いよいよ開演の時間がやって来た。
 娯楽の少ない田舎へ珍しくやってきたサーカス興行に、小さな町の住人の多くが詰めかけてきた。興奮を抑えきれずに走り回る子供達。無駄と知りつつも一応注意する母親達。喫煙コーナーにたむろする父親達。目の前を走り回る子供を煙たそうにしながら、自分の席で持参の煎餅を食べはじめる老人達。一心不乱に携帯メールを打ち込む女子高生。ずんぐりむっくりのピエロ(間違いなくマッスル喜多川だ)に背後からドロップキックをかます中学生。
 各人各様、ばらばらの反応ではあるけれど、会場全体の雰囲気は期待と興奮が適度に入り交じった好ましいものだった。

 ビーーーーー。
 開演を知らせるブザーと共に会場の照明が一斉に落とされた。観客から沸き上がった悲鳴と歓声は、しかしやがて暗闇に飲み込まれ、会場は水をうった様に静まり返った。
 寸刻、重苦しい暗闇と静寂に支配されていた会場に再び照明がともされた時、観客達は眩い光に照らし出されたステージ上に、1人の妖艶な女性・ローズ喜多川の姿をみとめていた。ローズ喜多川の傍らには雌ライオンのハナちゃんが侍り、逆側には旅行用のトランクが置かれている。
 しかし観客達はローズ喜多川のあまりにも超然とした美しさに歓声をあげる事も、拍手をする事も出来ず息を潜めているだけだった。
 やがてローズ喜多川は両手をすっと拡げて語り出した。
「皆様大変長らくお待たせいたしました。本日は当喜多川大サーカス団の公演に、ようこそお越しくださいました」
 ハナちゃんがのそりと起き上がり、ローズ喜多川の周りをゆっくりと歩きだした。
「団員一同、日頃よりの修練の成果を発揮いたしまして、この世にふたつとはお目にかかれません妙技・美技の数々を皆様に御披露いたしたく存じております」
 ハナちゃんが元いた反対側のトランクのところまでやってきた。
「どうぞ皆様・・・」
「ごゆっくりお楽しみくださあ〜い!」
 小さなトランクから跳ね出てきたユウキが、ローズ喜多川の挨拶を引き取った。
 ユウキの元気な声が観客を縛っていたモノを断ち切ったかのように、ようやく観客から大歓声と盛大な拍手が沸き起こった。
「喜多川大サーカス、ただいまより開演でえ〜す!!」
 



「なにしろ酷い事故だったようですね。信号待ちで停車していたユウキさん達の車に、飲酒運転の車が正面から突っ込んできたのだそうです。ユウキさんの御両親は即死、相手のドライバーも即死。後部座席で眠っていたユウキさんも酷い怪我だったらしいですが、幸いにも一命はとりとめたのです。
 しかしそれ以後、身体の怪我が癒えた後も、まったく心を開く事のない子になってしまったそうで・・。無理もない事です。幼いとは言え6歳ならば自分達の身に何がおこってしまったのか分かってしまうでしょうし、だからと言って簡単に乗り越えられる様な悲劇ではありません。
 喜多川さんが施設の慰問に訪れて、はじめてユウキさんに会った時もそれは酷い状態だったそうで。喋る事も笑う事もない。食事さえ受け付けない事もあったそうです。
 そんな状態で引き取ったユウキさんが、今の明るいユウキさんに戻ってくれたのは、喜多川さんをはじめ団員の皆さん1人1人のおかげです。毎日毎日喋りかけ笑いかけ、時に半狂乱になって泣叫ぶユウキさんを優しく抱きしめ、時に優しく叱り、一緒にご飯を食べ、芸を磨き、少しずつ、少しずつ・・・。ユウキさんの凍り付いていた心を溶かし、元の明るい笑顔を取り戻していったのです。
 以前何かの折に喜多川さんがおっしゃっていました。あの娘は強い娘だ。よく自分の命を捨てずに頑張っていてくれたものだ・・と。
 不覚にも涙が出ましたなあ。こういう方に引き取られたからこそ、ユウキさんも元気になる事が出来たんでしょうなあ」

 挨拶をすますとローズ喜多川はステージから消えたが、ユウキはそのままステージに残った。ここからの司会進行は彼女が行うらしい。
「まずトップをきりますのは、当団員の中でも最年少、ユウスケ・喜多川によります恐怖のナイフ投げでございます。もちろん的になっていただく不幸なお客様もおられるかもしれません。どうか笑顔で御協力くださいますよう。それではどうぞ!!」

