くらし問題学ぼう会
地方分権と地方政治
No.1
講師北九州大学教授 山崎克明先生


1.具体化する地方分権

 「もっと地方に分権すべきだ」とずっと前から言われてきた。さらには「3割自治をどうにかしなければ」とも。しかし、それらはなかなか現実の動きとなってこなかった。

 1995年に「地方分権推進法」ができ、それに基づいて「地方分権推進委員会」ができた。その中に行政学者や行政法学者がかなり入り、地方自治を本来のあるべき姿に変えていこうと努力をし、1998年11月には「第5次勧告」を出した。これで「地方分権」にかかわる仕事は大きな山を越え、あとは、政府がどのようにして実施していくかというのが今日の情況です。

 その「勧告」は、行政組織(各省庁)と詰めてすり合わせて、100%そのままで実行できるものができたから、閣僚はもとより事務次官(官僚)も反対できない。2000年もしくは2001年に向け、分権に係わる多数の法律の改正案を大急ぎで準備している。

地方分権の流れ
1947.5 地方自治方施行
1949.8 シャウプ勧告
1950.12 神戸委員会「行政事務再配分に関する勧告」
この間省略
1995.2 「地方分権推進法」国会提出
1995.5 「地方分権推進法」公布
1995.7 地方分権推進委員会発足
1996.12 地方分権推進委員会「第1次勧告」
1997.7 地方分権推進委員会「第2次勧告」
1997.9 地方分権推進委員会「第3次勧告」
1997.10 地方分権推進委員会「第4次勧告」
1998.5 「地方分権推進計画」国会提出
1998.11 地方分権推進委員会「第5次勧告」


2.国家は官僚支配の歴史

誤った憲法解釈

 憲法には、「国民社会の姿・形はどうあるべきか」が書かれている。私たちにはどういう権利・義務があるのか(第3章第10条〜第40条)、「基本的人権」を中心に、「労働三権の保障」「結社の自由」「生活権の問題」とか、等々。 

 また、国家ないし中央政府のありかたはどうあるべきか、「国会とは」(第4章)「内閣とは」(第5章)など、国の機構について書いてある。さらに、「地方自治」(第8章)についても書いてある。 そういう流れで憲法は構成されているから、当然のこととして、全体としての国民社会の中に「国家(中央政府)」があり「地方政府(地方公共団体)」がある。だから、「中央政府と地方政府」、「国家と地方公共団体」とは、上下関係としては規定されていない。憲法を読めばすぐわかること。

 ところが、そういう理解をする憲法学者はほとんどいなかった。奇妙な話で、憲法をみればわかることなのに、「国家が上で、地方自治体は下だ」と上下関係にあると思い込んできた。その理由は、そういう教育がされ、「そう考えることが当然だ」「そういうものだ」と皆が考え、そう思ってきた。なぜそのように思い込んできたのか?

昔も今も「行政国家」

 1889年(明治22年)に発布し90年に施行された明治憲法体制のもとで、我が国は文字通り「中央集権国家」として作られた。国家体制(市町村制とか軍政とか大学制度とか)は、明治10年代の後半に自由民権運動が終息し、それなりに安定してきた、そういう中で作られてきた。 

 このときの「国家」は、まず天皇をトップとし、内閣を含め親任官・勅任官・奏任官・判任官等の官僚組織が作られた。そして、その構造が出来上がってから憲法を制定し、帝国議会を開設するという順番で、まず行政体制が作られ、「行政国家」として形成された。

 それが、第二次世界大戦の敗戦によって、憲法規範は根本的に変えられた。今までの天皇主権から「国民主権」にかわり、「国会は国権の最高機関」として位置づけられた。もちろん、一番上は(かっては一番下だった)主権者たる「国民」。その国民が自分たちの代表者を選び、代表者の中から政府を構成する形になる。憲法規範としては従来とサカサマになった。

 しかし、づっと続いてきた身分制は無くなったが、「行政国家体制」の実態は変わらなかった。政治権力よりもむしろ行政権力(官僚組織)のほうが強く、本来の国民主権の民主主義国家の体制にあわない、戦前のシステム(文字どうりの「行政国家」)をそのままひきづってきたのが今日までの状況。
 さらに、「中央政府」と「地方政府」との関係は、憲法規範としては「対等」の形として作られているのに、「地方自治体は中央が管理し、統治し、支配するもの」という上下関係の意識が中央官僚の人たちのなかにある。憲法学者も正しく解釈せず(上下関係として考え)今日に至っている。

