第一章    サッカーがうまくなる特効薬

    

     No8「うまい選手とは」  

イチロー選手やマラソンの高橋尚子選手らは誰もが凄い選手だと思っているが、その対談の中で「それほど大したものやない。好きなことをやっているだけ。これからも精進します」と言っている。まだ先を見つめている。世界のトップレベルにいる超一流選手だからこそ言えるのだろう。「うまい」とは他人が決めるものであって、自分が決めるものではないと思うが、他人より少しできると、自分は「うまい」と思い込んでしまう人は結構多い。

年サッカーの試合など見ていると、親子で「うちの子はうまい」思い込んでいるのをよく見かける。熱心な声援はよいが熱狂してくると自分のこどものミスも他人のせいにしたがる。その上、味方のこどもを詰ったり、罵声を浴びせたり、チームをバラバラにしてしまう。
こども可愛さに勝たせてやりたい気持ちはわからないこともないが、こどものためにはならないだろう。

全国高校サッカー選手権の予選が準決勝あたりからテレビ放映がされるようになった頃、ビデオに収録された息子の得点シーンをくりかえし見ながら満足している親子に出会ったことがある。試合の流れから得点シーンがいつ出てくるのかわかっている。「もうすぐうちの子がゴールしまっせ。よう見てや。ほら入れましたやろ」。「ほんまうちの子はうまいもんや。そやのに他の奴らがへたくそやから負けてしまうんや」。たまたま入ったゴールを後生大事にしているようでは進歩はない。いい素質を持っているのにチームから浮いてしまい、その後ベンチににも入れないようになってしまったとのことである。

若い頃、よくコーチしていただいた中垣内勝久大先輩は「試合の時は自分が一番うまい。練習の時は一番へたやと思ってやりなさい」とよく聞かされた。試合のとき相手がうまく見えると萎縮するが、自分の方がうまいと思えば余裕ができる。練習のときはへたやから何とかうまくやろうと必死でがんばれる。

いくらうまくなったといっても頂点はないし、卒業することはない。上には上がある。自分がうまいと舞い上がって天狗になってしまうと先はない。

森 貞男氏 「明日に夢を」より