「ユウスケさんはここに来てからそれ程時間も経っておりませんが・・・、それでも随分と本来の自分を取り戻してきたのでしょう。ここに来る前は相当のヤンチャ坊主だったそうですからね。なんでも少年院送りの寸前だったそうで。あなたにナイフを投げてみせたのも、あの子にすればささいな冗談ですよ。昔の彼だったら・・。
 ユウスケさんの御両親ですか? ・・・・さて、何処かで御健在なのだろうとは思いますが。今はユウスケさんも会いたいとは思っておらんでしょう。元々1週間に1度顔を合わすかどうかというような具合だったそうですから。
 さて、どうでしょうかねえ。それはあの子自身が決めるでしょう。本当の御両親に会いにいくも、このまま会わないのも。いずれもう少しユウスケさんが大人になってから、本人が決めるでしょう」

 ステージ上ではユウキによって選出された不幸な観客を相手を的に、ユウスケ・喜多川のナイフ投げが行われている。
 ユウスケの腕前を知っている僕ですら、彼のナイフが青い顔をした的ギリギリのところに突き刺さるたびに息をつかなければならなかったが、彼が目隠しをしてからは観客達と共に絶叫に近い悲鳴をあげるはめになった。
 最後にユウスケはユウキから野球バットを受け取ると、ヘッドを地面に立てグリップに額を当ててくるくるとその場で回転しはじめた。
 観客が息をのみ静まり返る中、ドラムロールが流れはじめ、ユウキが回転数をカウントする。
「・・・は〜ち、きゅう〜う、じゅう!!」
 ユウスケが回転をやめて、目隠しをはずした。右に左に身体を揺らしながらも、寸刻おかずにナイフを振りかぶって、ためらわずにそれを放った。
 ユウスケの手をはなれた銀色の光が、真直ぐに飛んだ。的の眉間にめがけて。場内に断末魔の絶叫が木霊した。観客の誰もが目をつむり、耳を押さえた。
 いつまでも止まらない悲鳴に、やがて観客達がおそるおそる顔をあげると、ステージの片隅でユウキが身ぶり手ぶりの怪演をしながら、大袈裟な断末魔の悲鳴をあげている。
 ユウキの放ったナイフは、もはや顔色をなくした的の目の前にぶらさげられた、可愛い悪魔のぬいぐるみに突き刺さっていた。
「以上、天才少年・ユウスケ・喜多川によります、恐怖のナイフ投げでございました。皆様、御協力いただいた勇気あるお客様に対して、今一度盛大な拍手をお願い致します!!」
 腰がぬけて自分では歩けなくなっている的になった観客と、愛想なく頭を下げるユウスケ・喜多川に、大歓声と拍手がおくられた。


「つづきましては、絶世の美女・ローズ喜多川によります、迫力の猛獣ショーでございます。凶暴な猛獣達と絶世の美女の競演、とくとお楽しみくださいませ!」
 場内に重々しい足音が響く。ローズ喜多川はエスニックな衣装に着替え、象のエミ−ちゃんにまたがって登場した。
 ステージ中央まで進みエミ−ちゃんを座らせ、その背からヒラリと飛び下りて優雅に一礼すると、それだけで観客は沸いた。
 クマのマサ吉が自転車で登場すると、サルのモン太がボクシング・グローブをはめてマサ吉の行く手に立ち塞がった。モン太はマサ吉にかる〜く小突かれると、ころころと後転して象のエミ−ちゃんの足にぶつかった。するとモン太はするするとエミ−ちゃんの背にはい上がり、キーキーと号令をかけた。エミ−ちゃんはのそりとマサ吉の前に進み、その頭を長い鼻でポンポンと叩いた。マサ吉はじりじりと後退し、ローズ喜多川の背後にまわると、彼女のお尻を鼻で押してエミ−ちゃんの前に立たせた。エミーちゃんはすごすごと袖に引っ込んだかに見えたが、今度はピエロの格好をしたマッスル喜多川を押し出してきた。ローズ喜多川とマッスル喜多川が相対した。ローズ喜多川はニッコリと微笑むと、口笛を短く吹いた。マッスル喜多川は雌ライオンのハナちゃんに追い掛けられ、ワシのジョ−に頭をつっ突かれながらステージ上を逃げ回った。客席は爆笑の渦につつまれた。



