納税のために運脚で来た班田農民たちがたぶん死ぬほどびっくりしたんじゃないか。だって、自分の故郷の国や里には、こんな大きくてまっすぐで広い道はないはず。現在だってないだろう。だから、農民たちは天皇や朝廷の力に 驚き、いよいよ税をしっかり納めようと考えたかもしれない。

 

2)次に「都だから天皇がどこかにいる。いったいどこにいるか。」と発問する(正解は、図では「大内裏=平城宮」にいることになる)。生徒の中にはすでにそんなこと常識のように知っている生徒もいる。しかし、ここではあえて答えられないように注意しながら、「じゃあヒントをいうよ」といい、「ひな祭りの歌を 知っているか」と問う。生徒はまたキョトンとする。そこで、私は突然大声でひな祭りの歌を歌い出す。

 

  そして、2番の歌詞の出だしは「お内裏様とおひな様」であるが、そこに来たとき、黒板にその「お内裏様」という言葉を書く。 歌が終わったあと、あてられた生徒に天皇はどこにいるか改めてきく。

  

   生徒は漢字の読み方がわからないので「おおだいり」とか答える。 これは「だいだいり」と読むということを伝え、正確には「天皇は大内裏の内裏にいる」と黒板に書く。

 

3)次に、「朱雀大路をはさんで右側を左京、左側を右京という」と黒板に図示しながら、「あれ逆じゃないの」ととぼけてみせる。「どうして逆なんだろう」と発問する。

 生徒は、「天皇から見るとそうなる」というように答える場合もある。私はフォローして、天皇は内裏にいて南を向いて座る。だから、天皇からみると右京と左京の呼び方はこれでいいと説明する。そして、すべて天皇中心の中央集権的な発想であることを強調する。