「さすがに牧場での乗り込みが豊富なだけはありますね。」

トレセンのウッドコースを駆ける管理馬の動きに満足げに頷く水瀬秋子調教師。

3週間前に入厩した新馬とは思えない軽快な足取り。

軽く足慣らしをしたコンビは、指示どうりの稽古をこなすために所定の位置へ移動する。

ゆっくりとしたスタートをきった。

併せ馬によりテンションがあがることを嫌ったため、単走で追いきられる。

残り400M。

ここまでは秋子の思いどうりの時計で動いていた。

残り200M。

ここまで完全な馬なりであったが、鞍上が手を少しだけ動かした。

馬体が沈み、加速する。

終始馬なりに徹した調教であった。

体質の弱さゆえの調教であったのだが・・・引き上げてきた祐一は笑顔満面。

あまりの手ごたえのよさにご機嫌であった。

「予定よりも時計が速くなってしまいました。秋子さん、すみません。」

「今日に限っては了承です。馬なりでこの時計なら、状態のよさゆえです。それとも・・・・」

引き運動に出かける名雪と愛馬を見る。

「ええ、舞が牧場で乗り込んでくれたことを考えても入厩1ヶ月そこそこの馬とは思えない動きでしたよ。」

つられるように祐一もその後姿を見た。

すっかり名雪にもなついていて、その後ろを追うように歩くその姿。

秋子が始めてみたときとは雲泥の差だ。

倉田牧場で初めて見た時は、体質の弱さから小ぢんまりとみえた馬体。

だが、その身のやわらかさは十分に素質を感じるものであった。

案内してくれた倉田牧場の若き後継者が自信をもってここに連れてきてくれたわけだ。

「この馬で、ダービーを狙いたいんです。」

はっきりとそう発した声がまだ記憶に残っていた。

父親の血統理論を受け継ぎそれを発展させたのがこの馬。

かつては名牧場として名をはせていた倉田牧場も、当時の影はただ広いだけの牧場にしか残っていない。

佐佑理が13の時に心臓発作で死んだ父。

後を追うかのように交通事故で死んだ母。

悲しみにくれる佐佑理の心を癒してくれたのは、騎手を目指す男の子の一言だった。

その日もただ雪に埋もれた牧場を見つめていただけの佐佑理。

父が死んではや1年。

数多くいた牧童もすでに半分以下になっていた。

ある種のカリスマ性を持っていた父を信じていた者は方々へ散っていった。

残っているのは、古くから父に恩のある年老いた牧童が数名。

広い牧場だが、少数精鋭を合言葉に馬の生産をしてきた父の方針のためなんとか存続できていた。

だが、以前ほどの管理体制が敷けないため徐々にだが、信頼が落ちてきているのも確か。

休養馬も少しずつ減ってきた。

「佐佑理・・・・・」

舞がその背に声をかけた。

しかし、背中はなにも答えてくれない。

学校ではそんなでもないのだが、やはり牧場に立つと佐佑理はさみしそうな背中を見せる。

母が死んでまだ数ヶ月。

父の死から母と親友のはげましによって立ち直りかけていた少女にとって、

あまりにも残酷な事件が重なってしまった。

さすがに今回ばかりは、舞のがんばりも届かなかった。

それでも彼女の存在が佐佑理の最後、唯一の救いになっていたのは間違いない。

「佐佑理、お客さん・・・」

その声にも振り返らない。

春とはいえ冷たい風が吹く北の大地。

やがて、馬が駆ける音が聞こえてきた。

その蹄の音が彼女の前で止まる。

「久しぶり、佐佑理さん。元気は・・・ないね。」

男の子の声に佐佑理はその声のした方を見上げる。

父の親友の息子で、小さいころよく一緒にあそんだ祐一の姿がそこにあった。

最後に会ったのは、まだ父が生きていた頃だろうか?