「まったくお二人には頭が下がります。身寄りのない子、親から見放されてしまった子、深い傷を抱えた子、明日の見えない子、独りぼっちで泣いている子・・・・。色々な子供達を受け入れ育てていくのです。そうそう簡単に出来る事じゃないでしょう? ご覧なさい、我が子を育てる事すら出来ない親だって世間にはゴマンとおりますよ。
 見ず知らずの子を家族として迎え入れるのです。どうしてどうして・・・、簡単な事じゃありません。
 あのお二人だからこそ、出来るのかもしれませんな。
 どんな子でも受け止めてみせる大きな愛と、どんな子も分け隔てなく接してみせる強い心。あのお二人らしいじゃないんですかな。
 
 私? 私の事ですか・・・。自分の事を言うのはあまり気が進まないものですが。皆さんの事をこれだけべらべらと喋ってしまっておいて、自分の事は黙して語らずでは卑怯というものですか。
 私の場合は要するに子供に捨てられたんですな。
 こんな役立たずの爺ですから、捨てたくなる気持ちも分からんではないですがな・・・。
 しかし、こんな私でもここでは迎えてくれました。私もこの喜多川大サーカスに来て、ようやく家族を見つけたのですよ」

 それからも団員達の様々な芸が披露された。
 ジャグリング、バイクの曲乗り、バランス、etc、etc・・・。みな各々に洗練されていながら、しかしどこか暖かみのある芸に、会場からも惜しみない声援がおくられた。
「さていよいよ本日の大トリをつとめますのは、当喜多川大サーカス・双児の看板スター!! 誠一と誠二兄弟によります、空中ブランコショーでございます!! 命を懸けた二人の妙技を存分にお楽しみください!!!」



「さてさて、一体何人になります事やら・・・。30人か、50人か、私にもちょっと見当がつきかねますなあ。
 喜多川さんに聞けばきっと正確な数字も分かるんでしょうが。いやいや、数字どころか1人1人の名前も顔形も憶えていらっしゃいますよ。この喜多川サーカスを巣立っていった子供達。あの人にとってはかけがえのない宝物なんですから。
 もちろんここから旅立った子供達も、みんなこの喜多川大サーカスの事は忘れていないでしょう。
 自分が子供の頃育った家や両親の事、そうそう忘れられるものじゃないですからねえ」

 誠一と誠二の見事な空中ブランコに観客はド胆をぬかれた。二人の肉体の動きは我々の想像をはるかに越えて高度だったし、そのコンビネーションは文字通りプログラミングされたみたいに精巧だった。聞いていた通りまったく危なげのない演技ではあったけれど、そのあまりの技術レベルに観客も僕も魅了された。ユウキは『一応』看板スターだと言っていたが、彼等なら何処にだしても恥ずかしくない看板スターになれる事だろう。

「以上を持ちまして、喜多川大サーカス団・本日の公演すべて終了でございます。皆様お楽しみいただけましたでしょうか」
 いつの間にかステージ上には団員達が整列していた。マッスル喜多川とローズ喜多川を中央に、団員全員が手をつないで整列していた。
「皆様、本日の御来演まことにありがとうございました! 団員一同またのお越しをお待ちしております。本日はまことにありがとうございました!!」
 全員が深々と頭を下げた。
 観客達は皆立ち上がって大きな拍手をおくった。大きな大きな拍手の音はいつまでもいつまでも鳴り止む事がなかった。

「あの朝、駅であなたを見た時にすぐに解ったわ。この人あたしとおんなじだって。あたし達の家族になれる人だって。あなたがどんな理由でお父さんやお母さんと離れ離れになったのかなんて、そこまでは解らない。けどあたしにはとにかく解ったの。あなたは新しい家族の一員なんだって。
 だからあなたをうちの公演に誘ったの。だからチョウさんにあたし達の事話してもらったの。やっぱりあたし達家族の事をあなたに解ってもらうのには、あたし達の公演を見てもらうしかないものね。あなたなら見ただけでもよかったかもしれないけど、チョウさんに話をしてもらったのは、ま・保険よね」
 そうしてユウキは僕の目の前に手を差し出した。
「ようこそ、喜多川大サーカス団へ!!」
 僕は少し照れくさかったので、下を向いたまま彼女の手を握った。はずだった。
 僕の手に収まったのはモップの柄だった。
「はい、じゃこれ。まずは象舎の掃除からね。あ、気にしないで気にしないで。家じゃみ〜んなこれからだから。じゃ、よろしくね!!」


おしまい

最後まで読んでくれた人
本当にありがとう