正義(大義)のための戦争について



2004.3.29(月) 清宮寿朗

 「正義」とは何か、という概念に関する問題は、確かに難しい問題だと思います。

 哲学的視点に立てば、正義の概念も世界にある国家、民族、宗教、政党の数だけありそうですし、時代によっても違いがありそうです。時代による差異という観点で言えば、仮に10年単位で正義の概念に変化が生じるものとすれば、この2000年間に一国で200通りの正義概念が存在したことになってしまいます。

 私も哲学的視点に立って考えれば、正義の概念は多角的で流動的なものだと思います。

 しかし、政治的視点に立って考えると、それでは国際秩序や社会秩序を安定させ継続的発展を図る政策立案することは困難なものになってしまうと思います。

 やはり政治的視点に立って考える場合には、その時代の、そしてその国の、最大公約数的「正義」概念が必要だと思っています。

 私は、現在の日本における最大公約数的「正義(大義といってもよいと思います)」は憲法だと思っています。

 もちろん、将来、憲法が改正されれば、現在の不正義が正義に変化し、あるいは正義が不正義になってしまうこともあり得ます。しかし、憲法が改正されるまでは、現行日本国憲法の精神が日本の最大公約数的正義であるべきだと考えます。

 「戦争」の正義(大義)については、現在の日本国憲法の他、現在の国連憲章や国連憲章に基づく安保理決議、戦時国際法規(ハーグ陸戦法規やジュネーブ四条約及び同追加議定書)を含めた国際法(毒ガス使用禁止議定書や細菌兵器禁止条約など)であると考えてよいのではないでしょうか。

 したがって、日本の今回の自衛隊のイラク派遣が正義にかなうものであったかどうかは、現在の日本国憲法や国際法に照らして、現在の日本国民が判断し、国会議員が国民を代表して国会で、あるいは国民が直接、国政選挙で、その判断を下すべき問題だと思います。

 「ブッシュの戦争」といわれているブッシュ政権が行ったイラク戦争の正義(大義)についても、国連憲章を含めた国際法に照らして判断されるべきだと思います。また、アメリカ国民によるブッシュの戦争に関する判定は今年の大統領選挙において下されるものと思われます。

 それから、未来の日本人が過去の日本の歴史を研究評価するのは当然なされるべきものとしても、未来の日本の進路を決めるのは現在の日本人にほかならないと思います。