この時期の男の子は成長が早く、佐佑理は背が伸びた祐一に目をまるくした。

「おじさんとおばさんの葬式にこれなくてごめん。今日はそれを謝りにきたんだ。」

「そう・・・・なんですか。」

「どうしてもやり遂げたいことがあって、おじさんともそれを約束したから。」

その台詞に佐佑理は反応した。

ゆっくりと馬から下りる祐一。

舞にその手綱を渡す。

ポケットから封筒を取り出すと、佐佑理に手渡した。

「騎手過程、合格したんだ。」

祐一の言葉どおりにそこには合格通知が入っていた。

「今日はそれをおじさんとおばさんに見せにきたんだ。約束だったから、約束のひとつだったから。」

祐一を見る佐佑理の目が、

「どんな約束をしたんですか?」

そう言っているように見えた彼は、静かに言葉をつむぎ出した。

「あれは、4年前・・かな?おじさんがじっちゃんの所に用事で来た時、俺が一番よく見るビデオを

みんなで見てたんだ。」

そのビデオは佐佑理もよく知っていた。

祐一の父が始めてダービーを勝った時のビデオであった。

そのダービー馬を生産したのは・・・・

「やっぱりあのレースの父さんが一番かっこよかった。その馬を生産したのが、おじさんだってその時

初めて聞かされてね、俺、思わず言っちゃったよ。」

「なんて?」

佐佑理にはなんとなくわかっていたが、聞いてみたかった。

「ボクもダービー勝ちたいから、おじさんボクの為にお父さんの乗った馬と同じくらい強い馬育ててよ、って。

そしたらおじさん真面目な顔して、『わかったよ、祐君の為に最高の馬を用意するよ。でも、祐君がちゃんと

騎手になってくれなきゃ、無駄になっちゃうな。』そう言ったんだ。」

佐佑理が持っている封書に視線を向ける祐一。

「だから俺、言ったよ。絶対騎手になる。おじさん約束だよ、って。」

合格・・・・佐佑理の瞳がその2文字を見つめる。

「じゃあ、父は約束をやぶっちゃったんですね。」

低いトーンで、なんとか言葉にすることができた佐佑理。

「ううん・・・違うよ。」

ポケットからもう1通の封筒を差し出す祐一。

そこには佐佑理の記憶に残る筆跡で”相沢祐一殿”と書かれていた。

震える手でその手紙を受け取る佐佑理。

「読んでも・・・読んでもいですか。」

目で答える祐一は、佐佑理が手紙を読んでいる間そちらから目をそらした。

舞と目が合う。

不安げな表情の舞。

祐一は彼女を元気付けるように、そして自分に自信をもたせるために頷いてみせた。

冷たい風を全身に受け、北の暖かさを感じる祐一。

佐佑理が手紙を読み終わるころあいを見計らって、再び口を開いた。

「おじさんはね、自分の体のことはわかっていたんだって。だから・・・”もしかしたら、

俺が約束を果たせないかもしれないけど、俺の娘は俺以上に馬に愛情を傾けることができる。

だから、もしもの時には娘に自動的にバトンタッチということにしておいてくれ。”

