![]() |
|||||||||
| No.75 2001.10.15 | |||||||||
■お断り=今週の憲法の掲載号がとんでいますが、アメリカでおきたテロ事件を取り上げた記事を優先して掲載します。ご了承ください。
テロ対策支援特別措置法案(略称)の内容と、小泉総理の答弁には、憲法と国連憲章を立ち枯れにさせようという意図があるとしか思われない。総理が、テロ対策支援の憲法上の根拠として上げているのは、主として「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」という前文と、「国際法規は誠実に遵守する」とした第98条の二点だ(10月10日衆院本会議など)。しかし、以下に見るようにこれはまったくのまがいものである。 ●名誉ある地位を得るための国家戦略とは逆だ 第一に、憲法は前文および第9条で「名誉ある地位」を得るための手段・方法を明確にしているのに、それが無視され、むしろそれに逆行する方法が提案されていることだ。 前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して安全と生存を保持しようと決意」し、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」した上で、第9条によって戦争の放棄、戦力および交戦権の否認を規定している。つまり日本の国家戦略とは、不戦・非武装の“原理主義”の立場から、軍事とは全然別の方法によって「名誉ある地位」を求めようというのである。 ●国際法の遵守ではなく違反の支援だ 第二に、総理は国際法遵守の第98条を上げるが、武力行使を原則禁止している国連憲章や、武力復仇を禁じた友好関係原則宣言(1970年国連総会決議=第72号参照)を遵守しようとせず、逆に英米両国による事実上の武力報復が正義と考えている。 つまり、米英によるアフガニスタン攻撃は「国際の平和及び安全の維持」「脅威の防止及び除去」といった「国連憲章の目的達成」のため当然、という認識である。新法の長い名称の中に「国連憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置」とあるのも、それである。 ●目的のため武力行使を原則禁止した国連憲章 国連憲章は、その目的のためにこそ武力行使を禁止し、それにもかかわらず武力攻撃を受けた場合、例外的に自衛権の発動を認めている。しかも、その発動には「それに代わる手段が他になく、絶対に必要な措置かどうか」といった要件もある(86年5月19日、衆院安全保障特別委員会、外務省・小和田条約局長答弁など=第72号3面参照)。 アフガニスタン攻撃によって国際テロを“撲滅”できるとは、おそらくだれも考えていない。それが総理の好きな“世界の常識”ではないか。つまり時間のかかる「代替手段」が想定されるわけで、米国の自衛権発動という最初のボタンは、要件を充分満たしていないとして日本は待ったをかけるべきだった。それが、米国市民をテロと武力報復の連鎖から救う道ではないか。 米国のいうように、タリバン政権その他が国際テロを支援しかくまっているとすれば、友好関係原則宣言から見て、明白な国際法違反である。ただしその場合、まず「交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関または地域的取極めの利用」など、平和的手段の限りをつくすことになっている(国連憲章第33条、友好関係原則宣言など)。 ●日米は法治の森の“枯れ葉剤”同盟だ 以上に見る小泉総理と新法の手法は、 1.憲法と国連憲章から抽象的な「目的」の文言を拾い、それぞれ別の規定が示す具体的な「手段」を後回しにしてしまう後ろめたさを、「目的」の文言によって覆い隠そうとしていること。 2.「主体的判断」を強調しながらも、米国をはじめ先進諸国の大勢に追随しなければ「名誉」が傷つくと思い込み、憲法や国際法に沿う「独創性」をほとんど放棄していること。 ――などに特徴がある。このようにして、一方で日本は自らの不戦・非武装憲法を、他方で米国は国連憲章を、まるで呼吸を合わせるようにして立ち枯れにさせてきた。つまり日米は、法治の森の“枯れ薬剤”同盟のようなものである。
