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ミニ四駆に填っていた時期がある。
弟が滋賀でミニ四駆の専門店を始めたのがきっかけである。今でも弟のことを「てんちょー」と呼んでしまう。
当時ミニ四駆を知らなかった私は、どんなものかな?くらいの気持ちで「ショップダイワ」を覗きに行ったのだが、元々工作好きなせいもあり、すぐに店の常連?となり・・・。そうするうちにショップダイワ・レーシング(S.D.Racing)という常連さんのチームもできた。
ビルの2階にある売り場。ドアを開けると、いつもこの光景が迎えてくれていた。 |
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3階には100mを超えるサーキットコースが常時設置されていた。しかも毎月コースレイアウトを変更。
大会の日は翌日に向けて深夜まで作業。てんちょーとてんちょー夫人は大変だったと思う。
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S.D.Racing-TEAMαはフェンスカーの全国大会において1位の快挙を成し遂げている。私の属していたTEAMβは8位(自慢!がんばったから自慢していいのだ)。
このミニ四駆は玩具メーカーのTAMIYAが子供のおもちゃとして発売したモノだが大人の中にもかなり入れ込んでいる方が多い。奥が深いのだ。年齢は関係なく一緒にワイワイと楽しんでいた。そしてショップダイワでは大人も子供も交じって月一回の定例レースも行われていた。
私も参戦していた。毎回が緊張の連続であった。
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TAMIYAの規定により使用パーツやサイズ、重量が制限されたレギュレーションでのレース用に作ったマシン。何度も失敗し、考え、またいろんな方に教えていただいたりした自分なりの「結晶」である。
ミニ四駆が走っている間はなにも手出しできない。ラジコンのように操縦できない。だからこそ走行状態を観察した後チューンし、次のタイムアタックの結果にフィードバックする。これが楽しい。
子供も大人も固唾を飲んで自分の作ったマシンが走るのを見守る。子供がパーツを無くせば大人が一緒に探してあげたり、ミニ四駆を通じて皆が楽しめる、そんな素晴らしいサーキットコースだった。
一日のコース使用料が100円(!)と破格だったので小学生も気軽に来ていた。 |
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ショップダイワで販売しているパーツを使用していればなんでもあり。の「高速レギュレーション」用マシン。ABSと呼ばれたブレーキを可動型にしたのは(たぶん)私が最初。当初はこんな形から始まりいろんな方が改良を重ね、新しい形を作り、速くなっていった。
最終型は「エイリアン」と呼ばれるシャーシを使用している。今後公開予定。 |
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ある日のコースタイム。99年8月14日 165mのコースを13,24秒で走り、時速にすると約45km/h。幅10センチちょっとの曲がりくねったコース内をこのスピードで走る様を初めて見る人は目で追うのが大変らしい。
「レーンチェンジ」と呼ばれる立体交差を使わない種目は「フェンスカー」と呼ばれ、さらにスピードが出る。
元来競争心を持たなかった私に大きな変化を与えてくれたのがミニ四駆であり、趣味の中で最ものめり込んだ。ショップダイワは2000年末で閉店したが、部屋の押入には今でも2台の現役マシンと多くのパーツが眠っている。
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