そう書いたんだと思う。」

「父はなぜ体が悪いことが分かっていて入院して治さなかったんでしょう・・・母は、『お父さんだから

よ』としか言ってくれませんでした。」

「佐佑理さんは、なんでおじさんが少数精鋭なんて言って生産してたか知ってる?」

ポケットに手をつっこんで1回転する祐一。

「俺が愛情を注げるのはこの頭数が限界だから・・・そう言ってました。」

「うん。だからだよ、おじさんは最後の一瞬まで愛を注いでいたかったんだと思う。」

遠くから馬のいななきが聞こえた。

「もちろん、馬だけじゃない。家族にも。前、おじさんがこっちに来た時に、『ごめんな祐君。おじさん

馬の話しかできなくて。』って言われたんだ。俺は全然退屈してなかったんだけど、『俺は馬を通して

しか気持ちを伝えられないんだ。』ってその後テレながら言ってた。」

「・・・・・・・」

佐佑理の脳裏に様々な思い出がよぎる。

家族の思い出。

そのほとんどに一緒に馬がいた。

「おばさんからは、葬式の後に電話がかかってきたんだ。『あの人がもう一度ダービー馬を生産するんだ、

相沢の息子と一緒にもう一度夢を見るんだ、約束したんだ。うれしそうにあの人よく話してくれたわ。

だから、私もあの人の意思を継ぎたい。私には牧場の経営しか支援できないけど、あの人が認めた

最高の娘が必ずダービー馬を生産してくれるから・・・約束はとりあえず私がバトンを受け取っておくわ。

次の佐佑理に手渡せるまで、必死に牧場を守ってみせるから。』そう言ってくれたんだ。

俺はおばさんとも必ず騎手になるって約束した。」

2人を見つめる舞の握ったこぶしに力がこもる。

「それで、今日は佐佑理さんにおじさんとおばさんの言葉を伝えにも来たんだ。遅くなってごめん。」

「・・・・・私は・・・・・・・」

「急にこんな話しても仕方ないかもしれない。ただ、俺はおじさんとおばさんの言葉を伝えたかっただけ。

後は佐佑理さんの自由だと思う。ただ・・・俺としては、父さんのように倉田の勝負服でダービーを勝ちたい。」

佐佑理はさっきまでもたれかかっていた柵をやさしくなでた。

そこには幼少のおり、毎年ダービーの頃に父に身長を計ってもらった跡が残っている。

「この牧場にはお父さんとお母さんの愛情がつまりすぎてて・・・・思い出が重くて・・・・・」

佐佑理の瞳から涙がこぼれ落ちる。

「でも、私も馬が好きなんです。お父さんとお母さんがいなくなっても好きなんです。」

涙のしずくが風で舞う。

「佐佑理さんは、一人じゃない。舞もいるし、川澄のじっちゃん達もいる。それにまだ、おじさんや

おばさんが手塩にかけた馬達がいる・・・・・佐佑理さんがどうしたいのか、ゆっくり考えればいいと思う。

まだ中学卒業したばかりのガキが生意気なこと言ったけど・・・俺は騎手になるよ。」

祐一は舞から手綱を受け取ると、馬にまたがった。

「その手紙は、佐佑理さんに預けるよ。重荷になるんなら、捨ててくれてもいい。」

手綱を引いて方向転換すると、祐一は馬を駆けさせた。

その姿を見送りながら、舞が閉ざしていた口を開いた。

「祐一は、時間があると水瀬のおじいさんの知り合いに頼んで、馬に乗せてもらってる。」

だからあんなにうまく乗れるんですね。佐佑理は駆けていく祐一の姿をじっと見つめていた。

夢に向かって駆けていく姿のなんと美しいことだろう。

その姿が見えなくなったころ、ようやく佐佑理に笑顔が浮かんだ。

「舞、ごめんなさい。」

「あやまらなくて、いい・・・」

近づくとその頭をなでてやった。

「なら・・・・ありがとう。」

「ぽんぽこたぬきさん・・・・」

それから日が暮れるまでその体勢は続いた。








ターフに咲く恋の花? 第4R






       出走表



「晴天の東京競馬場にクラシックへむけデビューする新馬がそろいました。第6Rサラ4歳新馬戦。

ダートコース1600Mで争われます。現在人気は6枠6番、水瀬厩舎の”スノープリンス”。

鞍上は相沢騎手。そして2番人気にチコクダッシュ。以下ステルスウイング、クラリスポシェットと

続いています。枠入りが始まりました。各馬順調にゲートに収まっていきます。

最後のクラリスポシェットが入って・・・・・・・・体勢完了。スタートしました!!

おっと、1頭出遅れた!?人気のスノープリンス、最後方からとなりました。

先頭は飛ばすステルスウイング。2番手を離しつつ逃げます。その2番手はチコクダッシュ。

1馬身離れてユキノショウジョ、その外にクラリスポシェット。直後にネイムスノウ、アサダヨーアサダヨー

ここまで一団。少しはなれてホワイトジャム、そこから2馬身はなれた最後方にスノープリンスがいます。

もう一度先頭からみましょう。ハナを切ったステルスウイング快調に逃げます。

2番手のチコクダッシュが虎視眈々とその背を伺います。後ろの一団も変わりありません。

府中の大きなコーナーに若駒たちが入ります。依然体勢かわらず先頭はステルスウイング。

最後方に人気のスノープリンス。中団が少しばらけたか?

先頭が3・4コーナー中間点に入ります。このあたりから後続も追い上げを開始しました。

さあ先頭との差がつまる。チコクダッシュが前に並びかける!まだスノープリンスは最後方のままだ!?

