徳川将軍の歯
(サトウ歯科だより 第10号より)


徳川家菩提の増上寺のお墓が改修される際に、徳川 将軍の代々の遺骨やその奥方などの遺骨が学者達によ って調べられる磯会があった。

鈴木博士の研究によると、それらの頭蓋骨の形が当 時の一般庶民と違って著しい特徴があったことである。

つまり、江戸時代の庶民は丸顔で扁平な鼻であったの に対し、徳川一族のそれは長い顔と高い鼻をもち、現 代人に近い形態をしていた。

徳川将軍も代を重ねるに したがって、益々その特徴がでてきたのである。こと に12代将軍家慶と14代家茂にいたっては、現代人 の藤田まことも真青になるほどの長い顔をしていた。

何故このようなことになったのか?

この理由のひとつに、軟らかい食べ物ばかり食べてい たために顎などが充分に発達していなかったと考えら れ、普通では生えてすぐの歯も長い年月食事をしでお れば擦りへってくるのに反し、彼等の歯は全く擦りヘ っていないこともその証拠である。

十二代将軍家慶は当時の長寿である60歳で亡くな ったが、大臼歯の表面は全く擦りへっでおらず、生え たままの形で残っていた。おそらく想像以上に軟らか いものを生れてから死ぬまで食ぺさせられていたと推 測される。そのため、上下顎骨のように食物をかみこ なすのに直接関係のある器官とそしゃく筋とは歯を除 いて著しく萎縮し、弱々しい構造となったからである。

将軍にかぎらず、奥方達も同じような顔立ちであっ た。

当時の美人といえば、歌麿の浮世絵に出てくるよ うな長頭の、いわゆる「うりざね顔」がその代表で、 そのような美人が奥方として選ばれ、丸顔であごの張 った女性は失格であった。

14代家茂夫人の皇女和宮の顔も、顔面の幅が狭く貴族特有の顔つきであり、夫君家茂とともに庶民にみられない最高に長い顔であった。

このように江戸何百年間にわたって長い顔の奥方が選ばれ、長い顔の父親を持つ子供は遺伝的に長い顔を受継いだうえに、特殊な食生活によるそしゃく器官の特殊化とが相乗され、将軍の貴族的な長い顔が由来されたのである。

また家茂は虫歯で苦しんだようで、32本の歯のうち23本が虫歯になっており、しかもかなり重症の虫歯であった。彼は21才の若さで亡くなったが、病の床にあった日々、彼に届けられた見舞品は貴重品であった砂糖、羊かん、もなかなど甘いものはかりで、余計虫歯をひどくさせ悪循環に陥り、虫歯が原因で敗血症でも併発して亡 くなったのではないかと言われている。

江戸時代の外国人がみた日本人の顔は、高い階級の人達と庶民とでは顔が違うと書いていたが、現代では庶民の顔が次第に貴族型にむかっている傾向にあり、やはり食べ物が原因とかんがえられる。

将来の日本民族一億総徳川将軍化がはたして喜ばしいことかどうか、間題である。

参考文献 「骨からみた日本人のルーツ」 鈴木 尚 著  岩波新書

 


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(Tsurumi-ku,Osaka,Japan)