日本人の思考停止状態ということについて



 2003年12月22日(月) 清宮寿朗

 イラクへの自衛隊派遣問題をめぐる議論を観察して、政治家も含めた日本人全般がある種の思考停止状態にあるのではないか、という見方があります。そこで、以下、「思考停止」についての私論を述べてみたいと思います。

 ひとの精神活動は、内面的なものと外面的なものに大別されます。外面的精神活動には創作活動や政治的意見表出などさまざまありますが、政治的意見表出についていえば、論文や意見を発表したり、議論をしたり、投票するなどの方法があります。

 このような政治的意見表出の手段については、確かに、自由化されており、国家による規制は、現在の民主主義国である韓国と比較しても、かなり小さいものといえそうです。

 一方、信仰や信条、良心、「思考」、想像、アイディア、知恵、ノウハウといった内部的精神活動については、江戸時代のキリシタン弾圧の時に利用された「踏み絵」や「拷問」を使ってコントロールしないかぎり、原則的に完全に自由で、国家による規制は本来はありえないわけです。

 もちろん、人間の弱みや恐怖心につけ込んだ巧妙な情報操作やいわゆる毒饅頭(組織内ポストや就職先、利権、金銭など)などによるマインドコントロールで、事実上、都合の都合の悪い意見表出の機会を大幅に奪ってしまったり、内面的精神活動そのものを早い段階からコントロール・誘導してしまうケースは、権力・利権・人事闘争ある組織ならどこにでもある社会現象かとは思います。

 個人的経験として、サラリーマンになりたての頃、良し悪しは別として、父から「出世したかったら自分の意見を言ったり、上司に反論するな。そして、見ざる、聞かざる、言わざるに徹しろ」と訓示されたものです(ただし、明治36年生まれの祖父は、自分の意志を貫け、と逆なことを言っていました)。

 しかし、そういうケースは別として、法制度上は、内面的精神活動は対国家のみならず企業に対しても完全に自由といえます(三菱樹脂事件判決)。

 問題は、内面的精神活動の実態についてです。信仰や信条、良心、思考、想像、アイディア、知恵、ノウハウといった内面的精神活動の実態はどうか(この問題は、教育問題や大学・高校の受験制度問題にも深く関連するテーマだと考えています)。

 特に、内面的精神活動の中、「思考」についてはどうか。思考とは、主観的・情緒的な「感想」、「感情」とは違って、本来は、客観的・論理的・比較分析的なものであると思っています。

 そこで、いわゆる「思考停止」とはなにか、と考えますと、客観的事実に基づかない思いこみで判断していたり、自己都合で強引に物事を決めつけて判断したり、あるいは論理的判断でなかったり、ということなんだろうと思いました。

 ことに日本の将来を左右する重大な問題について、議員やマスコミのみならず国民も含めて議論し、意見表明するような場合、上記のような思考停止状態のままで議論し、その結果、政策決定されるようでは、自己反省も含めて、未来の子孫たちに対して無責任で申し訳ないことだと思いました。