はたしてここから届くのか? 先頭が4コーナーをカーブして直線に向きました。

先頭はわずかにステルスウイング!しかし、外からチコクダッシュが並んで交わす勢いだ!!

後続は伸びあぐねている!ステルスウイングもやや一杯か?ここで先頭はチコクダッシュ!

しかし、外から1頭伸びてくる!!!スノープリンスここで来た!残り200M、

先頭とはまだ3馬身、一気に差を詰める!ここでノープリンス並ぶ間もなく交わす!!!

残り100M、スノープリンスぐんぐん差を開いていく!!

これは強い!けた違いの末脚だ!!!!2番手と3番手の差も大きい!体勢決して今、ゴールイン!!

勝ったのはスノープリンス!遅れて2番手にチコクダッシュ。そこからさらに大きく離れて

逃げたステルスウイングが3着。以下ソラカラタライ、クラリスポシェットと入線。

東京競馬第6レースサラ4歳新馬戦は、本日初勝利相沢騎手騎乗のスノープリンスがクラシックへむけ

勝利をおさめました!」





      東京6R サラ4歳新馬戦結果





ドゴッ!!

検量室から出てきた祐一にすばらしいタックルが炸裂した。

「おめでとー、祐一君♪」

ついでにつっこんできた物体が手に持ったマイクがあごに入った。

涙目になる祐一。必殺のうぐぅたっくるにマイクは厳しい。

そんな彼を無視してあゆは祐一の感触を楽しむと、お仕事モードに入るためにマイクをもってカメラに向かった。

「では第6Rを勝った祐・・・じゃなかった、相沢騎手にお話を伺います。」

あゆは深夜の”あゆちゃん競馬ダイジェスト”という番組の司会をしており、

そのため開催日はこうして注目レースのインタビューをしていた。

「相沢さん、おめでとうございます。どうやら、涙するほどうれしかったんですね。」

「ああ・・・・本当に痛かったぜ・・・・マイクはな!」

両拳であゆの眉間をグリグリとする。

「痛いよ〜、祐一君〜」

「あたりまえじゃ!今日という今日こそはしばいたる!!!」

さすがに、タックル+マイクにはご立腹の様子。

グリグリグリ・・・祐一の制裁は続くが、誰も止めようともしない。

番組のスタッフもこういう数字がとれそうな絵を収めるのに必死だ。

「祐一さん・・・・」

グリグリモード祐一の背後に、佐佑理が立っていた。

「すぐに出迎えたかったんですけど・・・確定のランプが灯るまで動けなかったんです・・・」

「ちょっと危ないレース運びでごめん、佐佑理さん。」

あゆを開放して佐佑理に向き直る。

「佐佑理さん・・・ウイナーズサークルに行きましょう。涙は・・・約束の時まで取っておいてください。」

佐佑理の瞳からあふれそうになっていた涙を指でふきとってあげた。

「そうでした。今日がスタートですよね、あはは〜っ。」

祐一の好きな笑顔が向けられる。

ウイナーズサークルでの記念撮影の時も佐佑理はその笑顔のまま。

そこに来ていた競馬ファンを魅了してしまったことは完全な余談であったが、

スノープリンスの次走の圧倒的人気につながったかもしれない・・・・・・

「俺って、約束づくしだな・・・・・たのむぜ、相棒。」

ガッツポーズをとる馬上の祐一は誰にも聞こえない声でそうつぶやくとそっと首をなでた。







<つづく>





あとがき

前回更新したのはいつのことだか?
書いた自分が読み返してしまいました・・・・・・
久しぶりの”ターフ〜”アップです。
なんか、いつものボクとは量が全然違います・・・
いつもの1.5倍以上の12Kとなりました。
今回の話でさらに競馬を知らない人には分かりにくい話になってしました。
人選びますね・・・・ボクのSSは・・・・・・
今回の最大の悩みは、某ビデオが手に入らなかったことです。
そして・・・・あの馬の名前がきまらなかったこと・・・・・
真面目に決まっていませんでした。
馬の名前を飛ばして書いてましたから。
では、次回第5Rでお会いしましょう。

PS.今回栞の出番がなしでした。栞を待っていた方ごめんなさい。