前号で、1938年当時のガンジー(1869〜1948)が、パレスチナ問題をどのようにとらえていたかを紹介した。その論旨を改めて要約すれば、1.パレスチナはアラブ人に属する。ユダヤ人をアラブ人に押しつけることは誤りだ。2.聖書における「パレスチナ」は地理的概念ではなく、ユダヤ人の心の中の問題だ(注参照)。 3.宗教的行為は武力の助けを借りて行うことはできず、アラブ人の善意によってのみ定住できる。4.アラブ人の抵抗も非暴力の方法を選ぶべきだが、その抵抗に反対を唱えることはできない。5.ユダヤ人が「神の選民」を証明するには、その地位を非暴力と奉仕によって要求すべきだ。 〈注=編集部〉精神的・文化的シオニズム シオニズム(ユダヤ民族が紀元70年に追われた祖国の地パレスチナに結集する運動)は、19世紀後半から、東欧・中欧中心に興った。その一潮流に、ガンジーのこの意見に近い精神的または文化的シオニズムと呼ばれるものがある。それは、その地に「建国」をめざす大勢を批判。「パレスチナはユダヤ人の民族的精神を体現するセンター」とし、アラブ・ユダヤ両民族の共存を唱え、中東和平では再評価されている(臼杵陽「シオニズム」=『政治学事典』、弘文堂、2000年、421〜422頁)。 ●19世紀末に始まるアラブ・イスラエル抗争 ブッシュ大統領は、連邦議会演説で「彼らはなぜ我々を憎むのか?」と自問し、彼らが「自由を憎む」ことと「中東からイスラエルを追い出したい」からという二つの理由を上げた(9月20日、上下両院合同本会議)。しかしブッシュはここで、またその後も、イスラエル問題(パレスチナ問題)について”総括”しているわけではない。そこで、ガンジーの見解を理解するためにも、その経緯を振り返っておく。 概観するとアラブ・イスラエル抗争はけっして”宿命的”なものではなく、まったく平和に共存していた。アラブは異教徒に対し寛大で、ユダヤ人の排斥は、キリスト教が導入されて以降の西欧自身が生み出したことだ(小山茂樹「新版・誰にでもわかる中東」、時事通信社、1992年、218〜219頁)。 イスラム世界は、多民族・多宗教の「多元的な都市」といわれている(板垣雄三「日本はイスラムとの仲立ちを」=2000年9月20日「朝日新聞」)。それは、イスラムが「組織に頼らず自律した個人を基盤にする社会を背景に成立し、そのような社会を支える理念として存在」し、イスラム都市とは、「そのような個人が、それぞれの思惑で便宜を求めて集まって住んでいる空間」だからである(後藤明「イスラーム都市とは」=板垣雄三・後藤明編「イスラームの都市性」、日本学術振興会、1993年、424頁)。 ●「アラブ・ユダヤ千年の戦い」は世紀の大嘘 イスラムは、エルサレムを三大宗教共通の聖地と認め、居住と巡礼の便宜を図っていた(板垣雄三ほか「イスラーム世界がよくわかるQ&A」、亜紀書房、1998年、11頁)。つまり、両者抗争の歴史は19世紀後半、シオニズム(前注参照)運動とそれに基づくパレスチナヘのユダヤ人移住に始まる。「ユダヤ教とイスラム千年の戦い」というプロパガンダは、シオニズム運動からイスラエル建国、さらにこれをめぐる四次にわたる中東戦争など「トラブルの真相を隠し、あたかも対決が必然であるかのごとく見せかけるために考案された世紀の大嘘」なのだ(板垣雄三ほかの前掲書、同頁)。 まず、第二次大戦前の経緯を復習する。 ○1882年:パレスチナヘ最初のユダヤ移民。 ○1896年:第1回シオニスト会議。ユダヤ人の郷土創設を宣言。 ○1905年:第7回シオニスト会議。ユダヤの郷土はパレスチナ以外ありえないと決定。 ○1915年:英国がアラブ地域の独立を公約。 ○1917年:英外相バルフォアがパレスチナにユダヤ人の民族的郷土建設を公約(当時のパレスチナには、アラブ人65万人、ユダヤ人5万6千人)。「二重外交」の混乱を招く。 ○1920年:第一次大戦の終戦処理をパリ会議から委託されたサン・レモ会議。パレスチナ、メソポタミアの英国委任統治とバルフォア路線を決定。 ○1922年:英国による委任統治条項発動。パレスチナにおけるユダヤ人の郷土建設、正式に開始。 ○1939年:英国が方針を再転換。 10年以内にパレスチナ・アラブ国家の独立を認める。 (つづく)
|