「行政」を握る官僚

 その人たちが戦後も官僚として行政権力を握り、戦前流のやり方で地方行政を進めてきたから、中央集権国家といっても、残念ながら「内閣に権力が集中している国家」という意味ではなく、官僚に権力が集中している。内閣に権力が集中しているのならけっして悪いことではない。なぜなら、私たちが選挙で選んだ代表が国会を構成し、その中の多数派(国民から多くの支持をえた政党)が内閣を組織しする。

 その内閣に権力が集中するのは民主主義の原則からいって悪いことではない。と言うより、とてもいいことである。しかし、実態はそうではない。今日の行政国家というのは、内閣ではなくて行政各省庁に権力が集中しており、各省それぞれがまるで国家のごとく「合省国」のように、バラバラに動いている。会社であれば統一した戦略のないところに経営が成り立つはずはないのに、我が国では戦略のないところで国家は今まで動いてきた。だから、「内閣を強化しないといけない」と行政改革会議では言い、そういう方向に動きつつある。

 内閣総理大臣にリーダーシップがない。内閣総理大臣というポストは、政治家として今までの経験や学んだことを基にして、リーダーシップを発揮し理想を実現するために燃える最高の働き場所のはずなのにのに、「政治の世界(国会)から行政の世界(内閣)に移され、政治家として活動できなかった。内閣総理大臣を辞めて行政の世界から政治の世界へ戻るから『さァこれからが出番だ』」という某氏の
言葉のなかに「国家と内閣は切れている」というのが読み取れる。(@に線があると思っている)

内閣は国会と同じ政治セクター

 憲法には「国会は国 権の最高機関」と書いている。ところが、今までの行政国家では 「合省国」の流れのなかで、「行政権は内閣にする」ということから、官僚や行政マンた ちは「立法と行政は対等の関係にある」、だから「国会(立法)と行政(内閣)は切れている」と、とんでもない発想をしている。憲法を素直に読めば「国会は国権の最高機関」で「行政権は内閣に属する」と書いてあるのだから、最高機関である国会と、行政を担当する内閣とは、対等でありうるはずがない。国会が最高で、そのもとに行政と司法があるという構造なのだ。

 その中で重要なのは、「行政」というときに我々が注意しなければいけないのは、議員内閣制にある「内閣の担当する行政」と、「行政官や各省庁の担当する行政」とは「意味・機能」が違うということ。

 当然のことながら、議員内閣制というのは、国会が内閣をつくるということだから、内閣も政治セクターである。政治セクター(部門)の人たちは国民によって選挙で選ばれた人たち。だから、私たちが選びまた辞めさせることのできる人たち。

 それにたいして、行政セクターの人たちは選挙で選ばれたのではなく、能力に基づいて公務員のポストを得た人たちで、私たちが(選挙で落として)辞めさせることができない人たち。身分が保障されている人たち。この人たちが行政政策をつくり、行政サービスを提供する。

 重要なのは、「政治セクター」と「行政セクター」との間に線があるということを理解することだ。(1)に線があって「国会」と「内閣」が切れているのではない。このことを理解することが大事。

 当たり前のことだが、国会での多数党が内閣を作る。なのに、我が国では奇妙なことに、「政府・内閣を選出している与党」が、政府や内閣に(国会で)さまざまな質問をする。あれは時間の無駄遣い。なぜならば、もともと内閣は与党の政策を実現するために作られているのだから。 

 なぜそんなことがおきるのかと言えば、「(1)に線がある」と思い込んでいるから。「国会は内閣をコントロールしなければいけない」「与党にもコントロールする責任がある」と思っている。ありえない構造を勝手に思い込んでいる。「三権分立」という考えのもとに。

 それは、あまりにも現実離れした机上の空論で、実態を知らない人の言うこと。そんなアホなことを今でも言っている「某憲法学者」がいる。彼は、『国会は国権の最高機関である』という立法権と行政権との関係は「美粧」だと言い、「国会と内閣は対等だ」と言っている。そうであるはずがない。憲法の条文もさることながら、「議員内閣制というのは何か」ということを理解すれば、そんなことはあり得ない。(政治セクターと行政セクターとの間)ここに線があること(を理解すること)が重要。

つづく

この講義録は1999年1月22日に開催した「くらし問題学ぼう会」の講座を運営委員会がまとめたものです。
受講者には、前回の講座の要約をさしあげています。

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